| Today | ![]() | 2025年11月03日 - 2025年11月07日 | ![]() |
11月03日
ヤコブ 4
| ヤコブ 4:1 何《なに》が原《げん》因《いん》で、あなたがたの間《あいだ》に戦《たたか》いや争《あらそ》いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中《なか》で戦《たたか》う欲《よく》望《ぼう》が原《げん》因《いん》ではありませんか。 ヤコブ 4:2 あなたがたは、ほしがっても自《じ》分《ぶん》のものにならないと、人《ひと》殺《ごろ》しをするのです。うらやんでも手《て》に入《い》れることができないと、争《あらそ》ったり、戦《たたか》ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願《ねが》わないからです。 ヤコブ 4:3 願《ねが》っても受《う》けられないのは、自《じ》分《ぶん》の快《かい》楽《らく》のために使《つか》おうとして、悪《わる》い動《どう》機《き》で願《ねが》うからです。 ヤコブ 4:4 貞《てい》操《そう》のない人《ひと》たち。世《よ》を愛《あい》することは神《かみ》に敵《てき》することであることがわからないのですか。世《よ》の友《とも》となりたいと思《おも》ったら、その人《ひと》は自《じ》分《ぶん》を神《かみ》の敵《てき》としているのです。 ヤコブ 4:5 それとも、「神《かみ》は、私たちのうちに住《す》まわせた御《み》霊《たま》を、ねたむほどに慕《した》っておられる」という聖《せい》書《しょ》のことばが、無《む》意《い》味《み》だと思《おも》うのですか。 ヤコブ 4:6 しかし、神《かみ》は、さらに豊《ゆた》かな恵《めぐ》みを与《あた》えてくださいます。ですから、こう言《い》われています。「神《かみ》は、高《たか》ぶる者《もの》を退《しりぞ》け、へりくだる者《もの》に恵《めぐ》みをお授《さず》けになる。」 ヤコブ 4:7 ですから、神《かみ》に従《したが》いなさい。そして、悪《あく》魔《ま》に立《た》ち向《む》かいなさい。そうすれば、悪《あく》魔《ま》はあなたがたから逃《に》げ去《さ》ります。 ヤコブ 4:8 神《かみ》に近《ちか》づきなさい。そうすれば、神《かみ》はあなたがたに近《ちか》づいてくださいます。罪《つみ》ある人《ひと》たち。手《て》を洗《あら》いきよめなさい。二《ふた》心《ごころ》の人《ひと》たち。心《こころ》を清《きよ》くしなさい。 ヤコブ 4:9 あなたがたは、苦《くる》しみなさい。悲《かな》しみなさい。泣《な》きなさい。あなたがたの笑《わら》いを悲《かな》しみに、喜《よろこ》びを憂《うれ》いに変《か》えなさい。 ヤコブ 4:10 主《しゅ》の御《み》前《まえ》でへりくだりなさい。そうすれば、主《しゅ》があなたがたを高《たか》くしてくださいます。 ヤコブ 4:11 兄《きょう》弟《だい》たち。互《たが》いに悪《あっ》口《こう》を言《い》い合《あ》ってはいけません。自《じ》分《ぶん》の兄《きょう》弟《だい》の悪《あっ》口《こう》を言《い》い、自《じ》分《ぶん》の兄《きょう》弟《だい》をさばく者《もの》は、律《りっ》法《ぽう》の悪《あっ》口《こう》を言《い》い、律《りっ》法《ぽう》をさばいているのです。あなたが、もし律《りっ》法《ぽう》をさばくなら、律《りっ》法《ぽう》を守《まも》る者《もの》ではなくて、さばく者《もの》です。 ヤコブ 4:12 律《りっ》法《ぽう》を定《さだ》め、さばきを行《おこな》う方《かた》は、ただひとりであり、その方《かた》は救《すく》うことも滅《ほろ》ぼすこともできます。《と》隣《なり》人《びと》をさばくあなたは、いったい何《なに》者《もの》ですか。 ヤコブ 4:13 聞《き》きなさい。「きょうか、あす、これこれの町《まち》に行《い》き、そこに一年《ねん》いて、商《しょう》売《ばい》をして、もうけよう」と言《い》う人《ひと》たち。 