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6月08日

使徒の働き 27
使徒の働き 27:1 さて、私たちが船《ふね》でイタリヤへ行《い》くことが決《き》まったとき、パウロと、ほかの数《すう》人《にん》の囚《しゅう》人《じん》は、ユリアスという親《しん》衛《えい》隊《たい》の百《ひゃく》人《にん》隊《たい》長《ちょう》に引《ひ》き渡《わた》された。
使徒の働き 27:2 私たちは、アジヤの沿《えん》岸《がん》の各《かく》地《ち》に寄《き》港《こう》して行《い》くアドラミテオの船《ふね》に乗《の》り込《こ》んで出《しゅっ》帆《ぱん》した。テサロニケのマケドニヤ人《じん》アリスタルコも同《どう》行《こう》した。
使徒の働き 27:3 翌《よく》日《じつ》、シドンに入《にゅう》港《こう》した。ユリアスはパウロを親《しん》切《せつ》に取《と》り扱《あつか》い、友《ゆう》人《じん》たちのところへ行《い》って、もてなしを受《う》けることを許《ゆる》した。
使徒の働き 27:4 そこから出《しゅっ》帆《ぱん》したが、向《む》かい風《かぜ》なので、キプロスの島《しま》陰《かげ》を航《こう》行《こう》した。
使徒の働き 27:5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖《おき》を航《こう》行《こう》して、ルキヤのミラに入《にゅう》港《こう》した。
使徒の働き 27:6 そこに、イタリヤへ行《い》くアレキサンドリヤの船《ふね》があったので、百《ひゃく》人《にん》隊《たい》長《ちょう》は私たちをそれに乗《の》り込《こ》ませた。
使徒の働き 27:7 幾《いく》日《にち》かの間《あいだ》、船《ふね》の進《すす》みはおそく、ようやくのことでクニドの沖《おき》に着《つ》いたが、風《かぜ》のためにそれ以《い》上《じょう》進《すす》むことができず、サルモネ沖《おき》のクレテの島《しま》陰《かげ》を航《こう》行《こう》し、
使徒の働き 27:8 その岸《きし》に沿《そ》って進《すす》みながら、ようやく、良《よ》い港《みなと》と呼《よ》ばれる所《ところ》に着《つ》いた。その近《ちか》くにラサヤの町《まち》があった。
使徒の働き 27:9 かなりの日《にっ》数《すう》が経《けい》過《か》しており、断《だん》食《じき》の季《き》節《せつ》もすでに過《す》ぎていたため、もう航《こう》海《かい》は危《き》険《けん》であったので、パウロは人《ひと》々《びと》に注《ちゅう》意《い》して、
使徒の働き 27:10 「皆《みな》さん。この航《こう》海《かい》では、きっと、積《つみ》荷《に》や船《せん》体《たい》だけではなく、私たちの生《せい》命《めい》にも、危《き》害《がい》と大《おお》きな損《そん》失《しつ》が及《およ》ぶと、私は考《かんが》えます」と言《い》った。
使徒の働き 27:11 しかし百《ひゃく》人《にん》隊《たい》長《ちょう》は、パウロのことばよりも、航《こう》海《かい》士《し》や船《せん》長《ちょう》のほうを信《しん》用《よう》した。
使徒の働き 27:12 また、この港《みなと》が冬《ふゆ》を過《す》ごすのに適《てき》していなかったので、大《だい》多《た》数《すう》の者《もの》の意《い》見《けん》は、ここを出《しゅっ》帆《ぱん》して、できれば何《なん》とかして、南《なん》西《せい》と北《ほく》西《せい》とに面《めん》しているクレテの港《みなと》ピニクスまで行《い》って、そこで冬《ふゆ》を過《す》ごしたいということになった。
使徒の働き 27:13 おりから、穏《おだ》やかな南《みなみ》風《かぜ》が吹《ふ》いて来《く》ると、人《ひと》々《びと》はこの時《とき》とばかり錨《いかり》を上《あ》げて、クレテの海《かい》岸《がん》に沿《そ》って航《こう》行《こう》した。
使徒の働き 27:14 ところが、まもなくユーラクロンという暴《ぼう》風《ふう》が陸《りく》から吹《ふ》きおろして来《き》て、
使徒の働き 27:15 船《ふね》はそれに巻《ま》き込《こ》まれ、風《かぜ》に逆《さか》らって進《すす》むことができないので、しかたなく吹《ふ》き流《なが》されるままにした。
使徒の働き 27:16 しかしクラウダという小《ちい》さな島《しま》の陰《かげ》に入《はい》ったので、ようやくのことで小《こ》舟《ぶね》を処《しょ》置《ち》することができた。
使徒の働き 27:17 小《こ》舟《ぶね》を船《ふね》に引《ひ》き上《あ》げ、備《そな》え綱《づな》で船《せん》体《たい》を巻《ま》いた。また、スルテスの浅《あさ》瀬《せ》に乗《の》り上《あ》げるのを恐《おそ》れて、船《ふな》具《ぐ》をはずして流《なが》れるに任《まか》せた。
使徒の働き 27:18 私たちは暴《ぼう》風《ふう》に激《はげ》しく翻《ほん》弄《ろう》されていたので、翌《よく》日《じつ》、人《ひと》々《びと》は積《つみ》荷《に》を捨《す》て始《はじ》め、
使徒の働き 27:19 三《みっ》日《か》目《め》には、自《じ》分《ぶん》の手《て》で船《ふな》具《ぐ》までも投《な》げ捨《す》てた。
使徒の働き 27:20 太《たい》陽《よう》も星《ほし》も見《み》えない日《ひ》が幾《いく》日《にち》も続《つづ》き、激《はげ》しい暴《ぼう》風《ふう》が吹《ふ》きまくるので、私たちが助《たす》かる最《さい》後《ご》の望《のぞ》みも今《いま》や絶《た》たれようとしていた。
使徒の働き 27:21 だれも長《なが》いこと食《しょく》事《じ》をとらなかったが、そのときパウロが彼《かれ》らの中《なか》に立《た》って、こう言《い》った。「皆《み》さ《な》ん。あなたがたは私の忠《ちゅう》告《こく》を聞《き》き入《い》れて、クレテを出《しゅっ》帆《ぱん》しなかったら、こんな危《き》害《がい》や損《そん》失《しつ》をこうむらなくて済《す》んだのです。
