Today 2025年7月07日 - 2025年7月11日 7月07日 | 1 コリント 37月08日 | 1 コリント 47月09日 | 1 コリント 57月10日 | 1 コリント 67月11日 | 1 コリント 7 7月07日1 コリント 3 1コリント 3:1 さて、兄《きょう》弟《だい》たちよ。私は、あなたがたに向《む》かって、御《み》霊《たま》に属《ぞく》する人《ひと》に対《たい》するようには話《はな》すことができないで、肉《にく》に属《ぞく》する人《ひと》、キリストにある幼《おさな》子《ご》に対《たい》するように話《はな》しました。1コリント 3:2 私はあなたがたには乳《ちち》を与《あた》えて、堅《かた》い食《しょく》物《もつ》を与《あた》えませんでした。あなたがたには、まだ無《む》理《り》だったからです。実《じつ》は、今《いま》でもまだ無《む》理《り》なのです。1コリント 3:3 あなたがたは、まだ肉《にく》に属《ぞく》しているからです。あなたがたの間《あいだ》にねたみや争《あらそ》いがあることからすれば、あなたがたは肉《にく》に属《ぞく》しているのではありませんか。そして、ただの人《ひと》のように歩《あゆ》んでいるのではありませんか。1コリント 3:4 ある人《ひと》が、「私はパウロにつく」と言《い》えば、別《べつ》の人《ひと》は、「私はアポロに」と言《い》う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人《ひと》たちではありませんか。1コリント 3:5 アポロとは何《なん》でしょう。パウロとは何《なん》でしょう。あなたがたが信《しん》仰《こう》に入《はい》るために用《もち》いられたしもべであって、主《しゅ》がおのおのに授《さず》けられたとおりのことをしたのです。1コリント 3:6 私が植《う》えて、アポロが水《みず》を注《そそ》ぎました。しかし、成《せい》長《ちょう》させたのは神《かみ》です。1コリント 3:7 それで、たいせつなのは、植《う》える者《もの》でも水《みず》を注《そそ》ぐ者《もの》でもありません。成《せい》長《ちょう》させてくださる神《かみ》なのです。1コリント 3:8 植《う》える者《もの》と水《みず》を注《そそ》ぐ者《もの》は、一つですが、それぞれ自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》の働《はたら》きに従《したが》って自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》の報《ほう》酬《しゅう》を受《う》けるのです。1コリント 3:9 私たちは神《かみ》の協《きょう》力《りょく》者《しゃ》であり、あなたがたは神《かみ》の畑《は》、《たけ》神《かみ》の建《たて》物《もの》です。1コリント 3:10 与《あた》えられた神《かみ》の恵《めぐ》みによって、私は賢《かしこ》い建《けん》築《ちく》家《か》のように、土《ど》台《だい》を据《す》えました。そして、ほかの人《ひと》がその上《うえ》に家《いえ》を建《た》てています。しかし、どのように建《た》てるかについてはそれぞれが注《ちゅう》意《い》しなければなりません。1コリント 3:11 というのは、だれも、すでに据《す》えられている土《ど》台《だい》のほかに、ほかの物《もの》を据《す》えることはできないからです。その土《ど》台《だい》とはイエス・キリストです。1コリント 3:12 もし、だれかがこの土《ど》台《だい》の上《うえ》に、金《きん》、銀《ぎん》、宝《ほう》石《せき》、木《き》、草《くさ》、わらなどで建《た》てるなら、1コリント 3:13 各《かく》人《じん》の働《はたら》きは明《めい》瞭《りょう》になります。その日《ひ》がそれを明《あき》らかにするのです。というのは、その日《ひ》は火《ひ》とともに現《あらわ》れ、この火《ひ》がその力《ちから》で各《かく》人《じん》の働《はたら》きの真《しん》価《か》をためすからです。1コリント 3:14 もしだれかの建《た》てた建《たて》物《もの》が残《のこ》れば、その人《ひと》は報《むく》いを受《う》けます。