| Today | 2025年10月27日 - 2025年10月31日 | ![]() |
10月27日
ヘブル 12
| ヘブル 12:1 こういうわけで、このように多《おお》くの証《しょう》人《にん》たちが、雲《くも》のように私たちを取《と》り巻《ま》いているのですから、私たちも、いっさいの重《おも》荷《に》とまつわりつく罪《つみ》とを捨《す》てて、私たちの前《まえ》に置《お》かれている競《きょう》走《そう》を忍《にん》耐《たい》をもって走《はし》り続《つづ》けようではありませんか。 ヘブル 12:2 信《しん》仰《こう》の創《そう》始《し》者《しゃ》であり、完《かん》成《せい》者《しゃ》であるイエスから目《め》を離《はな》さないでいなさい。イエスは、ご自《じ》分《ぶん》の前《まえ》に置《お》かれた喜《よろこ》びのゆえに、はずかしめをものともせずに十《じゅう》字《じ》架《か》を忍《しの》び、神《かみ》の御《み》座《ざ》の右《みぎ》に着《ちゃく》座《ざ》されました。 ヘブル 12:3 あなたがたは、罪《つみ》人《びと》たちのこのような反《はん》抗《こう》を忍《しの》ばれた方《かた》のことを考《かんが》えなさい。それは、あなたがたの心《こころ》が元《げん》気《き》を失《うしな》い、疲《つか》れ果《は》ててしまわないためです。 ヘブル 12:4 あなたがたはまだ、罪《つみ》と戦《たたか》って、血《ち》を流《なが》すまで抵《てい》抗《こう》したことがありません。 ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向《む》かって子《こ》どもに対《たい》するように語《かた》られたこの勧《すす》めを忘《わす》れています。「わが子《こ》よ。主《しゅ》の懲《こ》らしめを軽《かろ》んじてはならない。主《しゅ》に責《せ》められて弱《よわ》り果《は》ててはならない。 ヘブル 12:6 主《しゅ》はその愛《あい》する者《もの》を懲《こ》らしめ、受《う》け入《い》れるすべての子《こ》に、むちを加《くわ》えられるからである。」 ヘブル 12:7 訓《くん》練《れん》と思《おも》って耐《た》え忍《しの》びなさい。神《かみ》はあなたがたを子《こ》として扱《あつか》っておられるのです。父《ちち》が懲《こ》らしめることをしない子《こ》がいるでしょうか。 ヘブル 12:8 もしあなたがたが、だれでも受《う》ける懲《こ》らしめを受《う》けていないとすれば、私《し》生《せい》子《じ》であって、ほんとうの子《こ》ではないのです。 ヘブル 12:9 さらにまた、私たちには肉《にく》の父《ちち》がいて、私たちを懲《こ》らしめたのですが、しかも私たちは彼《かれ》らを敬《うやま》ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊《れい》の父《ちち》に服《ふく》従《じゅう》して生《い》きるべきではないでしょうか。 ヘブル 12:10 なぜなら、肉《にく》の父《ちち》親《おや》は、短《みじか》い期《き》間《かん》、自《じ》分《ぶん》が良《よ》いと思《おも》うままに私たちを懲《こ》らしめるのですが、霊《れい》の父《ちち》は、私たちの益《えき》のため、私たちをご自《じ》分《ぶん》の聖《きよ》さにあずからせようとして、懲《こ》らしめるのです。 ヘブル 12:11 すべての懲《こ》らしめは、そのときは喜《よろこ》ばしいものではなく、かえって悲《かな》しく思《おも》われるものですが、後《のち》になると、これによって訓《くん》練《れん》された人《ひと》々《びと》に平《へい》安《あん》な義《ぎ》の実《み》を結《むす》ばせます。 ヘブル 12:12 ですから、弱《よわ》った手《て》と衰《おとろ》えたひざとを、まっすぐにしなさい。 ヘブル 12:13 また、あなたがたの足《あし》のためには、まっすぐな道《みち》を作《つく》りなさい。なえた足《あし》が関《かん》節《せつ》をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。 ヘブル 12:14 すべての人《ひと》との平《へい》和《わ》を追《お》い求《もと》め、また、聖《きよ》められることを追《お》い求《もと》めなさい。