使徒の働き 27:22 しかし、今《いま》、お勧《すす》めします。元《げん》気《き》を出《だ》しなさい。あなたがたのうち、いのちを失《うしな》う者《もの》はひとりもありません。失《うしな》われるのは船《ふね》だけです。
使徒の働き 27:23 昨《さく》夜《や》、私の主《しゅ》で、私の仕《つか》えている神《かみ》の御《み》使《つか》いが、私の前《まえ》に立《た》って、
使徒の働き 27:24 こう言《い》いました。『恐《おそ》れてはいけません。パウロ。あなたは必《かなら》ずカイザルの前《まえ》に立《た》ちます。そして、神《かみ》はあなたと同《どう》船《せん》している人《ひと》々《びと》をみな、あなたにお与《あた》えになったのです。』
使徒の働き 27:25 ですから、皆《みな》さん。元《げん》気《き》を出《だ》しなさい。すべて私に告《つ》げられたとおりになると、私は神《かみ》によって信《しん》じています。
使徒の働き 27:26 私たちは必《かなら》ず、どこかの島《しま》に打《う》ち上《あ》げられます。」
使徒の働き 27:27 十四日《か》目《め》の夜《よる》になって、私たちがアドリヤ海《かい》を漂《ただよ》っていると、真《ま》夜《よ》中《なか》ごろ、水《すい》夫《ふ》たちは、どこかの陸《りく》地《ち》に近《ちか》づいたように感《かん》じた。
使徒の働き 27:28 水《みず》の深《ふか》さを測《はか》ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少《すこ》し進《すす》んでまた測《はか》ると、三十メートルほどであった。
使徒の働き 27:29 どこかで暗《あん》礁《しょう》に乗《の》り上《あ》げはしないかと心《しん》配《ぱい》して、ともから四つの錨《いかり》を投《な》げおろし、夜《よ》の明《あ》けるのを待《ま》った。
使徒の働き 27:30 ところが、水《すい》夫《ふ》たちは船《ふね》から逃《に》げ出《だ》そうとして、へさきから錨《いかり》を降《お》ろすように見《み》せかけて、小《こ》舟《ぶね》を海《うみ》に降《お》ろしていたので、
使徒の働き 27:31 パウロは百《ひゃく》人《にん》隊《たい》長《ちょう》や兵《へい》士《し》たちに、「あの人《ひと》たちが船《ふね》にとどまっていなければ、あなたがたも助《たす》かりません」と言《い》った。
使徒の働き 27:32 そこで兵《へい》士《し》たちは、小《こ》舟《ぶね》の綱《つな》を断《た》ち切《き》って、そのまま流《なが》れ去《さ》るのに任《まか》せた。
使徒の働き 27:33 ついに夜《よ》の明《あ》けかけたころ、パウロは、一《いち》同《どう》に食《しょく》事《じ》をとることを勧《すす》めて、こう言《い》った。「あなたがたは待《ま》ちに待《ま》って、きょうまで何《なに》も食《た》べずに過《す》ごして、十四日《か》になります。
使徒の働き 27:34 ですから、私はあなたがたに、食《しょく》事《じ》をとることを勧《すす》めます。これであなたがたは助《たす》かることになるのです。あなたがたの頭《あたま》から髪《かみ》一《ひと》筋《すじ》も失《うしな》われることはありません。」
使徒の働き 27:35 こう言《い》って、彼《かれ》はパンを取《と》り、一《いち》同《どう》の前《まえ》で神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》をささげてから、それを裂《さ》いて食《た》べ始《はじ》めた。
使徒の働き 27:36 そこで一《いち》同《どう》も元《げん》気《き》づけられ、みなが食《しょく》事《じ》をとった。
使徒の働き 27:37 船《ふね》にいた私たちは全《ぜん》部《ぶ》で二百七十六人《にん》であった。
使徒の働き 27:38 十《じゅう》分《ぶん》食《た》べてから、彼《かれ》らは麦《むぎ》を海《うみ》に投《な》げ捨《す》てて、船《ふね》を軽《かる》くした。
使徒の働き 27:39 夜《よ》が明《あ》けると、どこの陸《りく》地《ち》かわからないが、砂《すな》浜《はま》のある入《いり》江《え》が目《め》に留《と》まったので、できれば、そこに船《ふね》を乗り《の》入《い》れようということになった。
使徒の働き 27:40 錨《いかり》を切《き》って海《うみ》に捨《す》て、同《どう》時《じ》にかじ綱《づな》を解《と》き、風《かぜ》に前《まえ》の帆《ほ》を上《あ》げて、砂《すな》浜《はま》に向《む》かって進《すす》んで行《い》った。
使徒の働き 27:41 ところが、潮《ちょう》流《りゅう》の流《なが》れ合《あ》う浅《あさ》瀬《せ》に乗《の》り上《あ》げて、船《ふね》を座《ざ》礁《しょう》させてしまった。へさきはめり込《こ》んで動《うご》かなくなり、ともは激《はげ》しい波《なみ》に打《う》たれて破《やぶ》れ始《はじ》めた。
使徒の働き 27:42 兵《へい》士《し》たちは、囚《しゅう》人《じん》たちがだれも泳《およ》いで逃《に》げないように、殺《ころ》してしまおうと相《そう》談《だん》した。
使徒の働き 27:43 しかし百《ひゃく》人《にん》隊《たい》長《ちょう》は、パウロをあくまでも助《たす》けようと思《おも》って、その計《けい》画《かく》を押《お》さえ、泳《およ》げる者《もの》がまず海《うみ》に飛《と》び込《こ》んで陸《りく》に上《あ》がるように、
使徒の働き 27:44 それから残《のこ》りの者《もの》は、板《いた》切《き》れや、その他《た》の、船《ふね》にある物《もの》につかまって行《い》くように命《めい》じた。こうして、彼《かれ》らはみな、無《ぶ》事《じ》に陸《りく》に上《あ》がった。