ヤコブ 4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間《あいだ》現《あらわ》れて、それから消《き》えてしまう霧《きり》にすぎません。 ヤコブ 4:15 むしろ、あなたがたはこう言《い》うべきです。「主《しゅ》のみこころなら、私たちは生《い》きていて、このことを、または、あのことをしよう。」 ヤコブ 4:16 ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇《ほこ》りをもって高《たか》ぶっています。そのような高《たか》ぶりは、すべて悪《わる》いことです。 ヤコブ 4:17 こういうわけで、なすべき正《ただ》しいことを知《し》っていながら行《おこな》わないなら、それはその人《ひと》の罪《つみ》です。 |
11月04日
ヤコブ 5
| ヤコブ 5:1 聞《き》きなさい。金《かね》持《も》ちたち。あなたがたの上《うえ》に迫《せま》って来《く》る悲《ひ》惨《さん》を思《おも》って泣《な》き叫《さけ》びなさい。 ヤコブ 5:2 あなたがたの富《とみ》は腐《くさ》っており、あなたがたの着《き》物《もの》は虫《むし》に食《く》われており、 ヤコブ 5:3 あなたがたの金《きん》銀《ぎん》にはさびが来《き》て、そのさびが、あなたがたを責《せ》める証《しょう》言《げん》となり、あなたがたの肉《にく》を火《ひ》のように食《く》い尽《つ》くします。あなたがたは、終《お》わりの日《ひ》に財《ざい》宝《ほう》をたくわえました。 ヤコブ 5:4 見《み》なさい。あなたがたの畑《はたけ》の刈《か》り入《い》れをした労《ろう》働《どう》者《しゃ》への未《み》払《はら》い賃《ちん》金《ぎん》が、叫《さけ》び声《ごえ》をあげています。そして、取《と》り入《い》れをした人《ひと》たちの叫《さけ》び声《ごえ》は、万《ばん》軍《ぐん》の主《しゅ》の耳《みみ》に届《とど》いています。 ヤコブ 5:5 あなたがたは、地《ち》上《じょう》でぜいたくに暮《く》らし、快《かい》楽《らく》にふけり、殺《ころ》される日《ひ》にあたって自《じ》分《ぶん》の心《こころ》を太《ふと》らせました。 ヤコブ 5:6 あなたがたは、正《ただ》しい人《ひと》を罪《つみ》に定《さだ》めて、殺《ころ》しました。彼《かれ》はあなたがたに抵《てい》抗《こう》しません。 ヤコブ 5:7 こういうわけですから、兄《きょう》弟《だい》たち。主《しゅ》が来《こ》られる時《とき》まで耐《た》え忍《しの》びなさい。見《み》なさい。農《のう》夫《ふ》は、大《だい》地《ち》の貴《き》重《ちょう》な実《みの》りを、秋《あき》の雨《あめ》や春《はる》の雨《あめ》が降《ふ》るまで、耐《た》え忍《しの》んで待《ま》っています。 ヤコブ 5:8 あなたがたも耐《た》え忍《しの》びなさい。心《こころ》を強《つよ》くしなさい。主《しゅ》の来《こ》られるのが近《ちか》いからです。 ヤコブ 5:9 兄《きょう》弟《だい》たち。互《たが》いにつぶやき合《あ》ってはいけません。さばかれないためです。見《み》なさい。さばきの主《しゅ》が、戸《と》口《ぐち》のところに立《た》っておられます。 ヤコブ 5:10 苦《く》難《なん》と忍《にん》耐《たい》については、兄《きょう》弟《だい》たち、主《しゅ》の御《み》名《な》によって語《かた》った預《よ》言《げん》者《しゃ》たちを模《も》範《はん》にしなさい。 ヤコブ 5:11 見《み》なさい。耐《た》え忍《しの》んだ人《ひと》たちは幸《さいわ》いであると、私たちは考《かんが》えます。あなたがたは、ヨブの忍《にん》耐《たい》のことを聞《き》いています。また、主《しゅ》が彼《かれ》になさったことの結《けつ》末《まつ》を見《み》たのです。主《しゅ》は慈《じ》愛《あい》に富《と》み、あわれみに満《み》ちておられる方《かた》だということです。 