Today 2023年3月20日 - 2023年3月24日 3月20日 | ルカ 123月21日 | ルカ 133月22日 | ルカ 143月23日 | ルカ 153月24日 | ルカ 16 3月20日ルカ 12 ルカ 12:1 そうこうしている間《あいだ》に、おびただしい数《かず》の群《ぐん》衆《しゅう》が集《あつ》まって来《き》て、互《たが》いに足《あし》を踏《ふ》み合《あ》うほどになった。イエスはまず弟《で》子《し》たちに対《たい》して、話《はな》しだされた。「パリサイ人《びと》のパン種《だね》に気《き》をつけなさい。それは彼《かれ》らの偽《ぎ》善《ぜん》のことです。ルカ 12:2 おおいかぶされているもので、現《あらわ》されないものはなく、隠《かく》されているもので、知《し》られずに済《す》むものはありません。ルカ 12:3 ですから、あなたがたが暗《くら》やみで言《い》ったことが、明《あか》るみで聞《き》かれ、家《いえ》の中《なか》でささやいたことが、屋《おく》上《じょう》で言《い》い広《ひろ》められます。ルカ 12:4 そこで、わたしの友《とも》であるあなたがたに言《い》います。からだを殺《ころ》しても、あとはそれ以《い》上《じょう》何《なに》もできない人《にん》間《げん》たちを恐《おそ》れてはいけません。ルカ 12:5 恐《おそ》れなければならない方《かた》を、あなたがたに教《おし》えてあげましょう。殺《ころ》したあとで、ゲヘナに投《な》げ込《こ》む権《けん》威《い》を持《も》っておられる方《かた》を恐《おそ》れなさい。そうです。あなたがたに言《い》います。この方《かた》を恐《おそ》れなさい。ルカ 12:6 五羽《わ》の雀《すずめ》は二アサリオンで売《う》っているでしょう。そんな雀《すずめ》の一羽《わ》でも、神《かみ》の御《み》前《まえ》には忘《わす》れられてはいません。ルカ 12:7 それどころか、あなたがたの頭《あたま》の毛《け》さえも、みな数《かぞ》えられています。恐《おそ》れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀《すずめ》よりもすぐれた者《もの》です。ルカ 12:8 そこで、あなたがたに言《い》います。だれでも、わたしを人《ひと》の前《まえ》で認《みと》める者《もの》は、人《ひと》の子《こ》もまた、その人《ひと》を神《かみ》の御《み》使《つか》いたちの前《まえ》で認《みと》めます。ルカ 12:9 しかし、わたしを人《ひと》の前《まえ》で知《し》らないと言《い》う者《もの》は、神《かみ》の御《み》使《つか》いたちの前《まえ》で知《し》らないと言《い》われます。ルカ 12:10 たとい、人《ひと》の子《こ》をそしることばを使《つか》う者《もの》があっても、赦《ゆる》されます。しかし、聖《せい》霊《れい》をけがす者《もの》は赦《ゆる》されません。ルカ 12:11 また、人《ひと》々《びと》があなたがたを、会《かい》堂《どう》や役《やく》人《にん》や権《けん》力《りょく》者《しゃ》などのところに連《つ》れて行《い》ったとき、何《なに》をどう弁《べん》明《めい》しようか、何《なに》を言《い》おうかと心《しん》配《ぱい》するには及《およ》びません。ルカ 12:12 言《い》うべきことは、そのときに聖《せい》霊《れい》が教《おし》えてくださるからです。」ルカ 12:13 群《ぐん》衆《しゅう》の中《なか》のひとりが、「先《せん》生《せい》。私と遺《い》産《さん》を分《わ》けるように私の兄《きょう》弟《だい》に話《はな》してください」と言《い》った。ルカ 12:14 すると彼《かれ》に言《い》われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁《さい》判《ばん》官《かん》や調《ちょう》停《てい》者《しゃ》に任《にん》命《めい》したのですか。」ルカ 12:15 そして人《ひと》々《びと》に言《い》われた。「どんな貪《どん》欲《よく》にも注《ちゅう》意《い》して、よく警《けい》戒《かい》しなさい。なぜなら、いくら豊《ゆた》かな人《ひと》でも、その人《ひと》のいのちは財《ざい》産《さん》にあるのではないからです。」ルカ 12:16 それから人《ひと》々《びと》にたとえを話《はな》された。「ある金《かね》持《も》ちの畑《はたけ》が豊《ほう》作《さく》であった。