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8月10日

2 コリント 12
2コリント 12:1 無《む》益《えき》なことですが、誇《ほこ》るのもやむをえないことです。私は主《しゅ》の《ま》幻《ぼろ》と《し》啓《けい》示《じ》のことを話《はな》しましょう。
2コリント 12:2 私はキリストにあるひとりの人《ひと》を知《し》っています。この人《ひと》は十四年《ねん》前《まえ》に‐‐肉《にく》体《たい》のままであったか、私は知《し》りません。肉《にく》体《たい》を離《はな》れてであったか、それも知《し》りません。神《かみ》はご存《ぞん》じです、‐‐第《だい》三の天《てん》にまで引《ひ》き上《あ》げられました。
2コリント 12:3 私はこの人《ひと》が、‐‐それが肉《にく》体《たい》のままであったか、肉《にく》体《たい》を離《はな》れてであったかは知《し》りません。神《かみ》はご存《ぞん》じです、‐‐
2コリント 12:4 パラダイスに引《ひ》き上《あ》げられて、人《にん》間《げん》には語《かた》ることを許《ゆる》されていない、口《くち》に出《だ》すことのできないことばを聞《き》いたことを知《し》っています。
2コリント 12:5 このような人《ひと》について私は誇《ほこ》るのです。しかし、私自《じ》身《しん》については、自《じ》分《ぶん》の弱《よわ》さ以《い》外《がい》には誇《ほこ》りません。
2コリント 12:6 たとい私が誇《ほこ》りたいと思《おも》ったとしても、愚《おろ》か者《もの》にはなりません。真《しん》実《じつ》のことを話《はな》すのだからです。しかし、誇《ほこ》ることは控《ひか》えましょう。私について見《み》ること、私から聞《き》くこと以《い》上《じょう》に、人《ひと》が私を過《か》大《だい》に評《ひょう》価《か》するといけないからです。
2コリント 12:7 また、その啓《けい》示《じ》があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高《たか》ぶることのないようにと、肉《にく》体《たい》に一つのとげを与《あた》えられました。それは私が高《たか》ぶることのないように、私を打《う》つための、サタンの使《つか》いです。
2コリント 12:8 このことについては、これを私から去《さ》らせてくださるようにと、三度《ど》も主《しゅ》に願《ねが》いました。
2コリント 12:9 しかし、主《しゅ》は、「わたしの恵《めぐ》みは、あなたに十《じゅう》分《ぶん》である。というのは、わたしの力《ちから》は、弱《よわ》さのうちに完《かん》全《ぜん》に現《あらわ》れるからである」と言《い》われたのです。ですから、私は、キリストの力《ちから》が私をおおうために、むしろ大《おお》いに喜《よろこ》んで私の弱《よわ》さを誇《ほこ》りましょう。
2コリント 12:10 ですから、私は、キリストのために、弱《よわ》さ、侮《ぶ》辱《じょく》、苦《く》痛《つう》、迫《はく》害《がい》、困《こん》難《なん》に甘《あま》んじています。なぜなら、私が弱《よわ》いときにこそ、私は強《つよ》いからです。
2コリント 12:11 私は愚《おろ》か者《もの》になりました。あなたがたが無《む》理《り》に私をそうしたのです。私は当《とう》然《ぜん》あなたがたの推《すい》薦《せん》を受《う》けてよかったはずです。たとい私は取《と》るに足《た》りない者《もの》であっても、私はあの大《だい》使《し》徒《と》たちにどのような点《てん》でも劣《おと》るところはありませんでした。
2コリント 12:12 使《し》徒《と》としてのしるしは、忍《にん》耐《たい》を尽《つ》くしてあなたがたの間《あいだ》で行《おこな》われた、しるしと不《ふ》思《し》議《ぎ》と力《ちから》あるわざです。
2コリント 12:13 あなたがたが他《た》の諸《しょ》教《きょう》会《かい》より劣《おと》っている点《てん》は何《なん》でしょうか。それは、私のほうであなたがたには負《ふ》担《たん》をかけなかったことだけです。この不《ふ》正《せい》については、どうか、赦《ゆる》してください。