6月09日

使徒の働き 28
使徒の働き 28:1 こうして救《すく》われてから、私たちは、ここがマルタと呼《よ》ばれる島《しま》であることを知《し》った。
使徒の働き 28:2 島《し》の《ま》人《ひと》々《びと》は私たちに非《ひ》常《じょう》に親《しん》切《せつ》にしてくれた。おりから雨《あめ》が降《ふ》りだして寒《さむ》かったので、彼《かれ》らは火《ひ》をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
使徒の働き 28:3 パウロがひとかかえの柴《しば》をたばねて火《ひ》にくべると、熱《ねっ》気《き》のために、一匹《ぴき》のまむしがはい出《だ》して来《き》て、彼《かれ》の手《て》に取《と》りついた。
使徒の働き 28:4 島《し》の《ま》人《ひと》々《びと》は、この生《い》き物《もの》がパウロの手《て》から下《さ》がっているのを見《み》て、「この人《ひと》はきっと人《ひと》殺《ごろ》しだ。海《うみ》からはのがれたが、正《せい》義《ぎ》の女《め》神《がみ》はこの人《ひと》を生《い》かしてはおかないのだ」と互《たが》いに話《はな》し合《あ》った。
使徒の働き 28:5 しかし、パウロは、その生《い》き物《もの》を火《ひ》の中《なか》に振《ふ》り落《お》として、何《なん》の害《がい》も受《う》けなかった。
使徒の働き 28:6 島《しま》の人《ひと》々《びと》は、彼《かれ》が今《いま》にも、はれ上《あ》がって来《く》るか、または、倒《たお》れて急《きゅう》死《し》するだろうと待《ま》っていた。しかし、いくら待《ま》っても、彼《かれ》に少《すこ》しも変《か》わった様《よう》子《す》が見《み》えないので、彼《かれ》らは考《かんが》えを変《か》えて、「この人《ひと》は神《かみ》さまだ」と言《い》いだした。
使徒の働き 28:7 さて、その場《ば》所《しょ》の近《ちか》くに、島《しま》の首《しゅ》長《ちょう》でポプリオという人《ひと》の領《りょう》地《ち》があった。彼《かれ》はそこに私たちを招《しょう》待《たい》して、三《みっ》日《か》間《かん》手《て》厚《あつ》くもてなしてくれた。
使徒の働き 28:8 たまたまポプリオの父《ちち》が、熱《ねつ》病《びょう》と下《げ》痢《り》とで床《とこ》に着《つ》いていた。そこでパウロは、その人《ひと》のもとに行《い》き、祈《いの》ってから、彼《かれ》の上《うえ》に手《て》を置《お》いて直《なお》してやった。
使徒の働き 28:9 このことがあってから、島《しま》のほかの病《びょう》人《にん》たちも来《き》て、直《なお》してもらった。
使徒の働き 28:10 それで彼《かれ》らは、私たちを非《ひ》常《じょう》に尊《そん》敬《けい》し、私たちが出《しゅっ》帆《ぱん》するときには、私たちに必《ひつ》要《よう》な品《しな》々《じな》を用《よう》意《い》してくれた。
使徒の働き 28:11 三か月《げつ》後《ご》に、私たちは、この島《しま》で冬《ふゆ》を過《す》ごしていた、船《せん》首《しゅ》にデオスクロイの飾《かざ》りのある、アレキサンドリヤの船《ふね》で出《しゅっ》帆《ぱん》した。
使徒の働き 28:12 シラクサに寄《き》港《こう》して、三《みっ》日《か》間《かん》とどまり、
使徒の働き 28:13 そこから回《まわ》って、レギオンに着《つ》いた。一日《にち》たつと、南《みなみ》風《かぜ》が吹《ふ》き始《はじ》めたので、二《ふつ》日《か》目《め》にはポテオリに入《にゅう》港《こう》した。
使徒の働き 28:14 ここで、私たちは兄《きょう》弟《だい》たちに会《あ》い、勧《すす》められるままに彼《かれ》らのところに七《なぬ》日《か》間《かん》滞《たい》在《ざい》した。こうして、私たちはローマに到《とう》着《ちゃく》した。
使徒の働き 28:15 私たちのことを聞《き》いた兄《きょう》弟《だい》たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出《で》迎《むか》えに来《き》てくれた。パウロは彼《かれ》らに会《あ》って、神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》し、勇《ゆう》気《き》づけられた。
使徒の働き 28:16 私たちがローマに入《はい》ると、パウロは番《ばん》兵《ぺい》付《つ》きで自《じ》分《ぶん》だけの家《いえ》に住《す》むことが許《ゆる》された。
使徒の働き 28:17 三《みっ》日《か》の後《のち》、パウロはユダヤ人《じん》のおもだった人《ひと》たちを呼《よ》び集《あつ》め、彼《かれ》らが集《あつ》まったときに、こう言《い》った。「兄《きょう》弟《だい》たち。私は、私の国《こく》民《みん》に対《たい》しても、先《せん》祖《ぞ》の慣《かん》習《しゅう》に対《たい》しても、何《なに》一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚《しゅう》人《じん》としてローマ人《じん》の手《て》に渡《わた》されました。
使徒の働き 28:18 ローマ人《じん》は私を取《と》り調《しら》べましたが、私を死《し》刑《けい》にする理《り》由《ゆう》が何《なに》もなかったので、私を釈《しゃく》放《ほう》しようと思《おも》ったのです。
使徒の働き 28:19 ところが、ユダヤ人《じん》たちが反《はん》対《たい》したため、私はやむなくカイザルに上《じょう》訴《そ》しました。それは、私の同《どう》胞《ほう》を訴《うった》えようとしたのではありません。
使徒の働き 28:20 このようなわけで、私は、あなたがたに会《あ》ってお話《はな》ししようと思《おも》い、お招《まね》きしました。私はイスラエルの望《のぞ》みのためにこの鎖《くさり》につながれているのです。」