ルカ 12:17 そこで彼《かれ》は、心《こころ》の中《なか》でこう言《い》いながら考《かんが》えた。『どうしよう。作《さく》物《もつ》をたくわえておく場《ば》所《しょ》がない。』ルカ 12:18 そして言《い》った。『こうしよう。あの倉《くら》を取《と》りこわして、もっと大《おお》きいのを建《た》て、穀《こく》物《もつ》や財《ざい》産《さん》はみなそこにしまっておこう。ルカ 12:19 そして、自《じ》分《ぶん》のたましいにこう言《い》おう。「たましいよ。これから先《さき》何《なん》年《ねん》分《ぶん》もいっぱい物《もの》がためられた。さあ、安《あん》心《しん》して、食《た》べて、飲《の》んで、楽《たの》しめ。」』ルカ 12:20 しかし神《かみ》は彼《かれ》に言《い》われた。『愚《お》か《ろ》者《もの》。おまえのたましいは、今《こん》夜《や》おまえから取《と》り去《さ》られる。そうしたら、おまえが用《よう》意《い》した物《もの》は、いったいだれのものになるのか。』ルカ 12:21 自《じ》分《ぶん》のためにたくわえても、神《かみ》の前《まえ》に富《と》まない者《もの》はこのとおりです。」ルカ 12:22 それから弟《で》子《し》たちに言《い》われた。「だから、わたしはあなたがたに言《い》います。いのちのことで何《なに》を食《た》べようかと心《しん》配《ぱい》したり、からだのことで何《なに》を着《き》ようかと心《しん》配《ぱい》したりするのはやめなさい。ルカ 12:23 いのちは食《た》べ物《もの》よりたいせつであり、からだは着《き》物《もの》よりたいせつだからです。ルカ 12:24 烏《からす》のことを考《かんが》えてみなさい。蒔《ま》きもせず、刈《か》り入《い》れもせず、納《な》屋《や》も倉《くら》もありません。けれども、神《かみ》が彼《かれ》らを養《やしな》っていてくださいます。あなたがたは、鳥《とり》よりも、はるかにすぐれたものです。ルカ 12:25 あなたがたのうちのだれが、心《しん》配《ぱい》したからといって、自《じ》分《ぶん》のいのちを少《すこ》しでも延《の》ばすことができますか。ルカ 12:26 こんな小《ちい》さなことさえできないで、なぜほかのことまで心《しん》配《ぱい》するのですか。ルカ 12:27 ゆりの花《はな》のことを考《かんが》えてみなさい。どうして育《そだ》つのか。紡《つむ》ぎもせず、織《お》りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言《い》います。栄《えい》華《が》を窮《きわ》めたソロモンでさえ、このような花《はな》の一つほどにも着《き》飾《かざ》ってはいませんでした。ルカ 12:28 しかし、きょうは野《の》にあって、あすは炉《ろ》に投《な》げ込《こ》まれる草《くさ》をさえ、神《かみ》はこのように装《よそお》ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信《しん》仰《こう》の薄《うす》い人《ひと》たち。ルカ 12:29 何《なに》を食《た》べたらよいか、何《なに》を飲《の》んだらよいか、と捜《さが》し求《もと》めることをやめ、気《き》をもむことをやめなさい。ルカ 12:30 これらはみな、この世《よ》の異《い》邦《ほう》人《じん》たちが切《せつ》に求《もと》めているものです。しかし、あなたがたの父《ちち》は、それがあなたがたにも必《ひつ》要《よう》であることを知《し》っておられます。ルカ 12:31 何《なに》はともあれ、あなたがたは、神《かみ》の国《くに》を求《もと》めなさい。そうすれば、これらの物《もの》は、それに加《くわ》えて与《あた》えられます。ルカ 12:32 小《ちい》さな群《む》れよ。恐《おそ》れることはない。あなたがたの父《ちち》は、喜《よろこ》んであなたがたに御《み》国《くに》をお与《あた》えになるからです。ルカ 12:33 持《も》ち物《もの》を売《う》って、施《ほどこ》しをしなさい。自《じ》分《ぶん》のために、古《ふる》くならない財《さい》布《ふ》を作《つく》り、朽《く》ちることのない宝《たから》を天《てん》に積《つ》み上《あ》げなさい。そこには、盗《ぬす》人《びと》も近《ちか》寄《よ》らず、しみもいためることがありません。ルカ 12:34 あなたがたの宝《たから》のあるところに、あなたがたの心《こころ》もあるからです。ルカ 12:35 腰《こし》に帯《おび》を締《し》め、あかりをともしていなさい。