1コリント 3:15 もしだれかの建《た》てた建《たて》物《もの》が焼《や》ければ、その人《ひと》は損《そん》害《がい》を受《う》けますが、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》は、火《ひ》の中《なか》をくぐるようにして助《たす》かります。1コリント 3:16 あなたがたは神《かみ》の神《しん》殿《でん》であり、神《かみ》の御《み》霊《たま》があなたがたに宿《やど》っておられることを知《し》らないのですか。1コリント 3:17 もし、だれかが神《かみ》の神《しん》殿《でん》をこわすなら、神《かみ》がその人《ひと》を滅《ほろ》ぼされます。神《かみ》の神《しん》殿《でん》は聖《せい》なるものだからです。あなたがたがその神《しん》殿《でん》です。1コリント 3:18 だれも自《じ》分《ぶん》を欺《あざむ》いてはいけません。もしあなたがたの中《なか》で、自《じ》分《ぶん》は今《いま》の世《よ》の知《ち》者《しゃ》だと思《おも》う者《もの》がいたら、知《ち》者《しゃ》になるためには愚《おろ》かになりなさい。1コリント 3:19 なぜなら、この世《よ》の知《ち》恵《え》は、神《かみ》の御《み》前《まえ》では愚《おろ》かだからです。こう書《か》いてあります。「神《かみ》は、知《ち》者《しゃ》どもを彼《かれ》らの悪《わる》賢《がしこ》さの中《なか》で捕《と》らえる。」1コリント 3:20 また、次《つぎ》のようにも書《か》いてあります。「主《しゅ》は、知《ち》者《しゃ》の論《ろん》議《ぎ》を無《む》益《えき》だと知《し》っておられる。」1コリント 3:21 ですから、だれも人《にん》間《げん》を誇《ほこ》ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。1コリント 3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世《せ》界《かい》であれ、いのちであれ、死《し》であれ、また現《げん》在《ざい》のものであれ、未《み》来《らい》のものであれ、すべてあなたがたのものです。1コリント 3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神《かみ》のものです。 7月08日1 コリント 4 1コリント 4:1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神《かみ》の奥《おく》義《ぎ》の管《かん》理《り》者《しゃ》だと考《かんが》えなさい。1コリント 4:2 この場《ば》合《あい》、管《かん》理《り》者《しゃ》には、忠《ちゅう》実《じつ》であることが要《よう》求《きゅう》されます。1コリント 4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判《はん》定《てい》、あるいは、およそ人《にん》間《げん》による判《はん》決《けつ》を受《う》けることは、非《ひ》常《じょう》に小《ちい》さなことです。事《じ》実《じつ》、私は自《じ》分《ぶん》で自《じ》分《ぶん》をさばくことさえしません。1コリント 4:4 私にはやましいことは少《すこ》しもありませんが、だからといって、それで無《む》罪《ざい》とされるのではありません。私をさばく方《かた》は主《しゅ》です。1コリント 4:5 ですから、あなたがたは、主《しゅ》が来《こ》られるまでは、何《なに》についても、先《さき》走《ばし》ったさばきをしてはいけません。主《しゅ》は、やみの中《なか》に隠《かく》れた事《こと》も明《あか》るみに出《だ》し、心《こころ》の中《なか》のはかりごとも明《あき》らかにされます。そのとき、神《かみ》から各《かく》人《じん》に対《たい》する称《しょう》賛《さん》が届《とど》くのです。1コリント 4:6 さて、兄《きょう》弟《だい》たち。以《い》上《じょう》、私は、私自《じ》身《しん》とアポロに当《あ》てはめて、あなたがたのために言《い》って来《き》ました。それは、あなたがたが、私たちの例《れい》によって、「書《か》かれていることを越《こ》えない」ことを学《まな》ぶため、そして、一《い》方《っぽ》に《う》くみし、他《た》方《ほう》に反《はん》対《たい》して高《こう》慢《まん》にならないためです。1コリント 4:7 いったいだれが、あなたをすぐれた者《もの》と認《みと》めるのですか。