2コリント 12:14 今《いま》、私はあなたがたのところに行《い》こうとして、三度《ど》目《め》の用《よう》意《い》ができています。しかし、あなたがたに負《ふ》担《たん》はかけません。私が求《もと》めているのは、あなたがたの持《も》ち物《もの》ではなく、あなたがた自《じ》身《しん》だからです。子《こ》は親《おや》のためにたくわえる必《ひつ》要《よう》はなく、親《おや》が子《こ》のためにたくわえるべきです。
2コリント 12:15 ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大《お》い《お》に喜《よろこ》んで財《ざい》を費《つい》やし、また私自《じ》身《しん》をさえ使《つか》い尽《つ》くしましょう。私があなたがたを愛《あい》すれば愛《あい》するほど、私はいよいよ愛《あい》されなくなるのでしょうか。
2コリント 12:16 あなたがたに重《おも》荷《に》は負《お》わせなかったにしても、私は、悪《わる》賢《がしこ》くて、あなたがたからだまし取《と》ったのだと言《い》われます。
2コリント 12:17 あなたがたのところに遣《つか》わした人《ひと》たちのうちのだれによって、私があなたがたを欺《あざむ》くようなことがあったでしょうか。
2コリント 12:18 私はテトスにそちらに行《い》くように勧《すす》め、また、あの兄《きょう》弟《だい》を同《どう》行《こう》させました。テトスはあなたがたを欺《あざむ》くようなことをしたでしょうか。私たちは同《おな》じ心《こころ》で、同《おな》じ歩《ほ》調《ちょう》で歩《ある》いたのではありませんか。
2コリント 12:19 あなたがたは、前《まえ》から、私たちがあなたがたに対《たい》して自《じ》己《こ》弁《べん》護《ご》をしているのだと思《おも》っていたことでしょう。しかし、私たちは神《かみ》の御《み》前《まえ》で、キリストにあって語《かた》っているのです。愛《あい》する人《ひと》たち。すべては、あなたがたを築《きず》き上《あ》げるためなのです。
2コリント 12:20 私の恐《おそ》れていることがあります。私が行《い》ってみると、あなたがたは私の期《き》待《たい》しているような者《もの》でなく、私もあなたがたの期《き》待《たい》しているような者《もの》でないことになるのではないでしょうか。また、争《あらそ》い、ねたみ、憤《い》《き》り《どお》、党《とう》派《は》心《しん》、そしり、陰《かげ》口《ぐち》、高《たか》ぶり、騒《そう》動《どう》があるのではないでしょうか。
2コリント 12:21 私がもう一度《ど》行《い》くとき、またも私の神《かみ》が、あなたがたの面《めん》前《ぜん》で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前《まえ》から罪《つみ》を犯《おか》していて、その行《おこな》った汚《け》れ《が》と不《ふ》品《ひん》行《こう》と好《こう》色《しょく》を悔《く》い改《あらた》めない多《おお》くの人《ひと》たちのために、嘆《なげ》くようなことにはならないでしょうか。

8月11日

2 コリント 13
2コリント 13:1 私があなたがたのところへ行《い》くのは、これで三度《ど》目《め》です。すべての事《じ》実《じつ》は、ふたりか三人《にん》の証《しょう》人《にん》の口《くち》によって確《かく》認《にん》されるのです。
2コリント 13:2 私は二度《ど》目《め》の滞《たい》在《ざい》のときに前《まえ》もって言《い》っておいたのですが、こうして離《はな》れている今《いま》も、前《まえ》から罪《つみ》を犯《おか》している人《ひと》たちとほかのすべての人《ひと》たちに、あらかじめ言《い》っておきます。今《こん》度《ど》そちらに行《い》ったときには、容《よう》赦《しゃ》はしません。
2コリント 13:3 こう言《い》うのは、あなたがたはキリストが私によって語《かた》っておられるという証《しょう》拠《こ》を求《もと》めているからです。キリストはあなたがたに対《たい》して弱《よわ》くはなく、あなたがたの間《あいだ》にあって強《つよ》い方《かた》です。
2コリント 13:4 確《たし》かに、弱《よわ》さのゆえに十《じゅう》字《じ》架《か》につけられましたが、神《か》の《み》力《ちから》のゆえに生《い》きておられます。私たちもキリストにあって弱《よわ》い者《もの》ですが、あなたがたに対《たい》する神《かみ》の力《ちから》のゆえに、キリストとともに生《い》きているのです。