ルカ 12:36 主《しゅ》人《じん》が婚《こん》礼《れい》から帰《かえ》って来《き》て戸《と》をたたいたら、すぐに戸《と》をあけようと、その帰《かえ》りを待《ま》ち受《う》けている人《ひと》たちのようでありなさい。ルカ 12:37 帰《かえ》って来《き》た主《しゅ》人《じん》に、目《め》をさましているところを見《み》られるしもべたちは幸《さいわ》いです。まことに、あなたがたに告《つ》げます。主《しゅ》人《じん》のほうが帯《おび》を締《し》め、そのしもべたちを食《しょく》卓《たく》に着《つ》かせ、そばにいて給《きゅう》仕《じ》をしてくれます。ルカ 12:38 主《しゅ》人《じん》が真《ま》夜《よ》中《なか》に帰《かえ》っても、夜《よ》明《あ》けに帰《かえ》っても、いつでもそのようであることを見《み》られるなら、そのしもべたちは幸《さいわ》いです。ルカ 12:39 このことを知《し》っておきなさい。もしも家《いえ》の主《しゅ》人《じん》が、どろぼうの来《く》る時《じ》間《かん》を知《し》っていたなら、おめおめと自《じ》分《ぶん》の家《いえ》に押《お》し入《い》られはしなかったでしょう。ルカ 12:40 あなたがたも用《よう》心《じん》していなさい。人《ひと》の子《こ》は、思《おも》いがけない時《とき》に来《く》るのですから。」ルカ 12:41 そこで、ペテロが言《い》った。「主《しゅ》よ。このたとえは私たちのために話《はな》してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」ルカ 12:42 主《しゅ》は言《い》われた。「では、主《しゅ》人《じん》から、その家《いえ》のしもべたちを任《まか》されて、食《しょく》事《じ》時《どき》には彼《かれ》らに食《た》べ物《もの》を与《あた》える忠《ちゅう》実《じつ》な賢《かしこ》い管《かん》理《り》人《にん》とは、いったいだれでしょう。ルカ 12:43 主《しゅ》人《じん》が帰《かえ》って来《き》たときに、そのようにしているのを見《み》られるしもべは幸《さいわ》いです。ルカ 12:44 わたしは真《しん》実《じつ》をあなたがたに告《つ》げます。主《しゅ》人《じん》は彼《かれ》に自《じ》分《ぶん》の全《ぜん》財《ざい》産《さん》を任《まか》せるようになります。ルカ 12:45 ところが、もし、そのしもべが、『主《しゅ》人《じん》の帰《かえ》りはまだだ』と心《こころ》の中《なか》で思《おも》い、下《げ》男《なん》や下《げ》女《じょ》を打《う》ちたたき、食《た》べたり飲《の》んだり、酒《さけ》に酔《よ》ったりし始《はじ》めると、ルカ 12:46 しもべの主《しゅ》人《じん》は、思《おも》いがけない日《ひ》の思《おも》わぬ時《じ》間《かん》に帰《かえ》って来《き》ます。そして、彼《かれ》をきびしく罰《ばっ》して、不《ふ》忠《ちゅう》実《じつ》な者《もの》どもと同《おな》じめに会《あ》わせるに違《ちが》いありません。ルカ 12:47 主《しゅ》人《じん》の心《こころ》を知《し》りながら、その思《おも》いどおりに用《よう》意《い》もせず、働《はたら》きもしなかったしもべは、ひどくむち打《う》たれます。ルカ 12:48 しかし、知《し》らずにいたために、むち打《う》たれるようなことをしたしもべは、打《う》たれても、少《すこ》しで済《す》みます。すべて、多《おお》く与《あた》えられた者《もの》は多《おお》く求《もと》められ、多《おお》く任《まか》された者《もの》は多《おお》く要《よう》求《きゅう》されます。ルカ 12:49 わたしが来《き》たのは、地《ち》に火《ひ》を投《な》げ込《こ》むためです。だから、その火《ひ》が燃《も》えていたらと、どんなに願《ねが》っていることでしょう。ルカ 12:50 しかし、わたしには受《う》けるバプテスマがあります。それが成《な》し遂《と》げられるまでは、どんなに苦《くる》しむことでしょう。ルカ 12:51 あなたがたは、地《ち》に平《へい》和《わ》を与《あた》えるためにわたしが来《き》たと思《おも》っているのですか。そうではありません。あなたがたに言《い》いますが、むしろ、分《ぶん》裂《れつ》です。ルカ 12:52 今《いま》から、一《いっ》家《か》五人《にん》は、三人《にん》がふたりに、ふたりが三人《にん》に対《たい》抗《こう》して分《わ》かれるようになります。