ヤコブ 5:12 私の兄《きょう》弟《だい》たちよ。何《なに》よりもまず、誓《ちか》わないようにしなさい。天《てん》をさしても地《ち》をさしても、そのほかの何《なに》をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会《あ》わないためです。 ヤコブ 5:13 あなたがたのうちに苦《くる》しんでいる人《ひと》がいますか。その人《ひと》は祈《いの》りなさい。喜《よろこ》んでいる人《ひと》がいますか。その人《ひと》は賛《さん》美《び》しなさい。 ヤコブ 5:14 あなたがたのうちに病《びょう》気《き》の人《ひと》がいますか。その人《ひと》は教《きょう》会《かい》の長《ちょう》老《ろう》たちを招《まね》き、主《しゅ》の御《み》名《な》によって、オリーブ油《ゆ》を塗《ぬ》って祈《いの》ってもらいなさい。 ヤコブ 5:15 信《しん》仰《こう》による祈《いの》りは、病《や》む人《ひと》を回《かい》復《ふく》させます。主《しゅ》はその人《ひと》を立《た》たせてくださいます。また、もしその人《ひと》が罪《つみ》を犯《おか》していたなら、その罪《つみ》は赦《ゆる》されます。 ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互《たが》いに罪《つみ》を言《い》い表《あらわ》し、互《たが》いのために祈《いの》りなさい。いやされるためです。義《ぎ》人《じん》の祈《いの》りは働《はたら》くと、大《おお》きな力《ちから》があります。 ヤコブ 5:17 エリヤは、私たちと同《おな》じような人《ひと》でしたが、雨《あめ》が降《ふ》らないように熱《ねっ》心《しん》に祈《いの》ると、三年《ねん》六か月《げつ》の間《あいだ》、地《ち》に雨《あめ》が降《ふ》りませんでした。 ヤコブ 5:18 そして、再《ふたた》び祈《いの》ると、天《てん》は雨《あめ》を降《ふ》らせ、地《ち》はその実《み》を実《みの》らせました。 ヤコブ 5:19 私の兄《きょう》弟《だい》たち。あなたがたのうちに、真《しん》理《り》から迷《まよ》い出《で》た者《もの》がいて、だれかがその人《ひと》を連《つ》れ戻《もど》すようなことがあれば、 ヤコブ 5:20 罪《つみ》人《びと》を迷《まよ》いの道《みち》から引《ひ》き戻《もど》す者《もの》は、罪《つみ》人《びと》のたましいを死《し》から救《すく》い出《だ》し、また、多《おお》くの罪《つみ》をおおうのだということを、あなたがたは知《し》っていなさい。 |
11月05日
1ペテロ 1
| 1ペテロ 1:1 イエス・キリストの使《し》徒《と》ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散《ち》って寄《き》留《りゅう》している、選《えら》ばれた人《ひと》々《びと》、すなわち、 1ペテロ 1:2 父《ちち》なる神《かみ》の予《よ》知《ち》に従《したが》い、御《み》霊《たま》の聖《きよ》めによって、イエス・キリストに従《したが》うように、またその血《ち》の注《そそ》ぎかけを受《う》けるように選《えら》ばれた人《ひと》々《びと》へ。どうか、恵《めぐ》みと平《へい》安《あん》が、あなたがたの上《うえ》にますます豊《ゆた》かにされますように。 1ペテロ 1:3 私たちの主《しゅ》イエス・キリストの父《ちち》なる神《かみ》がほめたたえられますように。神《かみ》は、ご自《じ》分《ぶん》の大《おお》きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死《し》者《しゃ》の中《なか》からよみがえられたことによって、私たちを新《あたら》しく生《う》まれさせて、生《い》ける望《のぞ》みを持《も》つようにしてくださいました。 1ペテロ 1:4 また、朽《く》ちることも汚《けが》れることも、消《き》えて行《い》くこともない資《し》産《さん》を受《う》け継《つ》ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天《てん》にたくわえられているのです。 