使徒の働き 28:21 すると、彼《かれ》らはこう言《い》った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何《なん》の知《し》らせも受《う》けておりません。また、当《とう》地《ち》に来《き》た兄《きょう》弟《だい》たちの中《なか》で、あなたについて悪《わる》いことを告《つ》げたり、話《はな》したりした者《もの》はおりません。
使徒の働き 28:22 私たちは、あなたが考《かんが》えておられることを、直《ちょく》接《せつ》あなたから聞《き》くのがよいと思《おも》っています。この宗《しゅう》派《は》については、至《いた》る所《ところ》で非《ひ》難《なん》があることを私たちは知《し》っているからです。」
使徒の働き 28:23 そこで、彼《かれ》らは日《ひ》を定《さだ》めて、さらに大《おお》ぜいでパウロの宿《やど》にやって来《き》た。彼《かれ》は朝《あさ》から晩《ばん》まで語《かた》り続《つづ》けた。神《かみ》の国《くに》のことをあかしし、また、モーセの律《りっ》法《ぽう》と預《よ》言《げん》者《しゃ》たちの書《しょ》によって、イエスのことについて彼《かれ》らを説《せっ》得《とく》しようとした。
使徒の働き 28:24 ある人《ひと》々《びと》は彼《かれ》の語《かた》る事《こと》を信《しん》じたが、ある人《ひと》々《びと》は信《しん》じようとしなかった。
使徒の働き 28:25 こうして、彼《かれ》らは、お互《たが》いの意《い》見《けん》が一《いっ》致《ち》せずに帰《かえ》りかけたので、パウロは一《ひと》言《こと》、次《つぎ》のように言《い》った。「聖《せい》霊《れい》が預《よ》言《げん》者《しゃ》イザヤを通《とお》してあなたがたの父《ふ》祖《そ》たちに語《かた》られたことは、まさにそのとおりでした。
使徒の働き 28:26 『この民《たみ》のところに行《い》って、告《つ》げよ。あなたがたは確《たし》かに聞《き》きはするが、決《けっ》して悟《さと》らない。確《たし》かに見《み》てはいるが、決《けっ》してわからない。
使徒の働き 28:27 この民《たみ》の心《こころ》は鈍《にぶ》くなり、その耳《みみ》は遠《とお》く、その目《め》はつぶっているからである。それは、彼《かれ》らがその目《め》で見《み》、その耳《みみ》で聞《き》き、その心《こころ》で悟《さと》って、立《た》ち返《かえ》り、わたしにいやされることのないためである。』
使徒の働き 28:28 ですから、承《しょう》知《ち》しておいてください。神《かみ》のこの救《すく》いは、異《い》邦《ほう》人《じん》に送《おく》られました。彼《かれ》らは、耳《みみ》を傾《かたむ》けるでしょう。」
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使徒の働き 28:30 こうしてパウロは満《まん》二年《ねん》の間《あいだ》、自《じ》費《ひ》で借《か》りた家《いえ》に住《す》み、たずねて来《く》る人《ひと》たちをみな迎《むか》えて、
使徒の働き 28:31 大《だい》胆《たん》に、少《すこ》しも妨《さまた》げられることなく、神《かみ》の国《くに》を宣《の》べ伝《つた》え、主《しゅ》イエス・キリストのことを教《おし》えた。

6月10日

ローマ 1
ローマ 1:1 神《かみ》の福《ふく》音《いん》のために選《えら》び分《わ》けられ、使《し》徒《と》として召《め》されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
ローマ 1:2 ‐‐この福《ふく》音《いん》は、神《かみ》がその預《よ》言《げん》者《しゃ》たちを通《とお》して、聖《せい》書《しょ》において前《まえ》から約《やく》束《そく》されたもので、
ローマ 1:3 御《み》子《こ》に関《かん》することです。御《み》子《こ》は、肉《にく》によればダビデの子《し》孫《そん》として生《う》まれ、
ローマ 1:4 聖《きよ》い御《み》霊《たま》によれば、死《し》者《しゃ》の中《なか》からの復《ふっ》活《かつ》により、大《たい》能《のう》によって公《おおやけ》に神《かみ》の御《み》子《こ》として示《しめ》された方《かた》、私たちの主《しゅ》イエス・キリストです。
ローマ 1:5 このキリストによって、私たちは恵《めぐ》みと使《し》徒《と》の務《つと》めを受《う》けました。それは、御《み》名《な》のためにあらゆる国《くに》の人《ひと》々《びと》の中《なか》に信《しん》仰《こう》の従《じゅう》順《じゅん》をもたらすためです。
ローマ 1:6 あなたがたも、それらの人《ひと》々《びと》の中《なか》にあって、イエス・キリストによって召《め》された人《ひと》々《びと》です、‐‐このパウロから、
ローマ 1:7 ローマにいるすべての、神《かみ》に愛《あい》されている人《ひと》々《びと》、召《め》された聖《せい》徒《と》たちへ。私たちの父《ちち》なる神《かみ》と主《しゅ》イエス・キリストから恵《めぐ》みと平《へい》安《あん》があなたがたの上《うえ》にありますように。
ローマ 1:8 まず第《だい》一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》します。それは、あなたがたの信《しん》仰《こう》が全《ぜん》世《せ》界《かい》に言《い》い伝《つた》えられているからです。
ローマ 1:9 私が御《み》子《こ》の福《ふく》音《いん》を宣《の》べ伝《つた》えつつ霊《れい》をもって仕《つか》えている神《かみ》があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思《おも》わぬ時《とき》はなく、