ルカ 12:53 父《ちち》は息《むす》子《こ》に、息《むす》子《こ》は父《ちち》に対《たい》抗《こう》し、母《はは》は娘《むすめ》に、娘《むすめ》は母《はは》に対《たい》抗《こう》し、しゅうとめは嫁《よめ》に、嫁《よめ》はしゅうとめに対《たい》抗《こう》して分《わ》かれるようになります。」ルカ 12:54 群《ぐん》衆《しゅう》にもこう言《い》われた。「あなたがたは、西《にし》に雲《くも》が起《お》こるのを見《み》るとすぐに、『にわか雨《あめ》が来《く》るぞ』と言《い》い、事《じ》実《じつ》そのとおりになります。ルカ 12:55 また南《みなみ》風《かぜ》が吹《ふ》きだすと、『暑《あ》い《つ》日《ひ》になるぞ』と言《い》い、事《じ》実《じつ》そのとおりになります。ルカ 12:56 偽《ぎ》善《ぜん》者《しゃ》たち。あなたがたは地《ち》や空《そら》の現《げん》象《しょう》を見《み》分《わ》けることを知《し》りながら、どうして今《いま》のこの時《じ》代《だい》を見《み》分《わ》けることができないのですか。ルカ 12:57 また、なぜ自《じ》分《ぶん》から進《すす》んで、何《なに》が正《ただ》しいかを判《はん》断《だん》しないのですか。ルカ 12:58 あなたを告《こく》訴《そ》する者《もの》といっしょに役《やく》人《にん》の前《まえ》に行《い》くときは、途《と》中《ちゅう》でも、熱《ねっ》心《しん》に彼《かれ》と和《わ》解《かい》するよう努《つと》めなさい。そうでないと、その人《ひと》はあなたを裁《さい》判《ばん》官《かん》のもとにひっぱって行《い》きます。裁《さい》判《ばん》官《かん》は執《しっ》行《こう》人《にん》に引《ひ》き渡《わた》し、執《しっ》行《こう》人《にん》は牢《ろう》に投《な》げ込《こ》んでしまいます。ルカ 12:59 あなたに言《い》います。最《さい》後《ご》の一レプタを支《し》払《はら》うまでは、そこから決《けっ》して出《で》られないのです。」 3月21日ルカ 13 ルカ 13:1 ちょうどそのとき、ある人《ひと》たちがやって来《き》て、イエスに報《ほう》告《こく》した。ピラトがガリラヤ人《じん》たちの血《ち》をガリラヤ人《じん》たちのささげるいけにえに混《ま》ぜたというのである。ルカ 13:2 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「そのガリラヤ人《じん》たちがそのような災《さい》難《なん》を受《う》けたから、ほかのどのガリラヤ人《じん》よりも罪《つみ》深《ぶか》い人《ひと》たちだったとでも思《おも》うのですか。ルカ 13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言《い》います。あなたがたも悔《く》い改《あらた》めないなら、みな同《おな》じように滅《ほろ》びます。ルカ 13:4 また、シロアムの塔《とう》が倒《たお》れ落《お》ちて死《し》んだあの十八人《にん》は、エルサレムに住《す》んでいるだれよりも罪《つみ》深《ぶか》い人《ひと》たちだったとでも思《おも》うのですか。ルカ 13:5 そうではない。わたしはあなたがたに言《い》います。あなたがたも悔《く》い改《あらた》めないなら、みな同《おな》じように滅《ほろ》びます。」ルカ 13:6 イエスはこのようなたとえを話《はな》された。「ある人《ひと》が、ぶどう園《えん》にいちじくの木《き》を植《う》えておいた。実《み》を取《と》りに来《き》たが、何《なに》も見《み》つからなかった。ルカ 13:7 そこで、ぶどう園《えん》の番《ばん》人《にん》に言《い》った。『見《み》なさい。三年《ねん》もの間《あいだ》、やって来《き》ては、このいちじくの実《み》のなるのを待《ま》っているのに、なっていたためしがない。これを切《き》り倒《たお》してしまいなさい。何《なん》のために土《と》地《ち》をふさいでいるのですか。』ルカ 13:8 番《ばん》人《にん》は答《こた》えて言《い》った。『ご主《しゅ》人《じん》。どうか、ことし一年《ねん》そのままにしてやってください。木《き》の回《まわ》りを掘《ほ》って、肥《こ》やしをやってみますから。ルカ 13:9 もしそれで来《らい》年《ねん》、実《み》を結《むす》べばよし、それでもだめなら、切《き》り倒《たお》してください。』」ルカ 13:10 イエスは安《あん》息《そく》日《にち》に、ある会《かい》堂《どう》で教《おし》えておられた。