1ペテロ 1:5 あなたがたは、信《しん》仰《こう》により、神《かみ》の御《み》力《ちから》によって守《まも》られており、終《お》わりのときに現《あらわ》されるように用《よう》意《い》されている救《すく》いをいただくのです。 1ペテロ 1:6 そういうわけで、あなたがたは大《おお》いに喜《よろこ》んでいます。いまは、しばらくの間《あいだ》、さまざまの試《し》練《れん》の中《なか》で、悲《か》し《な》まなければならないのですが、 1ペテロ 1:7 あなたがたの信《しん》仰《こう》の試《し》練《れん》は、火《ひ》で精《せい》錬《れん》されつつなお朽《く》ちて行《い》く金《きん》よりも尊《たっと》く、イエス・キリストの現《あらわ》れのときに称《しょう》賛《さん》と光《こう》栄《えい》と栄《えい》誉《よ》になることがわかります。 1ペテロ 1:8 あなたがたはイエス・キリストを見《み》たことはないけれども愛《あい》しており、いま見《み》てはいないけれども信《しん》じており、ことばに尽《つ》くすことのできない、栄《さか》えに満《み》ちた喜《よろこ》びにおどっています。 1ペテロ 1:9 これは、信《しん》仰《こう》の結《けっ》果《か》である、たましいの救《すく》いを得《え》ているからです。 1ペテロ 1:10 この救《すく》いについては、あなたがたに対《たい》する恵《めぐ》みについて預《よ》言《げん》した預《よ》言《げん》者《しゃ》たちも、熱《ねっ》心《しん》に尋《たず》ね、細《こま》かく調《しら》べました。 1ペテロ 1:11 彼《かれ》らは、自《じ》分《ぶん》たちのうちにおられるキリストの御《み》霊《たま》が、キリストの苦《く》難《なん》とそれに続《つづ》く栄《えい》光《こう》を前《まえ》もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時《とき》をさして言《い》われたのかを調《しら》べたのです。 1ペテロ 1:12 彼《かれ》らは、それらのことが、自《じ》分《ぶん》たちのためではなく、あなたがたのための奉《ほう》仕《し》であるとの啓《けい》示《じ》を受《う》けました。そして今《いま》や、それらのことは、天《てん》から送《おく》られた聖《せ》霊《いれ》に《い》よってあなたがたに福《ふく》音《いん》を語《かた》った人《ひと》々《びと》を通《とお》して、あなたがたに告《つ》げ知《し》らされたのです。それは御《み》使《つか》いたちもはっきり見《み》たいと願《ねが》っていることなのです。 1ペテロ 1:13 ですから、あなたがたは、心《こころ》を引《ひ》き締《し》め、身《み》を慎《つつし》み、イエス・キリストの現《あらわ》れのときあなたがたにもたらされる恵《めぐ》みを、ひたすら待《ま》ち望《のぞ》みなさい。 1ペテロ 1:14 従《じゅう》順《じゅん》な子《こ》どもとなり、以《い》前《ぜん》あなたがたが無《む》知《ち》であったときのさまざまな欲《よく》望《ぼう》に従《したが》わず、 1ペテロ 1:15 あなたがたを召《め》してくださった聖《せい》なる方《かた》にならって、あなたがた自《じ》身《しん》も、あらゆる行《おこな》いにおいて聖《せい》なるものとされなさい。 1ペテロ 1:16 それは、「わたしが聖《せい》であるから、あなたがたも、聖《せい》でなければならない」と書《か》いてあるからです。 1ペテロ 1:17 また、人《ひと》をそれぞれのわざに従《したが》って公《こう》平《へい》にさばかれる方《かた》を父《ちち》と呼《よ》んでいるのなら、あなたがたが地《ち》上《じょう》にしばらくとどまっている間《あいだ》の時《とき》を、恐《おそ》れかしこんで過《す》ごしなさい。 