ローマ 1:10 いつも祈《いの》りのたびごとに、神《かみ》のみこころによって、何《なん》とかして、今《こん》度《ど》はついに道《みち》が開《ひら》かれて、あなたがたのところに行《い》けるようにと願《ねが》っています。
ローマ 1:11 私があなたがたに会《あ》いたいと切《せつ》に望《のぞ》むのは、御《み》霊《たま》の賜《たま》物《もの》をいくらかでもあなたがたに分《わ》けて、あなたがたを強《つよ》くしたいからです。
ローマ 1:12 というよりも、あなたがたの間《あいだ》にいて、あなたがたと私との互《たが》いの信《しん》仰《こう》によって、ともに励《はげ》ましを受《う》けたいのです。
ローマ 1:13 兄《きょう》弟《だい》たち。ぜひ知《し》っておいていただきたい。私はあなたがたの中《なか》でも、ほかの国《くに》の人《ひと》々《びと》の中《なか》で得《え》たと同《おな》じように、いくらかの実《み》を得《え》ようと思《おも》って、何《なん》度《ど》もあなたがたのところに行《い》こうとしたのですが、今《いま》なお妨《さまた》げられているのです。
ローマ 1:14 私は、ギリシヤ人《じん》にも未《み》開《かい》人《じん》にも、知《ち》識《しき》のある人《ひと》にも知《ち》識《しき》のない人《ひと》にも、返《かえ》さなければならない負《ふ》債《さい》を負《お》っています。
ローマ 1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福《ふく》音《いん》を伝《つた》えたいのです。
ローマ 1:16 私は福《ふく》音《いん》を恥《はじ》とは思《おも》いません。福《ふく》音《いん》は、ユダヤ人《じん》をはじめギリシヤ人《じん》にも、信《しん》じるすべての人《ひと》にとって、救《すく》いを得《え》させる神《かみ》の力《ちから》です。
ローマ 1:17 なぜなら、福《ふく》音《いん》のうちには神《かみ》の義《ぎ》が啓《けい》示《じ》されていて、その義《ぎ》は、信《しん》仰《こう》に始《はじ》まり信《しん》仰《こう》に進《すす》ませるからです。「義《ぎ》人《じん》は信《しん》仰《こう》によって生《い》きる」と書《か》いてあるとおりです。
ローマ 1:18 というのは、不《ふ》義《ぎ》をもって真《しん》理《り》をはばんでいる人《ひと》々《びと》のあらゆる不《ふ》敬《けい》虔《けん》と不《ふ》正《せい》に対《たい》して、神《かみ》の怒《いか》りが天《てん》から啓《けい》示《じ》されているからです。
ローマ 1:19 それゆえ、神《かみ》について知《し》られることは、彼《かれ》らに明《あき》らかです。それは神《かみ》が明《あき》らかにされたのです。
ローマ 1:20 神《かみ》の、目《め》に見《み》えない本《ほん》性《せい》、すなわち神《かみ》の永《えい》遠《えん》の力《ちから》と神《しん》性《せい》は、世《せ》界《かい》の創《そう》造《ぞう》された時《とき》からこのかた、被《ひ》造《ぞう》物《ぶつ》によって知《し》られ、はっきりと認《みと》められるのであって、彼《かれ》らに弁《べん》解《かい》の余《よ》地《ち》はないのです。
ローマ 1:21 それゆえ、彼《かれ》らは神《かみ》を知《し》っていながら、その神《かみ》を神《かみ》としてあがめず、感《かん》謝《しゃ》もせず、かえってその思《おも》いはむなしくなり、その無《む》知《ち》な心《こころ》は暗《くら》くなりました。
ローマ 1:22 彼《かれ》らは、自《じ》分《ぶん》では知《ち》者《しゃ》であると言《い》いながら、愚《おろ》かな者《もの》となり、
ローマ 1:23 不《ふ》滅《めつ》の神《かみ》の御《み》栄《さか》えを、滅《ほろ》ぶべき人《にん》間《げん》や、鳥《とり》、獣《けもの》、はうもののかたちに似《に》た物《もの》と代《か》えてしまいました。
ローマ 1:24 それゆえ、神《かみ》は、彼《かれ》らをその心《こころ》の欲《よく》望《ぼう》のままに汚《けが》れに引《ひ》き渡《わた》され、そのために彼《かれ》らは、互《たが》いにそのからだをはずかしめるようになりました。
ローマ 1:25 それは、彼《かれ》らが神《かみ》の真《しん》理《り》を偽《いつわ》りと取《と》り代《か》え、造《つく》り主《ぬし》の代《か》わりに造《つく》られた物《もの》を拝《おが》み、これに仕《つか》えたからです。造《つく》り主《ぬし》こそ、とこしえにほめたたえられる方《かた》です。アーメン。
ローマ 1:26 こういうわけで、神《かみ》は彼《かれ》らを恥《は》ずべき情《じょう》欲《よく》に引《ひ》き渡《わた》されました。すなわち、女《おんな》は自《し》然《ぜん》の用《よう》を不《ふ》自《し》然《ぜん》なものに代《か》え、
ローマ 1:27 同《おな》じように、男《おとこ》も、女《おんな》の自《し》然《ぜん》な用《よう》を捨《す》てて男《おとこ》どうしで情《じょう》欲《よく》に燃《も》え、男《おとこ》が男《おとこ》と恥《は》ずべきことを行《おこな》うようになり、こうしてその誤《あやま》りに対《たい》する当《とう》然《ぜん》の報《むく》いを自《じ》分《ぶん》の身《み》に受《う》けているのです。
ローマ 1:28 また、彼《かれ》らが神《かみ》を知《し》ろうとしたがらないので、神《かみ》は彼《かれ》らを良《よ》くない思《おも》いに引《ひ》き渡《わた》され、そのため彼《かれ》らは、してはならないことをするようになりました。
ローマ 1:29 彼《かれ》らは、あらゆる不《ふ》義《ぎ》と悪《あく》とむさぼりと悪《あく》意《い》とに満《み》ちた者《もの》、ねたみと殺《さつ》意《い》と争《あらそ》いと欺《あざむ》きと悪《わる》だくみとでいっぱいになった者《もの》、陰《かげ》口《ぐち》を言《い》う者《もの》、