2コリント 13:5 あなたがたは、信《しん》仰《こう》に立《た》っているかどうか、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》をためし、また吟《ぎん》味《み》しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自《じ》分《ぶん》で認《みと》めないのですか‐‐あなたがたがそれに不《ふ》適《てき》格《かく》であれば別《べつ》です。‐‐
2コリント 13:6 しかし、私たちは不《ふ》適《てき》格《かく》でないことを、あなたがたが悟《さと》るように私は望《のぞ》んでいます。
2コリント 13:7 私たちは、あなたがたがどんな悪《あく》をも行《おこな》わないように神《かみ》に祈《いの》っています。それによって、私たち自《じ》身《しん》の適《てき》格《かく》であることが明《あき》らかになるというのではなく、たとい私たちは不《ふ》適《てき》格《かく》のように見《み》えても、あなたがたに正《ただ》しい行《おこな》いをしてもらいたいためです。
2コリント 13:8 私たちは、真《しん》理《り》に逆《さか》らっては何《なに》をすることもできず、真《しん》理《り》のためなら、何《なん》でもできるのです。
2コリント 13:9 私たちは、自《じ》分《ぶん》は弱《よわ》くてもあなたがたが強《つよ》ければ、喜《よろこ》ぶのです。私たちはあなたがたが完《かん》全《ぜん》な者《もの》になることを祈《いの》っています。
2コリント 13:10 そういうわけで、離《はな》れていてこれらのことを書《か》いているのは、私が行《い》ったとき、主《しゅ》が私に授《さず》けてくださった権《けん》威《い》を用《もち》いて、きびしい処《しょ》置《ち》をとることのないようにするためです。この権《けん》威《い》が与《あた》えられたのは築《きず》き上《あ》げるためであって、倒《たお》すためではないのです。
2コリント 13:11 終《お》わりに、兄《きょう》弟《だい》たち。喜《よろこ》びなさい。完《かん》全《ぜん》な者《もの》になりなさい。慰《なぐさ》めを受《う》けなさい。一つ心《こころ》になりなさい。平《へい》和《わ》を保《たも》ちなさい。そうすれば、愛《あい》と平《へい》和《わ》の神《かみ》はあなたがたとともにいてくださいます。
2コリント 13:12 聖《せい》なる口《くち》づけをもって、互《たが》いにあいさつをかわしなさい。すべての聖《せい》徒《と》たちが、あなたがたによろしくと言《い》っています。
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2コリント 13:13 主《しゅ》イエス・キリストの恵《めぐ》み、神《かみ》の愛《あい》、聖《せい》霊《れい》の交《まじ》わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

8月12日

ガラテヤ 1
ガラテヤ 1:1 使《し》徒《と》となったパウロ‐‐私が使《し》徒《と》となったのは、人《にん》間《げん》から出《で》たことでなく、また人《にん》間《げん》の手《て》を通《とお》したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死《し》者《しゃ》の中《なか》からよみがえらせた父《ちち》なる神《かみ》によったのです‐‐
ガラテヤ 1:2 および私とともにいるすべての兄《きょう》弟《だい》たちから、ガラテヤの諸《しょ》教《きょう》会《かい》へ。
ガラテヤ 1:3 どうか、私たちの父《ちち》なる神《かみ》と主《しゅ》イエス・キリストから、恵《めぐ》みと平《へい》安《あん》があなたがたの上《うえ》にありますように。
ガラテヤ 1:4 キリストは、今《いま》の悪《あく》の世《せ》界《かい》から私たちを救《すく》い出《だ》そうとして、私たちの罪《つみ》のためにご自《じ》身《しん》をお捨《す》てになりました。私たちの神《かみ》であり父《ちち》である方《かた》のみこころによったのです。