聖《きよ》くなければ、だれも主《しゅ》を見《み》ることができません。 ヘブル 12:15 そのためには、あなたがたはよく監《かん》督《とく》して、だれも神《かみ》の恵《めぐ》みから落《お》ちる者《もの》がないように、また、苦《にが》い根《ね》が芽《め》を出《だ》して悩《なや》ましたり、これによって多《おお》くの人《ひと》が汚《けが》されたりすることのないように、 ヘブル 12:16 また、不《ふ》品《ひん》行《こう》の者《もの》や、一杯《ぱい》の食《しょく》物《もつ》と引《ひ》き替《か》えに自《じ》分《ぶん》のものであった長《ちょう》子《し》の権《けん》利《り》を売《う》ったエサウのような俗《ぞ》悪《くあ》な《く》者《もの》がないようにしなさい。 ヘブル 12:17 あなたがたが知《し》っているとおり、彼《かれ》は後《のち》になって祝《しゅく》福《ふく》を相《そう》続《ぞく》したいと思《おも》ったが、退《しりぞ》けられました。涙《なみだ》を流《なが》して求《もと》めても、彼《かれ》には心《こころ》を変《か》えてもらう余《よ》地《ち》がありませんでした。 ヘブル 12:18 あなたがたは、手《て》でさわれる山《やま》、燃《も》える火《ひ》、黒《くろ》雲《くも》、暗《くら》やみ、あらし、 ヘブル 12:19 ラッパの響《ひび》き、ことばのとどろきに近《ちか》づいているのではありません。このとどろきは、これを聞《き》いた者《もの》たちが、それ以《い》上《じょう》一《ひと》言《こと》も加《くわ》えてもらいたくないと願《ねが》ったものです。 ヘブル 12:20 彼《かれ》らは、「たとい、獣《けもの》でも、山《やま》に触《ふ》れるものは石《いし》で打《う》ち殺《ころ》されなければならない」というその命《めい》令《れい》に耐《た》えることができなかったのです。 ヘブル 12:21 また、その光《こう》《けい》があまり恐《おそ》ろしかったので、モーセは、「私は恐《おそ》れて、震《ふる》える」と言《い》いました。 ヘブル 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山《やま》、生《い》ける神《かみ》の都《み》、《やこ》天《てん》にあるエルサレム、無《む》数《すう》の御《み》使《つか》いたちの大《だい》祝《しゅく》会《かい》に近《ちか》づいているのです。 ヘブル 12:23 また、天《てん》に登《とう》録《ろく》されている長《ちょう》子《し》たちの教《きょう》会《かい》、万《ばん》民《みん》の審《しん》判《ぱん》者《しゃ》である神《かみ》、全《まっと》うされた義《ぎ》人《じん》たちの霊《れい》、 ヘブル 12:24 さらに、新《あたら》しい契《けい》約《やく》の仲《ちゅう》介《かい》者《しゃ》イエス、それに、アベルの血《ち》よりもすぐれたことを語《かた》る注《そそ》ぎかけの血《ち》に近《ちか》づいています。 ヘブル 12:25 語《かた》っておられる方《かた》を拒《こば》まないように注《ちゅう》意《い》しなさい。なぜなら、地《ち》上《じょう》においても、警《けい》告《こく》を与《あた》えた方《かた》を拒《こば》んだ彼《かれ》らが処《しょ》罰《ばつ》を免《まぬか》れることができなかったとすれば、まして天《てん》から語《かた》っておられる方《かた》に背《せ》を向《む》ける私たちが、処《しょ》罰《ばつ》を免《まぬか》れることができないのは当《とう》然《ぜん》ではありませんか。 ヘブル 12:26 あのときは、その声《こえ》が地《ち》を揺《ゆ》り動《うご》かしましたが、このたびは約《やく》束《そく》をもって、こう言《い》われます。「わたしは、もう一度《ど》、地《ち》だけではなく、天《てん》も揺《ゆ》り動《うご》かす。」 ヘブル 12:27 この「もう一度《ど》」ということばは、決《けっ》して揺《ゆ》り動《うご》かされることのないものが残《のこ》るために、すべての造《つく》られた、揺《ゆ》り動《うご》かされるものが取《と》り除《のぞ》かれることを示《しめ》しています。 ヘブル 12:28 こういうわけで、私たちは揺《ゆ》り動《うご》かされない御《み》国《くに》を受《う》けているのですから、感《かん》謝《しゃ》しようではありませんか。こうして私たちは、慎《つつし》みと恐《おそ》れとをもって、神《かみ》に喜《よろこ》ばれるように奉《ほう》仕《し》をすることができるのです。 ヘブル 12:29 私たちの神《かみ》は焼《や》き尽《つ》くす火《ひ》です。 |