ローマ 1:30 そしる者《もの》、神《かみ》を憎《にく》む者《もの》、人《ひと》を人《ひと》と思《おも》わぬ者《もの》、高《たか》ぶる者《もの》、大《たい》言《げん》壮《そう》語《ご》する者《もの》、悪《あく》事《じ》をたくらむ者《もの》、親《おや》に逆《さか》らう者《もの》、
ローマ 1:31 わきまえのない者《もの》、約《やく》束《そく》を破《やぶ》る者《もの》、情《なさ》け知《し》らずの者《もの》、慈《じ》愛《あい》のない者《もの》です。
ローマ 1:32 彼《かれ》らは、そのようなことを行《おこな》えば、死《し》罪《ざい》に当《あ》たるという神《かみ》の定《さだ》めを知《し》っていながら、それを行《おこな》っているだけでなく、それを行《おこな》う者《もの》に心《こころ》から同《どう》意《い》しているのです。

6月11日

ローマ 2
ローマ 2:1 ですから、すべて他《た》人《にん》をさばく人《ひと》よ。あなたに弁《べん》解《かい》の余《よ》地《ち》はありません。あなたは、他《た》人《にん》をさばくことによって、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》を罪《つみ》に定《さだ》めています。さばくあなたが、それと同《おな》じことを行《おこな》っているからです。
ローマ 2:2 私たちは、そのようなことを行《おこな》っている人《ひと》々《びと》に下《くだ》る神《かみ》のさばきが正《ただ》しいことを知《し》っています。
ローマ 2:3 そのようなことをしている人《ひと》々《びと》をさばきながら、自《じ》分《ぶん》で同《おな》じことをしている人《ひと》よ。あなたは、自《じ》分《ぶん》は神《かみ》のさばきを免《まぬか》れるのだとでも思《おも》っているのですか。
ローマ 2:4 それとも、神《かみ》の慈《じ》愛《あい》があなたを悔《く》い改《あらた》めに導《みちび》くことも知《し》らないで、その豊《ゆた》かな慈《じ》愛《あい》と忍《にん》耐《たい》と寛《かん》容《よう》とを軽《かろ》んじているのですか。
ローマ 2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔《く》い改《あらた》めのない心《ここ》の《ろ》ゆえに、御《み》怒《いか》りの日《ひ》、すなわち、神《かみ》の正《ただ》しいさばきの現《あらわ》れる日《ひ》の御《み》怒《いか》りを自《じ》分《ぶん》のために積《つ》み上《あ》げているのです。
ローマ 2:6 神《かみ》は、ひとりひとりに、その人《ひと》の行《おこな》いに従《したが》って報《むく》いをお与《あた》えになります。
ローマ 2:7 忍《にん》耐《たい》をもって善《ぜん》を行《おこな》い、栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れと不《ふ》滅《めつ》のものとを求《もと》める者《もの》には、永《えい》遠《えん》のいのちを与《あた》え、
ローマ 2:8 党《とう》派《は》心《しん》を持《も》ち、真《しん》理《り》に従《したが》わないで不《ふ》義《ぎ》に従《したが》う者《もの》には、怒《いか》りと憤《いきどお》りを下《くだ》されるのです。
ローマ 2:9 患《かん》難《なん》と苦《く》悩《のう》とは、ユダヤ人《じん》をはじめギリシヤ人《じん》にも、悪《あく》を行《おこな》うすべての者《もの》の上《うえ》に下《くだ》り、
ローマ 2:10 栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れと平《へい》和《わ》は、ユダヤ人《じん》をはじめギリシヤ人《じん》にも、善《ぜん》を行《おこな》うすべての者《もの》の上《うえ》にあります。
ローマ 2:11 神《かみ》にはえこひいきなどはないからです。
ローマ 2:12 律《りっ》法《ぽう》なしに罪《つみ》を犯《おか》した者《もの》はすべて、律《りっ》法《ぽう》なしに滅《ほろ》び、律《りっ》法《ぽう》の下《した》にあって罪《つみ》を犯《おか》した者《もの》はすべて、律《りっ》法《ぽう》によってさばかれます。
ローマ 2:13 それは、律《りっ》法《ぽう》を聞《き》く者《もの》が神《かみ》の前《まえ》に正《ただ》しいのではなく、律《りっ》法《ぽう》を行《おこな》う者《もの》が正《ただ》しいと認《みと》められるからです。
ローマ 2:14 ‐‐律《りっ》法《ぽう》を持《も》たない異《い》邦《ほう》人《じん》が、生《う》まれつきのままで律《りっ》法《ぽう》の命《めい》じる行《おこな》いをする場《ば》合《あい》は、律《りっ》法《ぽう》を持《も》たなくても、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》が自《じ》分《ぶん》に対《たい》する律《りっ》法《ぽう》なのです。
ローマ 2:15 彼《かれ》らはこのようにして、律《りっ》法《ぽう》の命《めい》じる行《おこな》いが彼《かれ》らの心《こころ》に書《か》かれていることを示《しめ》しています。彼《かれ》らの良《りょう》心《しん》もいっしょになってあかしし、また、彼《かれ》らの思《おも》いは互《たが》いに責《せ》め合《あ》ったり、また、弁《べん》明《めい》し合《あ》ったりしています。‐‐
ローマ 2:16 私の福《ふく》音《いん》によれば、神《かみ》のさばきは、神《かみ》がキリスト・イエスによって人《ひと》々《びと》の隠《かく》れたことをさばかれる日《ひ》に、行《おこな》われるのです。
ローマ 2:17 もし、あなたが自《じ》分《ぶん》をユダヤ人《じん》ととなえ、律《りっ》法《ぽう》を持《も》つことに安《やす》んじ、神《かみ》を誇《ほこ》り、