1ペテロ 1:18 ご承《しょう》知《ち》のように、あなたがたが父《ふ》祖《そ》伝《でん》来《らい》のむなしい生《い》き方《かた》から贖《あがな》い出《だ》されたのは、銀《ぎん》や金《きん》のような朽《く》ちる物《もの》にはよらず、 1ペテロ 1:19 傷《きず》もなく汚《けが》れもない小《こ》羊《ひつじ》のようなキリストの、尊《たっと》い血《ち》によったのです。 1ペテロ 1:20 キリストは、世《よ》の始《はじ》まる前《まえ》から知《し》られていましたが、この終《お》わりの時《とき》に、あなたがたのために、現《あらわ》れてくださいました。 1ペテロ 1:21 あなたがたは、死《し》者《しゃ》の中《なか》からこのキリストをよみがえらせて彼《かれ》に栄《えい》光《こう》を与《あた》えられた神《かみ》を、キリストによって信《しん》じる人《ひと》々《びと》です。このようにして、あなたがたの信《しん》仰《こう》と希《き》望《ぼう》は神《かみ》にかかっているのです。 1ペテロ 1:22 あなたがたは、真《しん》理《り》に従《したが》うことによって、たましいを清《きよ》め、偽《いつわ》りのない兄《きょう》弟《だい》愛《あい》を抱《いだ》くようになったのですから、互《たが》いに心《こころ》から熱《あつ》く愛《あい》し合《あ》いなさい。 1ペテロ 1:23 あなたがたが新《あたら》しく生《う》まれたのは、朽《く》ちる種《たね》からではなく、朽《く》ちない種《たね》からであり、生《い》ける、いつまでも変《か》わることのない、神《かみ》のことばによるのです。 1ペテロ 1:24 「人《ひと》はみな草《くさ》のようで、その栄《さか》えは、みな草《くさ》の花《はな》のようだ。草《くさ》はしおれ、花《はな》は散《ち》る。 1ペテロ 1:25 しかし、主《しゅ》のことばは、とこしえに変《か》わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣《の》べ伝《つた》えられた福《ふく》音《いん》のことばがこれです。 |
11月06日
1ペテロ 2
| 1ペテロ 2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪《あく》意《い》、すべてのごまかし、いろいろな偽《ぎ》善《ぜん》やねたみ、すべての悪《あっ》口《こう》を捨《す》てて、 1ペテロ 2:2 生《う》まれたばかりの乳《ち》飲《の》み子《ご》のように、純《じゅん》粋《すい》な、みことばの乳《ちち》を慕《した》い求《もと》めなさい。それによって成《せい》長《ちょう》し、救《すく》いを得《え》るためです。 1ペテロ 2:3 あなたがたはすでに、主《しゅ》がいつくしみ深《ぶか》い方《かた》であることを味《あじ》わっているのです。 1ペテロ 2:4 主《しゅ》のもとに来《き》なさい。主《しゅ》は、人《ひと》には捨《す》てられたが、神《かみ》の目《め》には、選《えら》ばれた、尊《たっと》い、生《い》ける石《いし》です。 1ペテロ 2:5 あなたがたも生《い》ける石《いし》として、霊《れい》の家《いえ》に築《きず》き上《あ》げられなさい。そして、聖《せい》なる祭《さい》司《し》として、イエス・キリストを通《とお》して、神《かみ》に喜《よろこ》ばれる霊《れい》のいけにえをささげなさい。 1ペテロ 2:6 なぜなら、聖《せい》書《しょ》にこうあるからです。「見《み》よ。わたしはシオンに、選《えら》ばれた石《いし》、尊《たっと》い礎《そ》石《せき》を置《お》く。彼《かれ》に信《しん》頼《らい》する者《もの》は、決《けっ》して失《しつ》望《ぼう》させられることがない。」 1ペテロ 2:7 したがって、より頼《たの》んでいるあなたがたには尊《たっと》いものですが、より頼《たの》んでいない人《ひと》々《びと》にとっては、「家《いえ》を建《た》てる者《もの》たちが捨《す》てた石《いし》、それが礎《いしずえ》の石《いし》となった」のであって、 1ペテロ 2:8 「つまずきの石《いし》、妨《さまた》げの岩《いわ》」なのです。