あなたには、何《なに》か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇《ほこ》るのですか。1コリント 4:8 あなたがたは、もう満《み》ち足《た》りています。もう豊《ゆた》かになっています。私たち抜《ぬ》きで、王《おう》さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王《おう》さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王《おう》になれたでしょうに。1コリント 4:9 私は、こう思《おも》います。神《かみ》は私たち使《し》徒《と》を、死《し》罪《ざい》に決《き》まった者《もの》のように、行《ぎょう》列《れつ》のしんがりとして引《ひ》き出《だ》されました。こうして私たちは、御《み》使《つか》いにも人《ひと》々《びと》にも、この世《よ》の見《み》せ物《もの》になったのです。1コリント 4:10 私たちはキリストのために愚《おろ》かな者《もの》ですが、あなたがたはキリストにあって賢《かしこ》い者《もの》です。私たちは弱《よわ》いが、あなたがたは強《つよ》いのです。あなたがたは栄《えい》誉《よ》を持《も》っているが、私たちは卑《いや》しめられています。1コリント 4:11 今《いま》に至《いた》るまで、私たちは飢《う》え、渇《かわ》き、着《き》る物《もの》もなく、虐《ぎゃく》待《たい》され、落《お》ち着《つ》く先《さき》もありません。1コリント 4:12 また、私たちは苦《く》労《ろう》して自《じ》分《ぶん》の手《て》で働《はたら》いています。はずかしめられるときにも祝《しゅく》福《ふく》し、迫《はく》害《がい》されるときにも耐《た》え忍《しの》び、1コリント 4:13 ののしられるときには、慰《なぐさ》めのことばをかけます。今《いま》でも、私たちはこの世《よ》のちり、あらゆるもののかすです。1コリント 4:14 私がこう書《か》くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛《あい》する私の子《こ》どもとして、さとすためです。1コリント 4:15 たといあなたがたに、キリストにある養《よう》育《いく》係《がかり》が一万人《にん》あろうとも、父《ちち》は多《おお》くあるはずがありません。この私が福《ふく》音《いん》によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生《う》んだのです。1コリント 4:16 ですから、私はあなたがたに勧《すす》めます。どうか、私にならう者《もの》となってください。1コリント 4:17 そのために、私はあなたがたのところへテモテを送《おく》りました。テモテは主《しゅ》にあって私の愛《あい》する、忠《ちゅう》実《じつ》な子《こ》です。彼《かれ》は、私が至《いた》る所《ところ》のすべての教《きょう》会《かい》で教《おし》えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生《い》き方《かた》を、あなたがたに思《おも》い起《お》こさせてくれるでしょう。1コリント 4:18 私があなたがたのところへ行《い》くことはあるまいと、思《お》い《も》上《あ》がっている人《ひと》たちがいます。1コリント 4:19 しかし、主《しゅ》のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行《い》きます。そして、思《おも》い上《あ》がっている人《ひと》たちの、ことばではなく、力《ちから》を見《み》せてもらいましょう。1コリント 4:20 神《かみ》の国《くに》はことばにはなく、力《ちから》にあるのです。1コリント 4:21 あなたがたはどちらを望《のぞ》むのですか。私はあなたがたのところへむちを持《も》って行《い》きましょうか。それとも、愛《あい》と優《やさ》しい心《こころ》で行《い》きましょうか。 7月09日1 コリント 5 1コリント 5:1 あなたがたの間《あいだ》に不《ふ》品《ひん》行《こう》があるということが言《い》われています。しかもそれは、異《い》邦《ほう》人《じん》の中《なか》にもないほどの不《ふ》品《ひん》行《こう》で、父《ちち》の妻《つま》を妻《つま》にしている者《もの》がいるとのことです。