10月28日
ヘブル 13
| ヘブル 13:1 兄《きょう》弟《だい》愛《あい》をいつも持《も》っていなさい。 ヘブル 13:2 旅《たび》人《びと》をもてなすことを忘《わす》れてはいけません。こうして、ある人《ひと》々《びと》は御《み》使《つか》いたちを、それとは知《し》らずにもてなしました。 ヘブル 13:3 牢《ろう》につながれている人《ひと》々《びと》を、自《じ》分《ぶん》も牢《ろう》にいる気《き》持《も》ちで思《おも》いやり、また、自《じ》分《ぶん》も肉《にく》体《たい》を持《も》っているのですから、苦《くる》しめられている人《ひと》々《びと》を思《おも》いやりなさい。 ヘブル 13:4 結《けっ》婚《こん》がすべての人《ひと》に尊《たっと》ばれるようにしなさい。寝《ね》床《どこ》を汚《けが》してはいけません。なぜなら、神《かみ》は不《ふ》品《ひん》行《こう》な者《もの》と姦《かん》淫《いん》を行《おこな》う者《もの》とをさばかれるからです。 ヘブル 13:5 金《きん》銭《せん》を愛《あい》する生《せい》活《かつ》をしてはいけません。いま持《も》っているもので満《まん》足《ぞく》しなさい。主《しゅ》ご自《じ》身《しん》がこう言《い》われるのです。「わたしは決《けっ》してあなたを離《はな》れず、また、あなたを捨《す》てない。」 ヘブル 13:6 そこで、私たちは確《かく》信《しん》に満《み》ちてこう言《い》います。「主《しゅ》は私の助《たす》け手《て》です。私は恐《おそ》れません。人《にん》間《げん》が、私に対《たい》して何《なに》ができましょう。」 ヘブル 13:7 神《かみ》のみことばをあなたがたに話《はな》した指《し》導《どう》者《しゃ》たちのことを、思《おも》い出《だ》しなさい。彼《かれ》らの生《せい》活《かつ》の結《けつ》末《まつ》をよく見《み》て、その信《しん》仰《こう》にならいなさい。 ヘブル 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同《おな》じです。 ヘブル 13:9 さまざまの異《こと》なった教《おし》えによって迷《まよ》わされてはなりません。食《しょく》物《もつ》によってではなく、恵《めぐ》みによって心《こころ》を強《つよ》めるのは良《よ》いことです。食《しょく》物《もつ》に気《き》を取《と》られた者《もの》は益《えき》を得《え》ませんでした。 ヘブル 13:10 私たちには一つの祭《さい》壇《だん》があります。幕《まく》屋《や》で仕《つか》える者《もの》たちには、この祭《さい》壇《だん》から食《た》べる権《けん》利《り》がありません。 ヘブル 13:11 動《どう》物《ぶつ》の血《ち》は、罪《つみ》のための供《そな》え物《もの》として、大《だい》祭《さい》司《し》によって聖《せい》所《じょ》の中《なか》まで持《も》って行《い》かれますが、からだは宿《しゅく》営《えい》の外《そと》で焼《や》かれるからです。 ヘブル 13:12 ですから、イエスも、ご自《じ》分《ぶん》の血《ち》によって民《たみ》を聖《せい》なるものとするために、門《もん》の外《そと》で苦《くる》しみを受《う》けられました。 ヘブル 13:13 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身《み》に負《お》って、宿《しゅく》営《えい》の外《そと》に出《で》て、みもとに行《い》こうではありませんか。 ヘブル 13:14 私たちは、この地《ち》上《じょう》に永《えい》遠《えん》の都《みやこ》を持《も》っているのではなく、むしろ後《のち》に来《こ》ようとしている都《みやこ》を求《もと》めているのです。 ヘブル 13:15 ですから、私たちはキリストを通《とお》して、賛《さん》美《び》のいけにえ、すなわち御《み》名《な》をたたえるくちびるの果《か》実《じつ》を、神《かみ》に絶《た》えずささげようではありませんか。 