彼《かれ》らがつまずくのは、みことばに従《したが》わないからですが、またそうなるように定《さだ》められていたのです。 1ペテロ 2:9 しかし、あなたがたは、選《えら》ばれた種《しゅ》族《ぞく》、王《おう》である祭《さい》司《し》、聖《せい》なる国《こく》民《みん》、神《かみ》の所《しょ》有《ゆう》とされた民《たみ》です。それは、あなたがたを、やみの中《なか》から、ご自《じ》分《ぶん》の驚《おどろ》くべき光《ひかり》の中《なか》に招《まね》いてくださった方《かた》のすばらしいみわざを、あなたがたが宣《の》べ伝《つた》えるためなのです。 1ペテロ 2:10 あなたがたは、以《い》前《ぜん》は神《かみ》の民《たみ》ではなかったのに、今《いま》は神《かみ》の民《たみ》であり、以《い》前《ぜん》はあわれみを受《う》けない者《もの》であったのに、今《いま》はあわれみを受《う》けた者《もの》です。 1ペテロ 2:11 愛《あい》する者《もの》たちよ。あなたがたにお勧《すす》めします。旅《たび》人《びと》であり寄《き》留《りゅう》者《しゃ》であるあなたがたは、たましいに《た》戦《たか》いをいどむ肉《にく》の欲《よく》を遠《とお》ざけなさい。 1ペテロ 2:12 異《い》邦《ほう》人《じん》の中《なか》にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼《かれ》らは、何《なに》かのことであなたがたを悪《あく》人《にん》呼《よ》ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行《おこな》いを見《み》て、おとずれの日《ひ》に神《かみ》をほめたたえるようになります。 1ペテロ 2:13 人《ひと》の立《た》てたすべての制《せい》度《ど》に、主《しゅ》のゆえに従《したが》いなさい。それが主《しゅ》権《けん》者《しゃ》である王《おう》であっても、 1ペテロ 2:14 また、悪《あく》を行《おこな》う者《もの》を罰《ばっ》し、善《ぜん》を行《おこな》う者《もの》をほめるように王《おう》から遣《つか》わされた総《そう》督《とく》であっても、そうしなさい。 1ペテロ 2:15 というのは、善《ぜん》を行《おこな》って、愚《おろ》かな人《ひと》々《びと》の無《む》知《ち》の口《くち》を封《ふう》じることは、神《かみ》のみこころだからです。 1ペテロ 2:16 あなたがたは自《じ》由《ゆう》人《じん》として行《こう》動《どう》しなさい。その自《じ》由《ゆう》を、悪《あく》の口《こう》実《じつ》に用《もち》いないで、神《かみ》の奴《ど》隷《れい》として用《もち》いなさい。 1ペテロ 2:17 すべての人《ひと》を敬《うやま》いなさい。兄《きょう》弟《だい》たちを愛《あい》し、神《かみ》を恐《おそ》れ、王《おう》を尊《たっと》びなさい。 1ペテロ 2:18 しもべたちよ。尊《そん》敬《けい》の心《こころ》を込《こ》めて主《しゅ》人《じん》に服《ふく》従《じゅう》しなさい。善《ぜん》良《りょう》で優《やさ》しい主《しゅ》人《じん》に対《たい》してだけでなく、横《おう》暴《ぼう》な主《しゅ》人《じん》に対《たい》しても従《したが》いなさい。 1ペテロ 2:19 人《ひと》がもし、不《ふ》当《とう》な苦《くる》しみを受《う》けながらも、神《かみ》の前《まえ》における良《りょう》心《しん》のゆえに、悲《かな》しみをこらえるなら、それは喜《よろこ》ばれることです。 1ペテロ 2:20 罪《つみ》を犯《おか》したために打《う》ちたたかれて、それを耐《た》え忍《しの》んだからといって、何《なん》の誉《ほま》れになるでしょう。けれども、善《ぜん》を行《おこな》っていて苦《くる》しみを受《う》け、それを耐《た》え忍《しの》ぶとしたら、それは、神《かみ》に喜《よろこ》ばれることです。 