ガラテヤ 1:5 どうか、この神《かみ》に栄《えい》光《こう》がとこしえにありますように。アーメン。
ガラテヤ 1:6 私は、キリストの恵《めぐ》みをもってあなたがたを召《め》してくださったその方《かた》を、あなたがたがそんなにも急《きゅう》に見《み》捨《す》てて、ほかの福《ふく》音《いん》に移《うつ》って行《い》くのに驚《おどろ》いています。
ガラテヤ 1:7 ほかの福《ふく》音《いん》といっても、もう一つ別《べつ》に福《ふく》音《いん》があるのではありません。あなたがたをかき乱《みだ》す者《もの》たちがいて、キリストの福《ふく》音《いん》を変《か》えてしまおうとしているだけです。
ガラテヤ 1:8 しかし、私たちであろうと、天《てん》の御《み》使《つか》いであろうと、もし私たちが宣《の》べ伝《つた》えた福《ふく》音《いん》に反《はん》することをあなたがたに宣《の》べ伝《つた》えるなら、その者《もの》はのろわれるべきです。
ガラテヤ 1:9 私たちが前《まえ》に言《い》ったように、今《いま》もう一度《ど》私は言《い》います。もしだれかが、あなたがたの受《う》けた福《ふく》音《いん》に反《はん》することを、あなたがたに宣《の》べ伝《つた》えているなら、その者《もの》はのろわれるべきです。
ガラテヤ 1:10 いま私は人《ひと》に取《と》り入《い》ろうとしているのでしょうか。いや。神《かみ》に、でしょう。あるいはまた、人《ひと》の歓《かん》心《しん》を買《か》おうと努《つと》めているのでしょうか。もし私がいまなお人《ひと》の歓《かん》心《しん》を買《か》おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言《い》えません。
ガラテヤ 1:11 兄《きょう》弟《だい》たちよ。私はあなたがたに知《し》らせましょう。私が宣《の》べ伝《つた》えた福《ふく》音《いん》は、人《にん》間《げん》によるものではありません。
ガラテヤ 1:12 私はそれを人《にん》間《げん》からは受《う》けなかったし、また教《おし》えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓《けい》示《じ》によって受《う》けたのです。
ガラテヤ 1:13 以《い》前《ぜん》ユダヤ教《きょう》徒《と》であったころの私の行《こう》動《どう》は、あなたがたがすでに聞《き》いているところです。私は激《はげ》しく神《かみ》の教《きょう》会《かい》を迫《はく》害《がい》し、これを滅《ほろ》ぼそうとしました。
ガラテヤ 1:14 また私は、自《じ》分《ぶん》と同《どう》族《ぞく》で同《どう》年《ねん》輩《ぱい》の多《おお》くの者《もの》たちに比《くら》べ、はるかにユダヤ教《きょう》に進《すす》んでおり、先《せん》祖《ぞ》からの伝《でん》承《しょう》に人《ひと》一《いち》倍《ばい》熱《ねっ》心《しん》でした。
ガラテヤ 1:15 けれども、生《う》まれたときから私を選《えら》び分《わ》け、恵《めぐ》みをもって召《め》してくださった方《かた》が、
ガラテヤ 1:16 異《い》邦《ほう》人《じん》の間《あいだ》に御《み》子《こ》を宣《の》べ伝《つた》えさせるために、御《み》子《こ》を私のうちに啓《けい》示《じ》することをよしとされたとき、私はすぐに、人《ひと》には相《そう》談《だん》せず、
ガラテヤ 1:17 先《せん》輩《ぱい》の使《し》徒《と》たちに会《あ》うためにエルサレムにも上《のぼ》らず、アラビヤに出《で》て行《い》き、またダマスコに戻《もど》りました。
ガラテヤ 1:18 それから三年《ねん》後《のち》に、私はケパをたずねてエルサレムに上《のぼ》り、彼《かれ》のもとに十五日《にち》間《かん》滞《たい》在《ざい》しました。
ガラテヤ 1:19 しかし、主《しゅ》の兄《きょう》弟《だい》ヤコブは別《べつ》として、ほかの使《し》徒《と》にはだれにも会《あ》いませんでした。
ガラテヤ 1:20 私があなたがたに書《か》いていることには、神《かみ》の御《み》前《まえ》で申《もう》しますが、偽《いつわ》りはありません。
ガラテヤ 1:21 それから、私はシリヤおよびキリキヤの地《ち》方《ほう》に行《い》きました。