ローマ 2:18 みこころを知《し》り、なすべきことが何《なん》であるかを律《りっ》法《ぽう》に教《おし》えられてわきまえ、
ローマ 2:19-20 また、知《ち》識《しき》と真《しん》理《り》の具《ぐ》体《たい》的《てき》な形《かたち》として律《りっ》法《ぽう》を持《も》っているため、盲《もう》人《じん》の案《あん》内《ない》人《にん》、やみの中《なか》にいる者《もの》の光《ひかり》、愚《おろ》かな者《もの》の導《みちび》き手《て》、幼《おさな》子《ご》の教《きょう》師《し》だと自《じ》任《にん》しているのなら、
ローマ 2:-
ローマ 2:21 どうして、人《ひと》を教《おし》えながら、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》を教《おし》えないのですか。盗《ぬす》むなと説《と》きながら、自《じ》分《ぶん》は盗《ぬす》むのですか。
ローマ 2:22 姦《かん》淫《いん》するなと言《い》いながら、自《じ》分《ぶん》は姦《かん》淫《いん》するのですか。偶《ぐう》像《ぞう》を忌《い》みきらいながら、自《じ》分《ぶん》は神《しん》殿《でん》の物《もの》をかすめるのですか。
ローマ 2:23 律《りっ》法《ぽう》を誇《ほこ》りとしているあなたが、どうして律《りっ》法《ぽう》に違《い》反《はん》して、神《かみ》を侮《あなど》るのですか。
ローマ 2:24 これは、「神《かみ》の名《な》は、あなたがたのゆえに、異《い》邦《ほう》人《じん》の中《なか》でけがされている」と書《か》いてあるとおりです。
ローマ 2:25 もし律《りっ》法《ぽう》を守《まも》るなら、割《かつ》礼《れい》には価《か》値《ち》があります。しかし、もしあなたが律《りっ》法《ぽう》にそむいているなら、あなたの割《かつ》礼《れい》は、無《む》割《かつ》礼《れい》になったのです。
ローマ 2:26 もし割《かつ》礼《れい》を受《う》けていない人《ひと》が律《りっ》法《ぽう》の規《き》定《てい》を守《まも》るなら、割《かつ》礼《れい》を受《う》けていなくても、割《かつ》礼《れい》を受《う》けている者《もの》とみなされないでしょうか。
ローマ 2:27 また、からだに割《かつ》礼《れい》を受《う》けていないで律《りっ》法《ぽう》を守《まも》る者《もの》が、律《りっ》法《ぽう》の文《もん》字《じ》と割《かつ》礼《れい》がありながら律《りっ》法《ぽう》にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。
ローマ 2:28 外《がい》見《けん》上《じょう》のユダヤ人《じん》がユダヤ人《じん》なのではなく、外《がい》見《けん》上《じょう》のからだの割《かつ》礼《れい》が割《かつ》礼《れい》なのではありません。
ローマ 2:29 かえって人《ひと》目《め》に隠《かく》れたユダヤ人《じん》がユダヤ人《じん》であり、文《もん》字《じ》ではなく、御《み》霊《たま》による、心《こころ》の割《かつ》礼《れい》こそ割《かつ》礼《れい》です。その誉《ほま》れは、人《ひと》からではなく、神《かみ》から来《く》るものです。

6月12日

ローマ 3
ローマ 3:1 では、ユダヤ人《じん》のすぐれたところは、いったい何《なん》ですか。割《かつ》礼《れい》にどんな益《えき》があるのですか。
ローマ 3:2 それは、あらゆる点《てん》から見《み》て、大《おお》いにあります。第《だい》一に、彼《かれ》らは神《かみ》のいろいろなおことばをゆだねられています。
ローマ 3:3 では、いったいどうなのですか。彼《かれ》らのうちに不《ふ》真《しん》実《じつ》な者《もの》があったら、その不《ふ》真《しん》実《じつ》によって、神《かみ》の真《しん》実《じつ》が無《む》に帰《き》することになるでしょうか。
ローマ 3:4 絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。たとい、すべての人《ひと》を偽《いつわ》り者《もの》としても、神《かみ》は真《しん》実《じつ》な方《かた》であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正《ただ》しいとされ、さばかれるときには勝《しょう》利《り》を得《え》られるため。」と書《か》いてあるとおりです。
ローマ 3:5 しかし、もし私たちの不《ふ》義《ぎ》が神《かみ》の義《ぎ》を明《あき》らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人《にん》間《げん》的《てき》な言《い》い方《かた》をしますが、怒《いか》りを下《くだ》す神《かみ》は不《ふ》正《せい》なのでしょうか。
ローマ 3:6 絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神《かみ》はいったいどのように世《よ》をさばかれるのでしょう。
ローマ 3:7 でも、私の偽《いつわ》りによって、神《かみ》の真《しん》理《り》がますます明《あき》らかにされて神《かみ》の栄《えい》光《こう》となるのであれば、なぜ私がなお罪《つみ》人《びと》としてさばかれるのでしょうか。
ローマ 3:8 「善《ぜん》を現《あらわ》すために、悪《あく》をしようではないか」と言《い》ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点《てん》でそしられるのです。ある人《ひと》たちは、それが私たちのことばだと言《い》っていますが。‐‐もちろんこのように論《ろん》じる者《もの》どもは当《とう》然《ぜん》罪《つみ》に定《さだ》められるのです。