1ペテロ 2:21 あなたがたが召《め》されたのは、実《じつ》にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦《くる》しみを受《う》け、その足《あし》跡《あと》に従《したが》うようにと、あなたがたに模《も》範《はん》を残《のこ》されました。 1ペテロ 2:22 キリストは罪《つみ》を犯《おか》したことがなく、その口《くち》に何《なん》の偽《いつわ》りも見《み》いだされませんでした。 1ペテロ 2:23 ののしられても、ののしり返《かえ》さず、苦《くる》しめられても、おどすことをせず、正《ただ》しくさばかれる方《かた》にお任《まか》せになりました。 1ペテロ 2:24 そして自《じ》分《ぶん》から十《じゅう》字《じ》架《か》の上《うえ》で、私たちの罪《つみ》をその身《み》に負《お》われました。それは、私たちが罪《つみ》を離《はな》れ、義《ぎ》のために生《い》きるためです。キリストの打《う》ち傷《きず》のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 1ペテロ 2:25 あなたがたは、羊《ひつじ》のようにさまよっていましたが、今《いま》は、自《じ》分《ぶん》のたましいの牧《ぼく》者《しゃ》であり監《かん》督《とく》者《しゃ》である方《かた》のもとに帰《かえ》ったのです。 |
11月07日
1ペテロ 3
| 1ペテロ 3:1 同《おな》じように、妻《つま》たちよ。自《じ》分《ぶん》の夫《おっと》に服《ふく》従《じゅう》しなさい。たとい、みことばに従《したが》わない夫《おっと》であっても、妻《つま》の無《む》言《ごん》のふるまいによって、神《かみ》のものとされるようになるためです。 1ペテロ 3:2 それは、あなたがたの、神《かみ》を恐《おそ》れかしこむ清《きよ》い生《い》き方《かた》を彼《かれ》らが見《み》るからです。 1ペテロ 3:3 あなたがたは、髪《かみ》を編《あ》んだり、金《きん》の飾《かざ》りをつけたり、着《き》物《もの》を着《き》飾《かざ》るような外《がい》面《めん》的《てき》なものでなく、 1ペテロ 3:4 むしろ、柔《にゅう》和《わ》で穏《おだ》やかな霊《れい》という朽《く》ちることのないものを持《も》つ、心《こころ》の中《なか》の隠《かく》れた人《ひと》がらを飾《かざ》りにしなさい。これこそ、神《かみ》の御《み》前《まえ》に価《か》値《ち》あるものです。 1ペテロ 3:5 むかし神《かみ》に望《のぞ》みを置《お》いた敬《けい》虔《けん》な婦《ふ》人《じん》たちも、このように自《じ》分《ぶん》を飾《かざ》って、夫《おっと》に従《したが》ったのです。 1ペテロ 3:6 たとえばサラも、アブラハムを主《しゅ》と呼《よ》んで彼《かれ》に従《したが》いました。あなたがたも、どんなことをも恐《おそ》れないで善《ぜん》を行《おこな》えば、サラの子《こ》となるのです。 1ペテロ 3:7 同《おな》じように、夫《おっと》たちよ。妻《つま》が女《じょ》性《せい》であって、自《じ》分《ぶん》よりも弱《よわ》い器《うつわ》だということをわきまえて妻《つま》とともに生《せい》活《かつ》し、いのちの恵《めぐ》みをともに受《う》け継《つ》ぐ者《もの》として尊《そん》敬《けい》しなさい。それは、あなたがたの祈《いの》りが妨《さまた》げられないためです。 1ペテロ 3:8 最《さい》後《ご》に申《もう》します。あなたがたはみな、心《こころ》を一つにし、同《どう》情《じょう》し合《あ》い、兄《きょう》弟《だい》愛《あい》を示《しめ》し、あわれみ深《ぶか》く、謙《けん》遜《そん》でありなさい。 1ペテロ 3:9 悪《あく》をもって悪《あく》に報《むく》いず、侮《ぶ》辱《じょく》をもって侮《ぶ》辱《じょく》に報《むく》いず、かえって祝《しゅく》福《ふく》を与《あた》えなさい。あなたがたは祝《しゅく》福《ふく》を受《う》け継《つ》ぐために召《め》されたのだからです。 