ヘブル 13:16 善《ぜん》を行《おこな》うことと、持《も》ち物《もの》を人《ひと》に分《わ》けることとを怠《おこた》ってはいけません。神《かみ》はこのようないけにえを喜《よろこ》ばれるからです。 ヘブル 13:17 あなたがたの指《し》導《どう》者《しゃ》たちの言《い》うことを聞《き》き、また服《ふく》従《じゅう》しなさい。この人《ひと》々《びと》は神《かみ》に弁《べん》明《めい》する者《もの》であって、あなたがたのたましいのために見《み》張《は》りをしているのです。ですから、この人《ひと》たちが喜《よろこ》んでそのことをし、嘆《なげ》いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益《えき》にならないからです。 ヘブル 13:18 私たちのために祈《いの》ってください。私たちは、正《ただ》しい良《りょう》心《しん》を持《も》っていると確《かく》信《しん》しており、何《なに》事《ごと》についても正《ただ》しく行《こう》動《どう》しようと願《ねが》っているからです。 ヘブル 13:19 また、もっと祈《いの》ってくださるよう特《とく》にお願《ねが》いします。それだけ、私があなたがたのところに早《はや》く帰《かえ》れるようになるからです。 ヘブル 13:20 永《えい》遠《えん》の契《けい》約《やく》の血《ち》による羊《ひつじ》の大《だい》牧《ぼく》者《しゃ》、私たちの主《しゅ》イエスを死《し》者《しゃ》の中《なか》から導《みちび》き出《だ》された平《へい》和《わ》の神《かみ》が、 ヘブル 13:21 イエス・キリストにより、御《み》前《まえ》でみこころにかなうことを私たちのうちに行《おこな》い、あなたがたがみこころを行《おこな》うことができるために、すべての良《よ》いことについて、あなたがたを完《かん》全《ぜん》な者《もの》としてくださいますように。どうか、キリストに栄《えい》光《こう》が世《よ》々《よ》限《かぎ》りなくありますように。アーメン。 ヘブル 13:22 兄《きょう》弟《だい》たち。このような勧《すす》めのことばを受《う》けてください。私はただ手《て》短《みじか》に書《か》きました。 ヘブル 13:23 私たちの兄《きょう》弟《だい》テモテが釈《しゃく》放《ほう》されたことをお知《し》らせします。もし彼《かれ》が早《はや》く来《く》れば、私は彼《かれ》といっしょにあなたがたに会《あ》えるでしょう。 ヘブル 13:24 すべてのあなたがたの指《し》導《どう》者《しゃ》たち、また、すべての聖《せ》徒《いと》たちによろしく言《い》ってください。イタリヤから来《き》た人《ひと》たちが、あなたがたによろしくと言《い》っています。 ヘブル 13:25 恵《めぐ》みが、あなたがたすべてとともにありますように。 |
10月29日
ヤコブ 1
| ヤコブ 1:1 神《かみ》と主《しゅ》イエス・キリストのしもべヤコブが、国《こく》外《がい》に散《ち》っている十二の部《ぶ》族《ぞく》へあいさつを送《おく》ります。 ヤコブ 1:2 私の兄《きょう》弟《だい》たち。さまざまな試《し》練《れん》に会《あ》うときは、それをこの上《うえ》もない喜《よろこ》びと思《おも》いなさい。 ヤコブ 1:3 信《しん》仰《こう》がためされると忍《にん》耐《たい》が生《しょう》じるということを、あなたがたは知《し》っているからです。 ヤコブ 1:4 その忍《にん》耐《たい》を完《かん》全《ぜん》に働《はたら》かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何《なに》一つ欠《か》けたところのない、成《せい》長《ちょう》を遂《と》げた、完《かん》全《ぜん》な者《もの》となります。 ヤコブ 1:5 あなたがたの中《なか》に知《ち》恵《え》の欠《か》けた人《ひと》がいるなら、その人《ひと》は、だれにでも惜《お》しげなく、とがめることなくお与《あた》えになる神《かみ》に願《ねが》いなさい。そうすればきっと与《あた》えられます。 ヤコブ 1:6 ただし、少《すこ》しも疑《うたが》わずに、信《しん》じて願《ねが》いなさい。疑《うたが》う人《ひと》は、風《かぜ》に吹《ふ》かれて揺《ゆ》れ動《うご》く、海《うみ》の大《おお》波《なみ》のようです。 