ローマ 3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他《た》の者《もの》にまさっているのでしょうか。決《けっ》してそうではありません。私たちは前《まえ》に、ユダヤ人《じん》もギリシヤ人《じん》も、すべての人《ひと》が罪《つみ》の下《した》にあると責《せ》めたのです。
ローマ 3:10 それは、次《つぎ》のように書《か》いてあるとおりです。「義《ぎ》人《じん》はいない。ひとりもいない。
ローマ 3:11 悟《さと》りのある人《ひと》はいない。神《かみ》を求《もと》める人《ひと》はいない。
ローマ 3:12 すべての人《ひと》が迷《まよ》い出《で》て、みな、ともに無《む》益《えき》な者《もの》となった。善《ぜん》を行《おこな》う人《ひと》はいない。ひとりもいない。」
ローマ 3:13 「彼《かれ》らののどは、開《ひら》いた墓《はか》であり、彼《かれ》らはその舌《した》で欺《あざむ》く。」「彼《かれ》らのくちびるの下《した》には、まむしの毒《どく》があり、」
ローマ 3:14 「彼《かれ》らの口《くち》は、のろいと苦《にが》さで満《み》ちている。」
ローマ 3:15 「彼《かれ》らの足《あし》は血《ち》を流《なが》すのに速《はや》く、
ローマ 3:16 彼《かれ》らの道《みち》には破《は》壊《かい》と悲《ひ》惨《さん》がある。
ローマ 3:17 また、彼《かれ》らは平《へい》和《わ》の道《みち》を知《し》らない。」
ローマ 3:18 「彼《かれ》らの目《め》の前《まえ》には、神《かみ》に対《たい》する恐《おそ》れがない。」
ローマ 3:19 さて、私たちは、律《りっ》法《ぽう》の言《い》うことはみな、律《りっ》法《ぽう》の下《した》にある人《ひと》々《びと》に対《たい》して言《い》われていることを知《し》っています。それは、すべての口《くち》がふさがれて、全《ぜん》世《せ》界《かい》が神《かみ》のさばきに服《ふく》するためです。
ローマ 3:20 なぜなら、律《りっ》法《ぽう》を行《おこな》うことによっては、だれひとり神《かみ》の前《まえ》に義《ぎ》と認《みと》められないからです。律《りっ》法《ぽう》によっては、かえって罪《つみ》の意《い》識《しき》が生《しょう》じるのです。
ローマ 3:21 しかし、今《いま》は、律《りっ》法《ぽう》とは別《べつ》に、しかも律《りっ》法《ぽう》と預《よ》言《げん》者《しゃ》によってあかしされて、神《かみ》の義《ぎ》が示《しめ》されました。
ローマ 3:22 すなわち、イエス・キリストを信《しん》じる信《しん》仰《こう》による神《かみ》の義《ぎ》であって、それはすべての信《しん》じる人《ひと》に与《あた》えられ、何《なん》の差《さ》別《べつ》もありません。
ローマ 3:23 すべての人《ひと》は、罪《つみ》を犯《おか》したので、神《かみ》からの栄《えい》誉《よ》を受《う》けることができず、
ローマ 3:24 ただ、神《かみ》の恵《めぐ》みにより、キリスト・イエスによる《あ》贖《がな》いのゆえに、価《あたい》なしに義《ぎ》と認《みと》められるのです。
ローマ 3:25 神《かみ》は、キリスト・イエスを、その血《ち》による、また信《しん》仰《こう》による、なだめの供《そな》え物《もの》として、公《おおやけ》にお示《しめ》しになりました。それは、ご自《じ》身《しん》の義《ぎ》を現《あらわ》すためです。というのは、今《いま》までに犯《おか》されて来《き》た罪《つみ》を神《かみ》の忍《にん》耐《たい》をもって見《み》のがして来《こ》られたからです。
ローマ 3:26 それは、今《いま》の時《とき》にご自《じ》身《しん》の義《ぎ》を現《あらわ》すためであり、こうして神《かみ》ご自《じ》身《しん》が義《ぎ》であり、また、イエスを信《しん》じる者《もの》を義《ぎ》とお認《みと》めになるためなのです。
ローマ 3:27 それでは、私たちの誇《ほこ》りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取《と》り除《のぞ》かれました。どういう原《げん》理《り》によってでしょうか。行《おこな》いの原《げん》理《り》によってでしょうか。そうではなく、信《しん》仰《こう》の原《げん》理《り》によってです。
ローマ 3:28 人《ひと》が義《ぎ》と認《みと》められるのは、律《りっ》法《ぽう》の行《おこな》いによるのではなく、信《しん》仰《こう》によるというのが、私たちの考《かんが》えです。
ローマ 3:29 それとも、神《かみ》はユダヤ人《じん》だけの神《かみ》でしょうか。異《い》邦《ほう》人《じん》にとっても神《かみ》ではないのでしょうか。確《たし》かに神《かみ》は、異《い》邦《ほう》人《じん》にとっても、神《かみ》です。
ローマ 3:30 神《かみ》が唯《ゆい》一《いつ》ならばそうです。この神《かみ》は、割《かつ》礼《れい》のある者《もの》を信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》めてくださるとともに、割《かつ》礼《れい》のない者《もの》をも、信《しん》仰《こう》によって義《ぎ》と認《みと》めてくださるのです。
ローマ 3:31 それでは、私たちは信《しん》仰《こう》によって律《りっ》法《ぽう》を無《む》効《こう》にすることになるのでしょうか。絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。かえって、律《りっ》法《ぽう》を確《かく》立《りつ》することになるのです。
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