ガラテヤ 1:22 しかし、キリストにあるユダヤの諸《しょ》教《きょう》会《かい》には顔《かお》を知《し》られていませんでした。
ガラテヤ 1:23 けれども、「以《い》前《ぜん》私たちを迫《はく》害《がい》した者《もの》が、そのとき滅《ほ》ぼ《ろ》そうとした信《しん》仰《こう》を今《いま》は宣《の》べ伝《つた》えている」と聞《き》いてだけはいたので、
ガラテヤ 1:24 彼《かれ》らは私のことで神《かみ》をあがめていました。

8月13日

ガラテヤ 2
ガラテヤ 2:1 それから十四年《ねん》たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連《つ》れて、再《ふたた》びエルサレムに上《のぼ》りました。
ガラテヤ 2:2 それは啓《けい》示《じ》によって上《のぼ》ったのです。そして、異《い》邦《ほう》人《じん》の間《あいだ》で私の宣《の》べている福《ふく》音《いん》を、人《ひと》々《びと》の前《まえ》に示《しめ》し、おもだった人《ひと》たちには個《こ》人《じん》的《てき》にそうしました。それは、私が力《ちから》を尽《つ》くしていま走《はし》っていること、またすでに走《はし》ったことが、むだにならないためでした。
ガラテヤ 2:3 しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人《じん》であったのに、割《かつ》礼《れい》を強《し》いられませんでした。
ガラテヤ 2:4 実《じつ》は、忍《しの》び込《こ》んだにせ兄《きょう》弟《だい》たちがいたので、強《し》いられる恐《おそ》れがあったのです。彼《かれ》らは私たちを奴《ど》隷《れい》に引《ひ》き落《お》とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持《も》つ自《じ》由《ゆう》をうかがうために忍《しの》び込《こ》んでいたのです。
ガラテヤ 2:5 私たちは彼《かれ》らに一《ひと》時《とき》も譲《じょう》歩《ほ》しませんでした。それは福《ふく》音《いん》の 真《しん》理《り》があなたがたの間《あいだ》で常《つね》に保《たも》たれるためです。
ガラテヤ 2:6 そして、おもだった者《もの》と見《み》られていた人《ひと》たちからは、‐‐彼《かれ》らがどれほどの人《ひと》たちであるにしても、私には問《もん》題《だい》ではありません。神《かみ》は人《ひと》を分《わ》け隔《へだ》てなさいません‐‐そのおもだった人《ひと》たちは、私に対《たい》して、何《なに》もつけ加《くわ》えることをしませんでした。
ガラテヤ 2:7 それどころか、ペテロが割《かつ》礼《れい》を受《う》けた者《もの》への福《ふく》音《いん》をゆだねられているように、私が割《かつ》礼《れい》を受《う》けない者《もの》への福《ふく》音《いん》をゆだねられていることを理《り》解《かい》してくれました。
ガラテヤ 2:8 ペテロにみわざをなして、割《かつ》礼《れい》を受《う》けた者《もの》への使《し》徒《と》となさった方《かた》が、私にもみわざをなして、異《い》邦《ほう》人《じん》への使《し》徒《と》としてくださったのです。
ガラテヤ 2:9 そして、私に与《あた》えられたこの恵《めぐ》みを認《みと》め、柱《はしら》として重《お》ん《も》じられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交《まじ》わりのしるしとして右《みぎ》手《て》を差《さ》し伸《の》べました。それは、私たちが異《い》邦《ほう》人《じん》のところへ行《い》き、彼《かれ》らが割《かつ》礼《れい》を受《う》けた人《ひと》々《びと》のところへ行《い》くためです。
ガラテヤ 2:10 ただ私たちが貧《まず》しい人《ひと》たちをいつも顧《かえり》みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大《おお》いに努《つと》めて来《き》たところです。
ガラテヤ 2:11 ところが、ケパがアンテオケに来《き》たとき、彼《かれ》に非《ひ》難《なん》すべきことがあったので、私は面《めん》と向《む》かって抗《こう》議《ぎ》しました。