1コリント 5:2 それなのに、あなたがたは誇《ほこ》り高《たか》ぶっています。そればかりか、そのような行《おこな》いをしている者《もの》をあなたがたの中《なか》から取《と》り除《のぞ》こうとして悲《かな》しむこともなかったのです。1コリント 5:3 私のほうでは、からだはそこにいなくても心《こころ》はそこにおり、現《げん》にそこにいるのと同《おな》じように、そのような行《おこな》いをした者《もの》を主《しゅ》イエスの御《み》名《な》によってすでにさばきました。1コリント 5:4 あなたがたが集《あつ》まったときに、私も、霊《れい》においてともにおり、私たちの主《しゅ》イエスの権《けん》能《のう》をもって、1コリント 5:5 このような者《もの》をサタンに引《ひ》き渡《わた》したのです。それは彼《かれ》の肉《にく》が滅《ほろ》ぼされるためですが、それによって彼《かれ》の霊《れい》が主《しゅ》の日《ひ》に救《すく》われるためです。1コリント 5:6 あなたがたの高《こう》慢《まん》は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種《だね》が、粉《こな》のかたまり全《ぜん》体《たい》をふくらませることを知《し》らないのですか。1コリント 5:7 新《あたら》しい粉《こな》のかたまりのままでいるために、古《ふる》いパン種《だね》を取《と》り除《のぞ》きなさい。あなたがたはパン種《だね》のないものだからです。私たちの過《すぎ》越《こし》の小《こ》羊《ひつじ》キリストが、すでにほふられたからです。1コリント 5:8 ですから、私たちは、古《ふる》いパン種《だね》を用《もち》いたり、悪《あく》意《い》と不《ふ》正《せい》のパン種《だね》を用《もち》いたりしないで、パン種《だね》の入《はい》らない、純《じゅん》粋《すい》で真《しん》実《じつ》なパンで、祭《まつ》りをしようではありませんか。1コリント 5:9 私は前《まえ》にあなたがたに送《おく》った手《て》紙《がみ》で、不《ふ》品《ひん》行《こう》な者《もの》たちと交《こう》際《さい》しないようにと書《か》きました。1コリント 5:10 それは、世《よ》の中《なか》の不《ふ》品《ひん》行《こう》な者《もの》、貪《どん》欲《よく》な者《もの》、略《りゃく》奪《だつ》する者《もの》、偶《ぐう》像《ぞう》を礼《れい》拝《はい》する者《もの》と全《ぜん》然《ぜん》交《こう》際《さい》しないようにという意《い》味《み》ではありません。もしそうだとしたら、この世《せ》界《かい》から出《で》て行《い》かなければならないでしょう。1コリント 5:11 私が書《か》いたことのほんとうの意《い》味《み》は、もし、兄《きょう》弟《だい》と呼《よ》ばれる者《もの》で、しかも不《ふ》品《ひん》行《こう》な者《もの》、貪《どん》欲《よく》な者《もの》、偶《ぐう》像《ぞう》を礼《れい》拝《はい》する者《もの》、人《ひと》をそしる者《もの》、酒《さけ》に酔《よ》う者《もの》、略《りゃく》奪《だつ》する者《もの》がいたなら、そのような者《もの》とはつきあってはいけない、いっしょに食《しょく》事《じ》をしてもいけない、ということです。1コリント 5:12 外《がい》部《ぶ》の人《ひと》たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者《もの》は、内《ない》部《ぶ》の人《ひと》たちではありませんか。1コリント 5:13 外《がい》部《ぶ》の人《ひと》たちは、神《かみ》がおさばきになります。その悪《わる》い人《ひと》をあなたがたの中《なか》から除《のぞ》きなさい。 7月10日1 コリント 6 1コリント 6:1 あなたがたの中《なか》には、仲《なか》間《ま》の者《もの》と争《あらそ》いを起《お》こしたとき、それを聖《せい》徒《と》たちに訴《うった》えないで、あえて、正《ただ》しくない人《ひと》たちに訴《うった》え出《で》るような人《ひと》がいるのでしょうか。1コリント 6:2 あなたがたは、聖《せい》徒《と》が世《せ》界《かい》をさばくようになることを知《し》らないのですか。