ルカ 13:11 すると、そこに十八年《ねん》も病《やまい》の霊《れい》につかれ、腰《こし》が曲《ま》がって、全《ぜん》然《ぜん》伸《の》ばすことのできない女《おんな》がいた。ルカ 13:12 イエスは、その女《おんな》を見《み》て、呼《よ》び寄《よ》せ、「あなたの病《びょう》気《き》はいやされました」と言《い》って、ルカ 13:13 手《て》を置《お》かれると、女《おんな》はたちどころに腰《こし》が伸《の》びて、神《かみ》をあがめた。ルカ 13:14 すると、それを見《み》た会《かい》堂《どう》管《かん》理《り》者《しゃ》は、イエスが安《あん》息《そく》日《にち》にいやされたのを憤《いきどお》って、群《ぐん》衆《しゅう》に言《い》った。「働《はたら》いてよい日《ひ》は六《むい》日《か》です。その間《あいだ》に来《き》て直《なお》してもらうがよい。安《あん》息《そく》日《にち》には、いけないのです。」ルカ 13:15 しかし、主《しゅ》は彼《かれ》に答《こた》えて言《い》われた。「偽《ぎ》善《ぜん》者《しゃ》たち。あなたがたは、安《あん》息《そく》日《にち》に、牛《うし》やろばを小《こ》屋《や》からほどき、水《みず》を飲《の》ませに連《つ》れて行《い》くではありませんか。ルカ 13:16 この女《おんな》はアブラハムの娘《むすめ》なのです。それを十八年《ねん》もの間《あいだ》サタンが縛《しば》っていたのです。安《あん》息《そく》日《にち》だからといってこの束《そく》縛《ばく》を解《と》いてやってはいけないのですか。」ルカ 13:17 こう話《はな》されると、反《はん》対《たい》していた者《もの》たちはみな、恥《は》じ入《い》り、群《ぐん》衆《しゅう》はみな、イエスのなさったすべての輝《かがや》かしいみわざを喜《よろこ》んだ。ルカ 13:18 そこで、イエスはこう言《い》われた。「神《か》の《み》国《くに》は、何《なに》に似《に》ているでしょう。何《なに》に比《くら》べたらよいでしょう。ルカ 13:19 それは、からし種《だね》のようなものです。それを取《と》って庭《にわ》に蒔《ま》いたところ、生《せい》長《ちょう》して木《き》になり、空《そら》の鳥《とり》が枝《えだ》に巣《す》を作《つく》りました。」ルカ 13:20 またこう言《い》われた。「神《か》の《み》国《くに》を何《なに》に比《くら》べましょう。ルカ 13:21 パン種《だね》のようなものです。女《おんな》がパン種《だね》を取《と》って、三サトンの粉《こな》に混《ま》ぜたところ、全《ぜん》体《たい》がふくれました。」ルカ 13:22 イエスは、町《まち》々《まち》村《むら》々《むら》を次《つぎ》々《つぎ》に教《おし》えながら通《とお》り、エルサレムへの旅《たび》を続《つづ》けられた。ルカ 13:23 すると、「主《しゅ》よ。救《すく》われる者《もの》は少《すく》ないのですか」と言《い》う人《ひと》があった。イエスは、人《ひと》々《びと》に言《い》われた。ルカ 13:24 「努《ど》力《りょ》し《く》て狭《せま》い門《もん》から入《はい》りなさい。なぜなら、あなたがたに言《い》いますが、入《はい》ろうとしても、入《はい》れなくなる人《ひと》が多《おお》いのですから。ルカ 13:25 家《いえ》の主《しゅ》人《じん》が、立《た》ち上《あ》がって、戸《と》をしめてしまってからでは、外《そと》に立《た》って、『ご主《しゅ》人《じん》さま。あけてください』と言《い》って、戸《と》をいくらたたいても、もう主《しゅ》人《じん》は、『あなたがたがどこの者《もの》か、私は知《し》らない』と答《こた》えるでしょう。ルカ 13:26 すると、あなたがたは、こう言《い》い始《はじ》めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食《た》べたり飲《の》んだりいたしましたし、私たちの大《おお》通《どお》りで教《おし》えていただきました。』ルカ 13:27 だが、主《しゅ》人《じん》はこう言《い》うでしょう。『私はあなたがたがどこの者《もの》だか知《し》りません。不《ふ》正《せい》を行《おこな》う者《もの》たち。みな出《で》て行《い》きなさい。』ルカ 13:28 神《かみ》の国《くに》にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預《よ》言《げん》者《しゃ》たちが入《はい》っているのに、あなたがたは外《そと》に投《な》げ出《だ》されることになったとき、そこで泣《な》き叫《さけ》んだり、歯《は》ぎしりしたりするのです。