ガラテヤ 2:12 なぜなら、彼《かれ》は、ある人《ひと》々《びと》がヤコブのところから来《く》る前《まえ》は異《い》邦《ほう》人《じん》といっしょに食《しょく》事《じ》をしていたのに、その人《ひと》々《びと》が来《く》ると、割《かつ》礼《れい》派《は》の人《ひと》々《びと》を恐《おそ》れて、だんだんと異《い》邦《ほう》人《じん》から身《み》を引《ひ》き、離《はな》れて行《い》ったからです。
ガラテヤ 2:13 そして、ほかのユダヤ人《じん》たちも、彼《かれ》といっしょに本《ほん》心《しん》を偽《いつわ》った行《こう》動《どう》をとり、バルナバまでもその偽《いつわ》りの行《こう》動《どう》に引《ひ》き込《こ》まれてしまいました。
ガラテヤ 2:14 しかし、彼《かれ》らが福《ふく》音《いん》の真《しん》理《り》についてまっすぐに歩《あゆ》んでいないのを見《み》て、私はみなの面《めん》前《ぜん》でケパにこう言《い》いました。「あなたは、自《じ》分《ぶん》がユダヤ人《じん》でありながらユダヤ人《じん》のようには生《せい》活《かつ》せず、異《い》邦《ほう》人《じん》のように生《せい》活《かつ》していたのに、どうして異《い》邦《ほう》人《じん》に対《たい》して、ユダヤ人《じん》の生《せい》活《かつ》を強《し》いるのですか。
ガラテヤ 2:15 私たちは、生《う》まれながらのユダヤ人《じん》であって、異《い》邦《ほう》人《じん》のような罪《つみ》人《びと》ではありません。
ガラテヤ 2:16 しかし、人《ひと》は律《りっ》法《ぽう》の行《おこな》いによっては義《ぎ》と認《みと》められず、ただキリスト・イエスを信《しん》じる信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》められる、ということを知《し》ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信《しん》じたのです。これは、律《りっ》法《ぽう》の行《おこな》いによってではなく、キリストを信《しん》じる信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》められるためです。なぜなら、律《りっ》法《ぽう》の行《おこな》いによって義《ぎ》と認《みと》められる者《もの》は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ 2:17 しかし、もし私たちが、キリストにあって義《ぎ》と認《みと》められることを求《もと》めながら、私たち自《じ》身《しん》も罪《つみ》人《びと》であることがわかるのなら、キリストは罪《つみ》の助《じょ》成《せい》者《しゃ》なのでしょうか。そんなことは絶《ぜっ》対《たい》にありえないことです。
ガラテヤ 2:18 けれども、もし私が前《まえ》に打《う》ちこわしたものをもう一度《ど》建《た》てるなら、私は自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》を違《い》反《はん》者《しゃ》にしてしまうのです。
ガラテヤ 2:19 しかし私は、神《かみ》に生《い》きるために、律《りっ》法《ぽう》によって律《りっ》法《ぽう》に死《し》にました。
ガラテヤ 2:20 私はキリストとともに十《じゅう》字《じ》架《か》につけられました。もはや私が生《い》きているのではなく、キリストが私のうちに生《い》きておられるのです。いま私が肉《にく》にあって生《い》きているのは、私を愛《あい》し私のためにご自《じ》身《しん》をお捨《す》てになった神《かみ》の御《み》子《こ》を信《しん》じる信《しん》仰《こう》によっているのです。
ガラテヤ 2:21 私は神《かみ》の恵《めぐ》みを無《む》にはしません。もし義《ぎ》が律《りっ》法《ぽう》によって得《え》られるとしたら、それこそキリストの死《し》は無《む》意《い》味《み》です。」

8月14日

ガラテヤ 3
ガラテヤ 3:1 ああ愚《おろ》かなガラテヤ人《じん》。十《じゅう》字《じ》架《か》につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目《め》の前《まえ》に、あんなにはっきり示《しめ》されたのに、だれがあなたがたを迷《まよ》わせたのですか。