世《せ》界《かい》があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小《ちい》さな事《じ》件《けん》さえもさばく力《ちから》がないのですか。1コリント 6:3 私たちは御《み》使《つか》いをもさばくべき者《もの》だ、ということを、知《し》らないのですか。それならこの世《よ》のことは、言《い》うまでもないではありませんか。1コリント 6:4 それなのに、この世《よ》のことで争《あらそ》いが起《お》こると、教《きょう》会《かい》のうちでは無《む》視《し》される人《ひと》たちを裁《さい》判《ばん》官《かん》に選《えら》ぶのですか。1コリント 6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言《い》っているのです。いったい、あなたがたの中《なか》には、兄《きょう》弟《だい》の間《あいだ》の争《あらそ》いを仲《ちゅう》裁《さい》することのできるような賢《かしこ》い者《もの》が、ひとりもいないのですか。1コリント 6:6 それで、兄《きょう》弟《だい》は兄《きょう》弟《だい》を告《こく》訴《そ》し、しかもそれを不《ふ》信《しん》者《じゃ》の前《まえ》でするのですか。1コリント 6:7 そもそも、互《たが》いに訴《うった》え合《あ》うことが、すでにあなたがたの敗《はい》北《ぼく》です。なぜ、むしろ不《ふ》正《せい》をも甘《あま》んじて受《う》けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。1コリント 6:8 ところが、それどころか、あなたがたは、不《ふ》正《せい》を行《おこな》う、だまし取《と》る、しかもそのようなことを兄《きょう》弟《だい》に対《たい》してしているのです。1コリント 6:9 あなたがたは、正《ただ》しくない者《もの》は神《かみ》の国《くに》を相《そう》続《ぞく》できないことを、知《し》らないのですか。だまされてはいけません。不《ふ》品《ひん》行《こう》な者《もの》、偶《ぐう》像《ぞう》を礼《れい》拝《はい》する者《もの》、姦《かん》淫《いん》をする者《もの》、男《だん》娼《しょう》となる者《もの》、男《なん》色《しょく》をする者《もの》、1コリント 6:10 盗《ぬす》む者《もの》、貪《どん》欲《よく》な者《もの》、酒《さけ》に酔《よ》う者《もの》、そしる者《もの》、略《りゃく》奪《だつ》する者《もの》はみな、神《かみ》の国《くに》を相《そう》続《ぞく》することができません。1コリント 6:11 あなたがたの中《なか》のある人《ひと》たちは以《い》前《ぜん》はそのような者《もの》でした。しかし、主《しゅ》イエス・キリストの御《み》名《な》と私たちの神《かみ》の御《み》霊《たま》によって、あなたがたは洗《あら》われ、聖《せい》なる者《もの》とされ、義《ぎ》と認《みと》められたのです。1コリント 6:12 すべてのことが私には許《ゆる》されたことです。しかし、すべてが益《えき》になるわけではありません。私にはすべてのことが許《ゆる》されています。しかし、私はどんなことにも支《し》配《はい》されはしません。1コリント 6:13 食《しょく》物《もつ》は腹《はら》のためにあり、腹《はら》は食《しょく》物《もつ》のためにあります。ところが神《かみ》は、そのどちらをも滅《ほろ》ぼされます。からだは不《ふ》品《ひん》行《こう》のためにあるのではなく、主《しゅ》のためであり、主《しゅ》はからだのためです。1コリント 6:14 神《かみ》は主《しゅ》をよみがえらせましたが、その御《み》力《ちから》によって私たちをもよみがえらせてくださいます。1コリント 6:15 あなたがたのからだはキリストのからだの一《いち》部《ぶ》であることを、知《し》らないのですか。キリストのからだを取《と》って遊《ゆう》女《じょ》のからだとするのですか。そんなことは絶《ぜっ》対《たい》に許《ゆる》されません。1コリント 6:16 遊《ゆう》女《じょ》と交《まじ》われば、一つからだになることを知《し》らないのですか。「ふたりは一《いっ》体《たい》となる」と言《い》われているからです。1コリント 6:17 しかし、主《しゅ》と交《まじ》われば、一つ霊《れい》となるのです。1コリント 6:18 不《ふ》品《ひん》行《こう》を避《さ》けなさい。人《ひと》が犯《おか》す罪《つみ》はすべて、からだの外《そと》のものです。