ルカ 13:29 人《ひと》々《びと》は、東《ひがし》からも西《にし》からも、また南《みなみ》からも北《きた》からも来《き》て、神《かみ》の国《くに》で食《しょく》卓《たく》に着《つ》きます。ルカ 13:30 いいですか、今《いま》しんがりの者《もの》があとで先《せん》頭《とう》になり、いま先《せん》頭《とう》の者《もの》がしんがりになるのです。」ルカ 13:31 ちょうどそのとき、何《なん》人《にん》かのパリサイ人《びと》が近《ちか》寄《よ》って来《き》て、イエスに言《い》った。「ここから出《で》てほかの所《ところ》へ行《い》きなさい。ヘロデがあなたを殺《ころ》そうと思《おも》っています。」ルカ 13:32 イエスは言《い》われた。「行《い》って、あの狐《きつね》にこう言《い》いなさい。『よく見《み》なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪《あく》霊《れい》どもを追《お》い出《だ》し、病《びょう》人《にん》をいやし、三《みっ》日《か》目《め》に全《ま》う《っと》されます。ルカ 13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次《つぎ》の日《ひ》も進《すす》んで行《い》かなければなりません。なぜなら、預《よ》言《げん》者《しゃ》がエルサレム以《い》外《がい》の所《ところ》で死《し》ぬことはありえないからです。』ルカ 13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預《よ》言《げん》者《しゃ》たちを殺《ころ》し、自《じ》分《ぶん》に遣《つか》わされた人《ひと》たちを石《いし》で打《う》つ者《もの》、わたしは、めんどりがひなを翼《つばさ》の下《した》にかばうように、あなたの子《こ》らを幾《いく》たび集《あつ》めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好《この》まなかった。ルカ 13:35 見《み》なさい。あなたがたの家《いえ》は荒《あ》れ果《は》てたままに残《のこ》される。わたしはあなたがたに言《い》います。『祝《しゅく》福《ふく》あれ。主《しゅ》の御《み》名《な》によって来《こ》られる方《かた》に』とあなたがたの言《い》うときが来《く》るまでは、あなたがたは決《けっ》してわたしを見《み》ることができません。」 3月22日ルカ 14 ルカ 14:1 ある安《あん》息《そく》日《にち》に、食《しょく》事《じ》をしようとして、パリサイ派《は》のある指《し》導《どう》者《しゃ》の家《いえ》に入《はい》られたとき、みんながじっとイエスを見《み》つめていた。ルカ 14:2 そこには、イエスの真《ま》っ正《しょう》面《めん》に、水《すい》腫《しゅ》をわずらっている人《ひと》がいた。ルカ 14:3 イエスは、律《りっ》法《ぽう》の専《せん》門《もん》家《か》、パリサイ人《びと》たちに、「安《あん》息《そく》日《にち》に病《びょう》気《き》を直《なお》すことは正《ただ》しいことですか、それともよくないことですか」と言《い》われた。ルカ 14:4 しかし、彼《かれ》らは黙《だま》っていた。それで、イエスはその人《ひと》を抱《だ》いていやし、帰《かえ》された。ルカ 14:5 それから、彼《かれ》らに言《い》われた。「自《じ》分《ぶん》の息《むす》子《こ》や牛《うし》が井《い》戸《ど》に落《お》ちたのに、安《あん》息《そく》日《にち》だからといって、すぐに引《ひ》き上《あ》げてやらない者《もの》があなたがたのうちにいるでしょうか。」ルカ 14:6 彼《かれ》らは答《こた》えることができなかった。ルカ 14:7 招《まね》かれた人《ひと》々《びと》が上《じょう》座《ざ》を選《えら》んでいる様《よう》子《す》に気《き》づいておられたイエスは、彼《かれ》らにたとえを話《はな》された。ルカ 14:8 「婚《こん》礼《れい》の披《ひ》露《ろう》宴《えん》に招《まね》かれたときには、上《じょう》座《ざ》にすわってはいけません。あなたより身《み》分《ぶん》の高《たか》い人《ひと》が、招《まね》かれているかもしれないし、ルカ 14:9 あなたやその人《ひと》を招《まね》いた人《ひと》が来《き》て、『この人《ひと》に席《せき》を譲《ゆず》ってください』とあなたに言《い》うなら、そのときあなたは恥《はじ》をかいて、末《まっ》席《せき》に着《つ》かなければならないでしょう。