1ペテロ 3:10 「いのちを愛《あい》し、幸《さいわ》いな日《ひ》々《び》を過《す》ごしたいと思《おも》う者《もの》は、舌《した》を押《お》さえて悪《あく》を言《い》わず、くちびるを閉《と》ざして偽《いつわ》りを語《かた》らず、 1ペテロ 3:11 悪《あく》から遠《とお》ざかって善《ぜん》を行《おこな》い、平《へい》和《わ》を求《もと》めてこれを追《お》い求《もと》めよ。 1ペテロ 3:12 主《しゅ》の目《め》は義《ぎ》人《じん》の上《うえ》に注《そそ》がれ、主《しゅ》の耳《みみ》は彼《かれ》らの祈《いの》りに傾《かたむ》けられる。しかし主《しゅ》の顔《かお》は、悪《あく》を行《おこな》う者《もの》に立《た》ち向《む》かう。」 1ペテロ 3:13 もし、あなたがたが善《ぜん》に熱《ねっ》心《しん》であるなら、だれがあなたがたに害《がい》を加《くわ》えるでしょう。 1ペテロ 3:14 いや、たとい義《ぎ》のために苦《くる》しむことがあるにしても、それは幸《さいわ》いなことです。彼《かれ》らの脅《おびや》かしを恐《おそ》れたり、それによって心《こころ》を動《どう》揺《よう》させたりしてはいけません。 1ペテロ 3:15 むしろ、心《こころ》の中《なか》でキリストを主《しゅ》としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希《き》望《ぼう》について説《せつ》明《めい》を求《もと》める人《ひと》には、だれにでもいつでも弁《べん》明《めい》できる用《よう》意《い》をしていなさい。 1ペテロ 3:16 ただし、優《やさ》しく、慎《つつし》み恐《おそ》れて、また、正《ただ》しい良《りょう》心《しん》をもって弁《べん》明《めい》しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正《ただ》しい生《い》き方《かた》をののしる人《ひと》たちが、あなたがたをそしったことで恥《は》じ入《い》るでしょう。 1ペテロ 3:17 もし、神《かみ》のみこころなら、善《ぜん》を行《おこな》って苦《くる》しみを受《う》けるのが、悪《あく》を行《おこな》って苦《くる》しみを受《う》けるよりよいのです。 1ペテロ 3:18 キリストも一度《ど》罪《つみ》のために死《し》なれました。正《ただ》しい方《かた》が悪《わる》い人《ひと》々《びと》の身《み》代《が》わりとなったのです。それは、肉《にく》においては死《し》に渡《わた》され、霊《れい》においては生《い》かされて、私たちを神《かみ》のみもとに導《みちび》くためでした。 1ペテロ 3:19 その霊《れい》において、キリストは捕《と》らわれの霊《れい》たちのところに行《い》って、みことばを語《かた》られたのです。 1ペテロ 3:20 昔《むかし》、ノアの時《じ》代《だい》に、箱《はこ》舟《ぶね》が造《つく》られていた間《あいだ》、神《かみ》が忍《にん》耐《たい》して待《ま》っておられたときに、従《したが》わなかった霊《れい》たちのことです。わずか八人《にん》の人《ひと》々《びと》が、この箱《はこ》舟《ぶね》の中《なか》で、水《みず》を通《とお》って救《すく》われたのです。 1ペテロ 3:21 そのことは、今《いま》あなたがたを救《すく》うバプテスマをあらかじめ示《しめ》した型《かた》なのです。バプテスマは肉《にく》体《たい》の汚《けが》れを取《と》り除《のぞ》くものではなく、正《ただ》しい良《りょう》心《しん》の神《かみ》への誓《ちか》いであり、イエス・キリストの復《ふっ》活《かつ》によるものです。 1ペテロ 3:22 キリストは天《てん》に上《のぼ》り、御《み》使《つか》いたち、および、もろもろの権《けん》威《い》と権《けん》力《りょく》を従《したが》えて、神《かみ》の右《みぎ》の座《ざ》におられます。 |
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