しかし、不《ふ》品《ひん》行《こう》を行《おこな》う者《もの》は、自《じ》分《ぶん》のからだに対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》すのです。1コリント 6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住《す》まれる、神《かみ》から受《う》けた聖《せい》霊《れい》の宮《みや》であり、あなたがたは、もはや自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》のものではないことを、知《し》らないのですか。1コリント 6:20 あなたがたは、代《だい》価《か》を払《はら》って買《か》い取《と》られたのです。ですから自《じ》分《ぶん》のからだをもって、神《かみ》の栄《えい》光《こう》を現《あらわ》しなさい。 7月11日1 コリント 7 1コリント 7:1 さて、あなたがたの手《て》紙《がみ》に書《か》いてあったことについてですが、男《おとこ》が女《おんな》に触《ふ》れないのは良《よ》いことです。1コリント 7:2 しかし、不《ふ》品《ひん》行《こう》を避《さ》けるため、男《おとこ》はそれぞれ自《じ》分《ぶん》の妻《つま》を持《も》ち、女《おんな》もそれぞれ自《じ》分《ぶん》の夫《おっと》を持《も》ちなさい。1コリント 7:3 夫《おっと》は自《じ》分《ぶん》の妻《つま》に対《たい》して義《ぎ》務《む》を果《は》たし、同《どう》様《よう》に妻《つま》も自《じ》分《ぶん》の夫《おっと》に対《たい》して義《ぎ》務《む》を果《は》たしなさい。1コリント 7:4 妻《つま》は自《じ》分《ぶん》のからだに関《かん》する権《けん》利《り》を持《も》ってはおらず、それは夫《おっと》のものです。同《どう》様《よう》に夫《おっと》も自《じ》分《ぶん》のからだについての権《けん》利《り》を持《も》ってはおらず、それは妻《つま》のものです。1コリント 7:5 互《たが》いの権《けん》利《り》を奪《うば》い取《と》ってはいけません。ただし、祈《いの》りに専《せん》心《しん》するために、合《ごう》意《い》の上《うえ》でしばらく離《はな》れていて、また再《ふたた》びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自《じ》制《せい》力《りょく》を欠《か》くとき、サタンの誘《ゆう》惑《わく》にかからないためです。1コリント 7:6 以《い》上《じょう》、私の言《い》うところは、容《よう》認《にん》であって、命《めい》令《れい》ではありません。1コリント 7:7 私の願《ねが》うところは、すべての人《ひと》が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神《かみ》から与《あた》えられたそれぞれの賜《たま》物《もの》を持《も》っているので、人《ひと》それぞれに行《い》き方《かた》があります。1コリント 7:8 次《つぎ》に、結《けっ》婚《こん》していない男《おとこ》とやもめの女《おんな》に言《い》いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。1コリント 7:9 しかし、もし自《じ》制《せい》することができなければ、結《けっ》婚《こん》しなさい。情《じょう》の燃《も》えるよりは、結《けっ》婚《こん》するほうがよいからです。1コリント 7:10 次《つぎ》に、すでに結《けっ》婚《こん》した人《ひと》々《びと》に命《めい》じます。命《めい》じるのは、私ではなく主《しゅ》です。妻《つま》は夫《おっと》と別《わか》れてはいけません。1コリント 7:11 ‐‐もし別《わか》れたのだったら、結《けっ》婚《こん》せずにいるか、それとも夫《おっと》と和《わ》解《かい》するか、どちらかにしなさい‐‐また夫《おっと》は妻《つま》を離《り》別《べつ》してはいけません。1コリント 7:12 次《つぎ》に、そのほかの人《ひと》々《びと》に言《い》いますが、これを言《い》うのは主《しゅ》ではなく、私です。信《しん》者《じゃ》の男《だん》子《し》に信《しん》者《じゃ》でない妻《つま》があり、その妻《つま》がいっしょにいることを承《しょう》知《ち》している場《ば》合《あい》は、離《り》婚《こん》してはいけません。