ヤコブ 1:7 そういう人《ひと》は、主《しゅ》から何《なに》かをいただけると思《おも》ってはなりません。 ヤコブ 1:8 そういうのは、二《ふた》心《ごころ》のある人《ひと》で、その歩《あゆ》む道《みち》のすべてに安《あん》定《てい》を欠《か》いた人《ひと》です。 ヤコブ 1:9 貧《まず》しい境《きょう》遇《ぐう》にある兄《きょう》弟《だい》は、自《じ》分《ぶん》の高《たか》い身《み》分《ぶん》を誇《ほこ》りとしなさい。 ヤコブ 1:10 富《と》んでいる人《ひと》は、自《じ》分《ぶん》が低《ひく》くされることに誇《ほこ》りを持《も》ちなさい。なぜなら、富《と》んでいる人《ひと》は、草《くさ》の花《はな》のように過《す》ぎ去《さ》って行《い》くからです。 ヤコブ 1:11 太《たい》陽《よう》が熱《ねっ》風《ぷう》を伴《ともな》って上《のぼ》って来《く》ると、草《くさ》を枯《か》らしてしまいます。すると、その花《はな》は落《お》ち、美《うつく》しい姿《すがた》は滅《ほろ》びます。同《おな》じように、富《と》んでいる人《ひと》も、働《はたら》きの最《さい》中《ちゅう》に消《き》えて行《い》くのです。 ヤコブ 1:12 試《し》練《れん》に耐《た》える人《ひと》は幸《さいわ》いです。耐《た》え抜《ぬ》いて良《よ》しと認《みと》められた人《ひと》は、神《かみ》を愛《あい》する者《もの》に約《やく》束《そく》された、いのちの冠《かんむり》を受《う》けるからです。 ヤコブ 1:13 だれでも誘《ゆう》惑《わく》に会《あ》ったとき、神《かみ》によって誘《ゆう》惑《わく》された、と言《い》ってはいけません。神《かみ》は悪《あく》に誘《ゆう》惑《わく》されることのない方《かた》であり、ご自《じ》分《ぶん》でだれを誘《ゆう》惑《わく》なさることもありません。 ヤコブ 1:14 人《ひと》はそれぞれ自《じ》分《ぶん》の欲《よく》に引《ひ》かれ、おびき寄《よ》せられて、誘《ゆう》惑《わく》されるのです。 ヤコブ 1:15 欲《よく》がはらむと罪《つみ》を生《う》み、罪《つみ》が熟《じゅく》すると死《し》を生《う》みます。 ヤコブ 1:16 愛《あい》する兄《きょう》弟《だい》たち。だまされないようにしなさい。 ヤコブ 1:17 すべての良《よ》い贈《おく》り物《もの》、また、すべての完《かん》全《ぜん》な賜《たま》物《もの》は上《う》か《え》ら来《く》るのであって、光《ひかり》を造《つく》られた父《ちち》から下《くだ》るのです。父《ちち》には移《うつ》り変《か》わりや、移《うつ》り行《い》く影《かげ》はありません。 ヤコブ 1:18 父《ちち》はみこころのままに、真《しん》理《り》のことばをもって私たちをお生《う》みになりました。私たちを、いわば被《ひ》造《ぞう》物《ぶつ》の初《は》穂《つほ》にするためなのです。 ヤコブ 1:19 愛《あい》する兄《きょう》弟《だい》たち。あなたがたはそのことを知《し》っているのです。しかし、だれでも、聞《き》くには早《はや》く、語《かた》るにはおそく、怒《いか》るにはおそいようにしなさい。 ヤコブ 1:20 人《ひと》の怒《いか》りは、神《かみ》の義《ぎ》を実《じつ》現《げん》するものではありません。 ヤコブ 1:21 ですから、すべての汚《けが》れやあふれる悪《あく》を捨《す》て去《さ》り、心《こころ》に植《う》えつけられたみことばを、すなおに受《う》け入《い》れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救《すく》うことができます。 ヤコブ 1:22 また、みことばを実《じっ》行《こう》する人《ひと》になりなさい。自《じ》分《ぶん》を欺《あざむ》いて、ただ聞《き》くだけの者《もの》であってはいけません。 ヤコブ 1:23 みことばを聞《き》いても行《おこな》わない人《ひと》がいるなら、その人《ひと》は自《じ》分《ぶん》の生《う》まれつきの顔《かお》を鏡《かがみ》で見《み》る人《ひと》のようです。 ヤコブ 1:24 自《じ》分《ぶん》をながめてから立《た》ち去《さ》ると、すぐにそれがどのようであったかを忘《わす》れてしまいます。 