ルカ 14:10 招《まね》かれるようなことがあって、行《い》ったなら、末《まっ》席《せき》に着《つ》きなさい。そうしたら、あなたを招《まね》いた人《ひと》が来《き》て、『どうぞもっと上《じょう》席《せき》にお進《すす》みください』と言《い》うでしょう。そのときは、満《まん》座《ざ》の中《なか》で面《めん》目《もく》を施《ほどこ》すことになります。ルカ 14:11 なぜなら、だれでも自《じ》分《ぶん》を高《たか》くする者《もの》は低《ひく》くされ、自《じ》分《ぶん》を低《ひく》くする者《もの》は高《たか》くされるからです。」ルカ 14:12 また、イエスは、自《じ》分《ぶん》を招《まね》いてくれた人《ひと》にも、こう話《はな》された。「昼《ちゅう》食《しょく》や夕《ゆう》食《しょく》のふるまいをするなら、友《ゆう》人《じん》、兄《きょう》弟《だい》、親《しん》族《ぞく》、近《きん》所《じょ》の金《かね》持《も》ちなどを呼《よ》んではいけません。でないと、今《こん》度《ど》は彼《かれ》らがあなたを招《まね》いて、お返《かえ》しすることになるからです。ルカ 14:13 祝《しゅく》宴《えん》を催《もよお》す場《ば》合《あい》には、むしろ、貧《まず》しい者《もの》、からだの不《ふ》自《じ》由《ゆう》な者《もの》、足《あし》のなえた者《もの》、盲《もう》人《じん》たちを招《まね》きなさい。ルカ 14:14 その人《ひと》たちはお返《かえ》しができないので、あなたは幸《さいわ》いです。義《ぎ》人《じん》の復《ふっ》活《かつ》のときお返《かえ》しを受《う》けるからです。」ルカ 14:15 イエスといっしょに食《しょく》卓《たく》に着《つ》いていた客《きゃく》のひとりはこれを聞《き》いて、イエスに、「神《かみ》の国《くに》で食《しょく》事《じ》する人《ひと》は、何《なん》と幸《さいわ》いなことでしょう」と言《い》った。ルカ 14:16 するとイエスはこう言《い》われた。「ある人《ひと》が盛《せい》大《だい》な宴《えん》会《かい》を催《もよお》し、大《おお》ぜいの人《ひと》を招《まね》いた。ルカ 14:17 宴《えん》会《かい》の時《じ》刻《こく》になったのでしもべをやり、招《まね》いておいた人《ひと》々《びと》に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用《よう》意《い》ができましたから』と言《い》わせた。ルカ 14:18 ところが、みな同《おな》じように断《ことわ》り始《はじ》めた。最《さい》初《しょ》の人《ひと》はこう言《い》った。『畑《はたけ》を買《か》ったので、どうしても見《み》に出《で》かけなければなりません。すみませんが、お断《ことわ》りさせていただきます。』ルカ 14:19 もうひとりはこう言《い》った。『五くびきの牛《うし》を買《か》ったので、それをためしに行《い》くところです。すみませんが、お断《ことわ》りさせていただきます。』ルカ 14:20 また、別《べつ》の人《ひと》はこう言《い》った。『結《けっ》婚《こん》したので、行《い》くことができません。』ルカ 14:21 しもべは帰《かえ》って、このことを主《しゅ》人《じん》に報《ほう》告《こく》した。すると、おこった主《しゅ》人《じん》は、そのしもべに言《い》った。『急《いそ》いで町《まち》の大《おお》通《どお》りや路《ろ》地《じ》に出《で》て行《い》って、貧《まず》しい者《もの》や、からだの不《ふ》自《じ》由《ゆう》な者《もの》や、盲《もう》人《じん》や、足《あし》のなえた者《もの》たちをここに連《つ》れて来《き》なさい。』ルカ 14:22 しもべは言《い》った。『ご主《しゅ》人《じん》さま。仰《おお》せのとおりにいたしました。でも、まだ席《せき》があります。』ルカ 14:23 主《しゅ》人《じん》は言《い》った。『街《かい》道《どう》や垣《かき》根《ね》のところに出《で》かけて行《い》って、この家《いえ》がいっぱいになるように、無《む》理《り》にでも人《ひと》々《びと》を連《つ》れて来《き》なさい。ルカ 14:24 言《い》っておくが、あの招《しょう》待《たい》されていた人《ひと》たちの中《なか》で、私の食《しょく》事《じ》を味《あじ》わう者《もの》は、ひとりもいないのです。』」