1コリント 7:13 また、信《しん》者《じゃ》でない夫《おっと》を持《も》つ女《おんな》は、夫《おっと》がいっしょにいることを承《しょう》知《ち》している場《ば》合《あい》は、離《り》婚《こん》してはいけません。1コリント 7:14 なぜなら、信《しん》者《じゃ》でない夫《おっと》は妻《つま》によって聖《きよ》められており、また、信《しん》者《じゃ》でない妻《つま》も信《しん》者《じゃ》の夫《おっと》によって聖《きよ》められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子《こ》どもは汚《けが》れているわけです。ところが、現《げん》に聖《きよ》いのです。1コリント 7:15 しかし、もし信《しん》者《じゃ》でないほうの者《もの》が離《はな》れて行《い》くのであれば、離《はな》れて行《い》かせなさい。そのような場《ば》合《あい》には、信《しん》者《じゃ》である夫《おっと》あるいは妻《つま》は、縛《しば》られることはありません。神《かみ》は、平《へい》和《わ》を得《え》させようとしてあなたがたを召《め》されたのです。1コリント 7:16 なぜなら、妻《つま》よ。あなたが夫《おっと》を救《すく》えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫《おっと》よ。あなたが妻《つま》を救《すく》えるかどうかが、どうしてわかりますか。1コリント 7:17 ただ、おのおのが、主《しゅ》からいただいた分《ぶん》に応《おう》じ、また神《かみ》がおのおのをお召《め》しになったときのままの状《じょう》態《たい》で歩《あゆ》むべきです。私は、すべての教《きょう》会《かい》で、このように指《し》導《どう》しています。1コリント 7:18 召《め》されたとき割《かつ》礼《れい》を受《う》けていたのなら、その跡《あと》をなくしてはいけません。また、召《め》されたとき割《かつ》礼《れい》を受《う》けていなかったのなら、割《かつ》礼《れい》を受《う》けてはいけません。1コリント 7:19 割《かつ》礼《れい》は取《と》るに足《た》らぬこと、無《む》割《かつ》礼《れい》も取《と》るに足《た》らぬことです。重《じゅう》要《よう》なのは神《かみ》の命《めい》令《れい》を守《まも》ることです。1コリント 7:20 おのおの自《じ》分《ぶん》が召《め》されたときの状《じょう》態《たい》にとどまっていなさい。1コリント 7:21 奴《ど》隷《れい》の状《じょう》態《たい》で召《め》されたのなら、それを気《き》にしてはいけません。しかし、もし自《じ》由《ゆう》の身《み》になれるなら、むしろ自《じ》由《ゆう》になりなさい。1コリント 7:22 奴《ど》隷《れい》も、主《しゅ》にあって召《め》された者《もの》は、主《しゅ》に属《ぞく》する自《じ》由《ゆう》人《じん》であり、同《おな》じように、自《じ》由《ゆう》人《じん》も、召《め》された者《もの》はキリストに属《ぞく》する奴《ど》隷《れい》だからです。1コリント 7:23 あなたがたは、代《だい》価《か》をもって買《か》われたのです。人《にん》間《げん》の奴《ど》隷《れい》となってはいけません。1コリント 7:24 兄《きょう》弟《だい》たち。おのおの召《め》されたときのままの状《じょう》態《たい》で、神《かみ》の御《み》前《まえ》にいなさい。1コリント 7:25 処《しょ》女《じょ》のことについて、私は主《しゅ》の命《めい》令《れい》を受《う》けてはいませんが、主《しゅ》のあわれみによって信《しん》頼《らい》できる者《もの》として、意《い》見《けん》を述《の》べます。1コリント 7:26 現《げん》在《ざい》の危《き》急《きゅう》のときには、男《おとこ》はそのままの状《じょう》態《たい》にとどまるのがよいと思《おも》います。1コリント 7:27 あなたが妻《つま》に結《むす》ばれているなら、解《と》かれたいと考《かんが》えてはいけません。妻《つま》に結《むす》ばれていないのなら、妻《つま》を得《え》たいと思《おも》ってはいけません。1コリント 7:28 しかし、たといあなたが結《けっ》婚《こん》したからといって、罪《つみ》を犯《おか》すのではありません。