ヤコブ 1:25 ところが、完《かん》全《ぜん》な律《りっ》法《ぽう》、すなわち自《じ》由《ゆう》の律《りっ》法《ぽう》を一《いっ》心《しん》に見《み》つめて離《はな》れない人《ひと》は、すぐに忘《わす》れる聞《き》き手《て》にはならないで、事《こと》を実《じっ》行《こう》する人《ひと》になります。こういう人《ひと》は、その行《おこな》いによって祝《しゅく》福《ふく》されます。 ヤコブ 1:26 自《じ》分《ぶん》は宗《しゅう》教《きょう》に熱《ねっ》心《しん》であると思《おも》っても、自《じ》分《ぶん》の舌《した》にくつわをかけず、自《じ》分《ぶん》の心《こころ》を欺《あざむ》いているなら、そのような人《ひと》の宗《しゅう》教《きょう》はむなしいものです。 ヤコブ 1:27 父《ちち》なる神《かみ》の御《み》前《まえ》できよく汚《けが》れのない宗《しゅう》教《きょう》は、孤《こ》児《じ》や、やもめたちが困《こま》っているときに世《せ》話《わ》をし、この世《よ》から自《じ》分《ぶん》をきよく守《まも》ることです。 |
10月30日
ヤコブ 2
| ヤコブ 2:1 私の兄《きょう》弟《だい》たち。あなたがたは私たちの栄《えい》光《こう》の主《しゅ》イエス・キリストを信《しん》じる信《しん》仰《こう》を持《も》っているのですから、人《ひと》をえこひいきしてはいけません。 ヤコブ 2:2 あなたがたの会《かい》堂《どう》に、金《きん》の指《ゆび》輪《わ》をはめ、りっぱな服《ふく》装《そう》をした人《ひと》が入《はい》って来《き》、またみすぼらしい服《ふく》装《そう》をした貧《ま》し《ず》い人《ひと》も入《はい》って来《き》たとします。 ヤコブ 2:3 あなたがたが、りっぱな服《ふく》装《そう》をした人《ひと》に目《め》を留《と》めて、「あなたは、こちらの良《よ》い席《せき》におすわりなさい」と言《い》い、貧《まず》しい人《ひと》には、「あなたは、そこで立《た》っていなさい。でなければ、私の足《あし》もとにすわりなさい」と言《い》うとすれば、 ヤコブ 2:4 あなたがたは、自《じ》分《ぶん》たちの間《あいだ》で差《さ》別《べつ》を設《もう》け、悪《わる》い考《かんが》え方《かた》で人《ひと》をさばく者《もの》になったのではありませんか。 ヤコブ 2:5 よく聞《き》きなさい。愛《あい》する兄《きょう》弟《だい》たち。神《かみ》は、この世《よ》の貧《まず》しい人《ひと》たちを選《えら》んで信《しん》仰《こう》に富《と》む者《もの》とし、神《かみ》を愛《あい》する者《もの》に約《やく》束《そく》されている御《み》国《くに》を相《そう》続《ぞく》する者《もの》とされたではありませんか。 ヤコブ 2:6 それなのに、あなたがたは貧《まず》しい人《ひと》を軽《けい》蔑《べつ》したのです。あなたがたをしいたげるのは富《と》んだ人《ひと》たちではありませんか。また、あなたがたを裁《さい》判《ばん》所《しょ》に引《ひ》いて行《い》くのも彼《かれ》らではありませんか。 ヤコブ 2:7 あなたがたがその名《な》で呼《よ》ばれている尊《たっと》い御《み》名《な》をけがすのも彼《かれ》らではありませんか。 ヤコブ 2:8 もし、ほんとうにあなたがたが、聖《せい》書《しょ》に従《したが》って、「あなたの隣《となり》人《びと》をあなた自《じ》身《しん》のように愛《あい》せよ」という最高《さい》の《こう》律《りっ》法《ぽう》を守《まも》るなら、あなたがたの行《おこな》いはりっぱです。 ヤコブ 2:9 しかし、もし人《ひと》をえこひいきするなら、あなたがたは罪《つみ》を犯《おか》しており、律《りっ》法《ぽう》によって違《い》反《はん》者《しゃ》として責《せ》められます。 ヤコブ 2:10 律《りっ》法《ぽう》全《ぜん》体《たい》を守《まも》っても、一つの点《てん》でつまずくなら、その人《ひと》はすべてを犯《おか》した者《もの》となったのです。 ヤコブ 2:11 なぜなら、「姦《かん》淫《いん》してはならない」と言《い》われた方《かた》は、「殺《ころ》してはならない」とも言《い》われたからです。そこで、姦《かん》淫《いん》しなくても人《ひと》殺《ごろ》しをすれば、あなたは律《りっ》法《ぽう》の違《い》反《はん》者《しゃ》となったのです。 