ガラテヤ 3:2 ただこれだけをあなたがたから聞《き》いておきたい。あなたがたが御《み》霊《たま》を受《う》けたのは、律《りっ》法《ぽう》を行《おこな》ったからですか。それとも信《しん》仰《こう》をもって聞《き》いたからですか。
ガラテヤ 3:3 あなたがたはどこまで道《どう》理《り》がわからないのですか。御《み》霊《たま》で始《はじ》まったあなたがたが、いま肉《にく》によって完《かん》成《せい》されるというのですか。
ガラテヤ 3:4 あなたがたがあれほどのことを経《けい》験《けん》したのは、むだだったのでしょうか。万《まん》が一《いち》にもそんなことはないでしょうが。
ガラテヤ 3:5 とすれば、あなたがたに御《み》霊《たま》を与《あた》え、あなたがたの間《あい》で《だ》奇《き》蹟《せき》を行《おこな》われた方《かた》は、あなたがたが律《りっ》法《ぽう》を行《おこな》ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信《しん》仰《こう》をもって聞《き》いたからですか。
ガラテヤ 3:6 アブラハムは神《かみ》を信《しん》じ、それが彼《かれ》の義《ぎ》とみなされました。それと同《おな》じことです。
ガラテヤ 3:7 ですから、信《しん》仰《こう》による人《ひと》々《びと》こそアブラハムの子《し》孫《そん》だと知《し》りなさい。
ガラテヤ 3:8 聖《せい》書《しょ》は、神《かみ》が異《い》邦《ほう》人《じん》をその信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》めてくださることを、前《まえ》から知《し》っていたので、アブラハムに対《たい》し、「あなたによってすべての国《こく》民《みん》が祝《しゅく》福《ふく》される」と前《まえ》もって福《ふく》音《いん》を告《つ》げたのです。
ガラテヤ 3:9 そういうわけで、信《しん》仰《こう》による人《ひと》々《びと》が、信《しん》仰《こう》の人《ひと》アブラハムとともに、祝《しゅく》福《ふく》を受《う》けるのです。
ガラテヤ 3:10 というのは、律《りっ》法《ぽう》の行《おこな》いによる人《ひと》々《びと》はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書《か》いてあります。「律《りっ》法《ぽう》の書《しょ》に書《か》いてある、すべてのことを堅《かた》く守《まも》って実《じっ》行《こう》しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
ガラテヤ 3:11 ところが、律《りっ》法《ぽう》によって神《かみ》の前《まえ》に義《ぎ》と認《みと》められる者《もの》が、だれもいないということは明《あき》らかです。「義《ぎ》人《じん》は信《しん》仰《こう》によって生《い》きる」のだからです。
ガラテヤ 3:12 しかし律《りっ》法《ぽう》は、「信《しん》仰《こう》による」のではありません。「律《りっ》法《ぽう》を行《おこな》う者《もの》はこの律《りっ》法《ぽう》によって生《い》きる」のです。
ガラテヤ 3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律《りっ》法《ぽう》ののろいから贖《あがな》い出《だ》してくださいました。なぜなら、「木に《き》かけられる者《もの》はすべてのろわれたものである」と書《か》いてあるからです。
ガラテヤ 3:14 このことは、アブラハムへの祝《しゅく》福《ふく》が、キリスト・イエスによって異《い》邦《ほう》人《じん》に及《およ》ぶためであり、その結《けっ》果《か》、私たちが信《しん》仰《こう》によって約《やく》束《そく》の御《み》霊《たま》を受《う》けるためなのです。
ガラテヤ 3:15 兄《きょう》弟《だい》たち。人《にん》間《げん》の場《ば》合《あい》にたとえてみましょう。人《にん》間《げん》の契《けい》約《やく》でも、いったん結《むす》ばれたら、だれもそれを無《む》効《こう》にしたり、それにつけ加《くわ》えたりはしません。