たとい処《しょ》女《じょ》が結《けっ》婚《こん》したからといって、罪《つみ》を犯《おか》すのではありません。ただ、それらの人《ひと》々《びと》は、その身《み》に苦《く》難《なん》を招《まね》くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会《あ》わせたくないのです。1コリント 7:29 兄《きょう》弟《だい》たちよ。私は次《つぎ》のことを言《い》いたいのです。時《とき》は縮《ちぢ》まっています。今《いま》からは、妻《つま》のある者《もの》は妻《つま》のない者《もの》のようにしていなさい。1コリント 7:30 泣《な》く者《もの》は泣《な》かない者《もの》のように、喜《よろこ》ぶ者《もの》は喜《よろこ》ばない者《もの》のように、買《か》う者《もの》は所《しょ》有《ゆう》しない者《もの》のようにしていなさい。1コリント 7:31 世《よ》の富《とみ》を用《もち》いる者《もの》は用《もち》いすぎないようにしなさい。この世《よ》の有《あり》様《さま》は過《す》ぎ去《さ》るからです。1コリント 7:32 あなたがたが思《おも》い煩《わずら》わないことを私は望《のぞ》んでいます。独《どく》身《しん》の男《おとこ》は、どうしたら主《しゅ》に喜《よろこ》ばれるかと、主《しゅ》のことに心《こころ》を配《くば》ります。1コリント 7:33 しかし、結《けっ》婚《こん》した男《おとこ》は、どうしたら妻《つま》に喜《よろこ》ばれるかと世《よ》のことに心《こころ》を配《くば》り、1コリント 7:34 心《こころ》が分《わ》かれるのです。独《どく》身《しん》の女《おんな》や処《しょ》女《じょ》は、身《み》もたましいも聖《きよ》くなるため、主《しゅ》のことに心《こころ》を配《くば》りますが、結《けっ》婚《こん》した女《おんな》は、どうしたら夫《おっと》に喜《よろこ》ばれるかと、世《よ》のことに心《こころ》を配《くば》ります。1コリント 7:35 ですが、私がこう言《い》っているのは、あなたがた自《じ》身《しん》の益《えき》のためであって、あなたがたを束《そく》縛《ばく》しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩《ちつ》序《じょ》ある生《せい》活《かつ》を送《おく》って、ひたすら主《しゅ》に奉《ほう》仕《し》できるためなのです。1コリント 7:36 もし、処《しょ》女《じょ》である自《じ》分《ぶん》の娘《むすめ》の婚《こん》期《き》も過《す》ぎようとしていて、そのままでは、娘《むすめ》に対《たい》しての扱《あつか》い方《かた》が正《ただ》しくないと思《おも》い、またやむをえないことがあるならば、その人《ひと》は、その心《こころ》のままにしなさい。罪《つみ》を犯《おか》すわけではありません。彼《かれ》らに結《けっ》婚《こん》させなさい。1コリント 7:37 しかし、もし心《こころ》のうちに堅《かた》く決《けつ》意《い》しており、ほかに強《し》いられる事《じ》情《じょう》もなく、また自《じ》分《ぶん》の思《おも》うとおりに行《おこな》うことのできる人《ひと》が、処《しょ》女《じょ》である自《じ》分《ぶん》の娘《むすめ》をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。1コリント 7:38 ですから、処《しょ》女《じょ》である自《じ》分《ぶん》の娘《むすめ》を結《けっ》婚《こん》させる人《ひと》は良《よ》いことをしているのであり、また結《けっ》婚《こん》させない人《ひと》は、もっと良《よ》いことをしているのです。1コリント 7:39 妻《つま》は夫《おっと》が生《い》きている間《あいだ》は夫《おっと》に縛《しば》られています。しかし、もし夫《おっと》が死《し》んだなら、自《じ》分《ぶん》の願《ねが》う人《ひと》と結《けっ》婚《こん》する自《じ》由《ゆう》があります。ただ主《しゅ》にあってのみ、そうなのです。1コリント 7:40 私の意《い》見《けん》では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸《さいわ》いです。私も、神《かみ》の御《み》霊《たま》をいただいていると思《おも》います。 prev Today next