ヤコブ 2:12 自《じ》由《ゆう》の律《りっ》法《ぽう》によってさばかれる者《もの》らしく語《かた》り、またそのように行《おこな》いなさい。 ヤコブ 2:13 あわれみを示《しめ》したことのない者《もの》に対《たい》するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向《む》かって勝《か》ち誇《ほこ》るのです。 ヤコブ 2:14 私の兄《きょう》弟《だい》たち。だれかが自《じ》分《ぶん》には信《しん》仰《こう》があると言《い》っても、その人《ひと》に行《おこな》いがないなら、何《なん》の役《やく》に立《た》ちましょう。そのような信《しん》仰《こう》がその人《ひと》を救《すく》うことができるでしょうか。 ヤコブ 2:15 もし、兄《きょう》弟《だい》また姉《し》妹《まい》のだれかが、着《き》る物《もの》がなく、また、毎《まい》日《にち》の食《た》べ物《もの》にもこと欠《か》いているようなときに、 ヤコブ 2:16 あなたがたのうちだれかが、その人《ひと》たちに、「安《あん》心《しん》して行《い》きなさい。暖《あたた》かになり、十《じゅう》分《ぶん》に食《た》べなさい」と言《い》っても、もしからだに必《ひつ》要《よう》な物《もの》を与《あた》えないなら、何《なん》の役《やく》に立《た》つでしょう。 ヤコブ 2:17 それと同《おな》じように、信《しん》仰《こう》も、もし行《おこな》いがなかったなら、それだけでは、死《し》んだものです。 ヤコブ 2:18 さらに、こう言《い》う人《ひと》もあるでしょう。「あなたは信《しん》仰《こう》を持《も》っているが、私は行《おこな》いを持《も》っています。行《おこな》いのないあなたの信《しん》仰《こう》を、私に見《み》せてください。私は、《お》行《こな》いによって、私の信《しん》仰《こう》をあなたに見《み》せてあげます。」 ヤコブ 2:19 あなたは、神《かみ》はおひとりだと信《しん》じています。りっぱなことです。ですが、悪《あく》霊《れい》どももそう信《しん》じて、身《み》震《ぶる》いしています。 ヤコブ 2:20 ああ愚《おろ》かな人《ひと》よ。あなたは行《おこな》いのない信《しん》仰《こう》がむなしいことを知《し》りたいと思《おも》いますか。 ヤコブ 2:21 私たちの父《ちち》アブラハムは、その子《こ》イサクを祭《さい》壇《だん》にささげたとき、行《おこな》いによって義《ぎ》と認《みと》められたではありませんか。 ヤコブ 2:22 あなたの見《み》ているとおり、彼《かれ》の信《しん》仰《こう》は彼《かれ》の行《おこな》いとともに働《はたら》いたのであり、信《しん》仰《こう》は行《おこな》いによって全《まっと》うされ、 ヤコブ 2:23 そして、「アブラハムは神《かみ》を信《しん》じ、その信《しん》仰《こう》が彼《かれ》の義《ぎ》とみなされた」という聖《せい》書《しょ》のことばが実《じつ》現《げん》し、彼《かれ》は神《か》の《み》友《とも》と呼《よ》ばれたのです。 ヤコブ 2:24 人《ひと》は行《おこな》いによって義《ぎ》と認《みと》められるのであって、信《しん》仰《こう》だけによるのではないことがわかるでしょう。 ヤコブ 2:25 同《どう》様《よう》に、遊《ゆう》女《じょ》ラハブも、使《し》者《しゃ》たちを招《まね》き入《い》れ、別《べつ》の道《みち》から送《おく》り出《だ》したため、その行《おこな》いによって義《ぎ》と認《みと》められたではありませんか。 ヤコブ 2:26 たましいを離《はな》れたからだが、死《し》んだものであるのと同《どう》様《よう》に、行《おこな》いのない信《しん》仰《こう》は、死《し》んでいるのです。 |
10月31日
ヤコブ 3