ガラテヤ 3:16 ところで、約《やく》束《そく》は、アブラハムとそのひとりの子《し》孫《そん》に告《つ》げられました。神《かみ》は「子《し》孫《そん》たちに」と言《い》って、多《た》数《すう》をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子《し》孫《そん》に」と言《い》っておられます。その方《かた》はキリストです。
ガラテヤ 3:17 私の言《い》おうとすることはこうです。先《さき》に神《かみ》によって結《むす》ばれた契《けい》約《やく》は、その後《のち》四百三十年《ねん》たってできた律《りっ》法《ぽう》によって取《と》り消《け》されたり、その約《やく》束《そく》が無《む》効《こう》とされたりすることがないということです。
ガラテヤ 3:18 なぜなら、相《そう》続《ぞく》がもし律《りっ》法《ぽう》によるのなら、もはや約《やく》束《そく》によるのではないからです。ところが、神《かみ》は約《やく》束《そく》を通《とお》してアブラハムに相《そう》続《ぞく》の恵《めぐ》みを下《くだ》さったのです。
ガラテヤ 3:19 では、律《りっ》法《ぽう》とは何《なん》でしょうか。それは約《やく》束《そく》をお受《う》けになった、この子《し》孫《そん》が来《こ》られるときまで、違《い》反《はん》を示《しめ》すためにつけ加《くわ》えられたもので、御《み》使《つか》いたちを通《とお》して《ち》仲《ゅう》介《かい》者《しゃ》の手《て》で定《さだ》められたのです。
ガラテヤ 3:20 仲《ちゅう》介《かい》者《しゃ》は一《いっ》方《ぽう》だけに属《ぞく》するものではありません。しかし約《やく》束《そく》を賜《たまわ》る神《かみ》は唯《ゆい》一《いつ》者《しゃ》です。
ガラテヤ 3:21 とすると、律《りっ》法《ぽう》は神《かみ》の約《やく》束《そく》に反《はん》するのでしょうか。絶《ぜ》対《った》に《い》そんなことはありません。もしも、与《あた》えられた律《りっ》法《ぽう》がいのちを与《あた》えることのできるものであったなら、義《ぎ》は確《たし》かに律《りっ》法《ぽう》によるものだったでしょう。
ガラテヤ 3:22 しかし聖《せい》書《しょ》は、逆《ぎゃく》に、すべての人《ひと》を罪《つみ》の下《した》に閉《と》じ込《こ》めました。それは約《やく》束《そく》が、イエス・キリストに対《たい》する信《しん》仰《こう》によって、信《しん》じる人《ひと》々《びと》に与《あた》えられるためです。
ガラテヤ 3:23 信《しん》仰《こう》が現《あらわ》れる以《い》前《ぜん》には、私たちは律《りっ》法《ぽう》の監《かん》督《とく》の下《した》に置《お》かれ、閉《と》じ込《こ》められていましたが、それは、やがて示《しめ》される信《しん》仰《こう》が得《え》られるためでした。
ガラテヤ 3:24 こうして、律《りっ》法《ぽう》は私たちをキリストへ導《みちび》くための私たちの養《よう》育《いく》係《がかり》となりました。私たちが信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》められるためなのです。
ガラテヤ 3:25 しかし、信《しん》仰《こう》が現《あらわ》れた以《い》上《じょう》、私たちはもはや養《よう》育《いく》係《がかり》の下《した》にはいません。
ガラテヤ 3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対《たい》する信《しん》仰《こう》によって、神《かみ》の子《こ》どもです。
ガラテヤ 3:27 バプテスマを受《う》けてキリストにつく者《もの》とされたあなたがたはみな、キリストをその身《み》に着《き》たのです。
ガラテヤ 3:28 ユダヤ人《じん》もギリシヤ人《じん》もなく、奴《ど》隷《れい》も自《じ》由《ゆう》人《じん》もなく、男《だん》子《し》も女《じょ》子《し》もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
ガラテヤ 3:29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子《し》孫《そん》であり、約《やく》束《そく》による相《そう》続《ぞく》人《にん》なのです。
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