| ヤコブ 3:1 私の兄《きょう》弟《だい》たち。多《おお》くの者《もの》が教《きょう》師《し》になってはいけません。ご承《しょう》知《ち》のように、私たち教《きょう》師《し》は、格《かく》別《べつ》きびしいさばきを受《う》けるのです。 ヤコブ 3:2 私たちはみな、多《おお》くの点《てん》で失《しっ》敗《ぱい》をするものです。もし、ことばで失《しっ》敗《ぱい》をしない人《ひと》がいたら、その人《ひと》は、からだ全《ぜん》体《たい》もりっぱに制《せい》御《ぎょ》できる完《かん》全《ぜん》な人《ひと》です。 ヤコブ 3:3 馬《うま》を御《ぎょ》するために、くつわをその口《くち》にかけると、馬《うま》のからだ全《ぜん》体《たい》を引《ひ》き回《まわ》すことができます。 ヤコブ 3:4 また、船《ふね》を見《み》なさい。あのように大《おお》きな物《もの》が、強《つよ》い風《かぜ》に押《お》されているときでも、ごく小《ちい》さなかじによって、かじを取《と》る人《ひと》の思《おも》いどおりの所《ところ》へ持《も》って行《い》かれるのです。 ヤコブ 3:5 同《どう》様《よう》に、舌《した》も小《ちい》さな器《き》官《かん》ですが、大《おお》きなことを言《い》って誇《ほこ》るのです。ご覧《らん》なさい。あのように小《ちい》さい火《ひ》があのような大《おお》きい森《もり》を燃《も》やします。 ヤコブ 3:6 舌《した》は火《ひ》であり、不《ふ》義《ぎ》の世《せ》界《かい》です。舌《した》は私たちの器《き》官《かん》の一つですが、からだ全《ぜん》体《たい》を汚《けが》し、人《じん》生《せい》の車《しゃ》輪《りん》を焼《や》き、そしてゲヘナの火《ひ》によって焼《や》かれます。 ヤコブ 3:7 どのような種《しゅ》類《るい》の獣《けもの》も鳥《とり》も、はうものも海《うみ》の生《い》き物《もの》も、人《じん》類《るい》によって制《せい》せられるし、すでに制《せい》せられています。 ヤコブ 3:8 しかし、舌《した》を制《せい》御《ぎょ》することは、だれにもできません。それは少《すこ》しもじっとしていない悪《あく》であり、死《し》の毒《どく》に満《み》ちています。 ヤコブ 3:9 私たちは、舌《した》をもって、主《しゅ》であり父《ちち》である方《かた》をほめたたえ、同《おな》じ舌《した》をもって、神《かみ》にかたどって造《つく》られた人《ひと》をのろいます。 ヤコブ 3:10 賛《さん》美《び》とのろいが同《おな》じ口《くち》から出《で》て来《く》るのです。私の兄《きょう》弟《だい》たち。このようなことは、あってはなりません。 ヤコブ 3:11 泉《いずみ》が甘《あま》い水《みず》と苦《にが》い水《みず》を同《おな》じ穴《あな》からわき上《あ》がらせるというようなことがあるでしょうか。 ヤコブ 3:12 私の兄《きょう》弟《だい》たち。いちじくの木《き》がオリーブの実《み》をならせたり、ぶどうの木《き》がいちじくの実《み》をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩《しお》水《みず》が甘《あま》い水《みず》を出《だ》すこともできないことです。 ヤコブ 3:13 あなたがたのうちで、知《ち》恵《え》のある、賢《かしこ》い人《ひと》はだれでしょうか。その人《ひと》は、その知《ち》恵《え》にふさわしい柔《にゅう》和《わ》な行《おこな》いを、良《よ》い生《い》き方《かた》によって示《しめ》しなさい。 ヤコブ 3:14 しかし、もしあなたがたの心《こころ》の中《なか》に、苦《にが》いねたみと敵《てき》対《たい》心《しん》があるならば、誇《ほこ》ってはいけません。真《しん》理《り》に逆《さか》らって偽《いつわ》ることになります。 ヤコブ 3:15 そのような知《ち》恵《え》は、上《うえ》から来《き》たものではなく、地《ち》に属《ぞく》し、肉《にく》に属《ぞく》し、悪《あく》霊《れい》に属《ぞく》するものです。 ヤコブ 3:16 ねたみや敵《てき》対《たい》心《しん》のあるところには、秩《ちつ》序《じょ》の乱《みだ》れや、あらゆる邪《じゃ》悪《あく》な行《おこな》いがあるからです。 ヤコブ 3:17 しかし、上《うえ》からの知《ち》恵《え》は、第《だい》一に純《じゅん》真《しん》であり、次《つぎ》に平《へい》和《わ》、寛《かん》容《よう》、温《おん》順《じゅん》であり、また、あわれみと良《よ》い実《み》とに満《み》ち、えこひいきがなく、見《み》せかけのないものです。 ヤコブ 3:18 義《ぎ》の実《み》を結《むす》ばせる種《たね》は、平《へい》和《わ》をつくる人《ひと》によって平《へい》和《わ》のうちに蒔《ま》かれます。 |
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