ルカ 14:25 さて、大《おお》ぜいの群《ぐん》衆《しゅう》が、イエスといっしょに歩《ある》いていたが、イエスは彼《かれ》らのほうに向《む》いて言《い》われた。ルカ 14:26 「わたしのもとに来《き》て、自《じ》分《ぶん》の父《ちち》、母《はは》、妻《つま》、子《こ》、兄《きょう》弟《だい》、姉《し》妹《まい》、そのうえ自《じ》分《ぶん》のいのちまでも憎《にく》まない者《もの》は、わたしの弟《で》子《し》になることができません。ルカ 14:27 自《じ》分《ぶん》の十《じゅう》字《じ》架《か》を負《お》ってわたしについて来《こ》ない者《もの》は、わたしの弟《で》子《し》になることはできません。ルカ 14:28 塔《とう》を築《きず》こうとするとき、まずすわって、完《かん》成《せい》に十《じゅう》分《ぶん》な金《かね》があるかどうか、その費《ひ》用《よう》を計《けい》算《さん》しない者《もの》が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。ルカ 14:29 基《き》礎《そ》を築《きず》いただけで完《かん》成《せい》できなかったら、見《み》ていた人《ひと》はみな彼《かれ》をあざ笑《わら》って、ルカ 14:30 『この人《ひと》は、建《た》て始《はじ》めはしたものの、完《かん》成《せい》できなかった』と言《い》うでしょう。ルカ 14:31 また、どんな王《おう》でも、ほかの王《おう》と戦《たたか》いを交《まじ》えようとするときは、二万人《にん》を引《ひ》き連《つ》れて向《む》かって来《く》る敵《てき》を、一万人《にん》で迎《むか》え撃《う》つことができるかどうかを、まずすわって、考《かんが》えずにいられましょうか。ルカ 14:32 もし見《み》込《こ》みがなければ、敵《てき》がまだ遠《とお》くに離《はな》れている間《あいだ》に、使《し》者《しゃ》を送《おく》って講《こう》和《わ》を求《もと》めるでしょう。ルカ 14:33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自《じ》分《ぶん》の財《ざい》産《さん》全《ぜん》部《ぶ》を捨《す》てないでは、わたしの弟《で》子《し》になることはできません。ルカ 14:34 ですから、塩《しお》は良《よ》いものですが、もしその塩《しお》が塩《しお》けをなくしたら、何《なに》によってそれに味《あじ》をつけるのでしょうか。ルカ 14:35 土《と》地《ち》にも肥《こ》やしにも役《やく》立《だ》たず、外《そと》に投《な》げ捨《す》てられてしまいます。聞《き》く耳《みみ》のある人《ひと》は聞《き》きなさい。」 3月23日ルカ 15 ルカ 15:1 さて、取《しゅ》税《ぜい》人《にん》、罪《つみ》人《びと》たちがみな、イエスの話《はなし》を聞《き》こうとして、みもとに近《ちか》寄《よ》って来《き》た。ルカ 15:2 すると、パリサイ人《びと》、律《りっ》法《ぽう》学《がく》者《しゃ》たちは、つぶやいてこう言《い》った。「この人《ひと》は、罪《つみ》人《びと》たちを受《う》け入《い》れて、食《しょく》事《じ》までいっしょにする。」ルカ 15:3 そこでイエスは、彼《かれ》らにこのようなたとえを話《はな》された。ルカ 15:4 「あなたがたのうちに羊《ひつじ》を百匹《ぴき》持《も》っている人《ひと》がいて、そのうちの一匹《ぴき》をなくしたら、その人《ひと》は九十九匹《ひき》を野《の》原《はら》に残《のこ》して、いなくなった一匹《ぴき》を見《み》つけるまで捜《さが》し歩《ある》かないでしょうか。ルカ 15:5 見《み》つけたら、大《おお》喜《よろこ》びでその羊《ひつじ》をかついで、ルカ 15:6 帰《かえ》って来《き》て、友《とも》だちや近《きん》所《じょ》の人《ひと》たちを呼《よ》び集《あつ》め、『いなくなった羊《ひつじ》を見《み》つけましたから、いっしょに喜《よろこ》んでください』と言《い》うでしょう。ルカ 15:7 あなたがたに言《い》いますが、それと同《おな》じように、ひとりの罪《つみ》人《びと》が悔《く》い改《あらた》めるなら、悔《く》い改《あらた》める必《ひつ》要《よう》のない九十九人《にん》の正《ただ》しい人《ひと》にまさる喜《よろこ》びが天《てん》にあるのです。ルカ 15:8 また、女《おんな》の人《ひと》が銀《ぎん》貨《か》を十枚《まい》持《も》っていて、もしその一枚《まい》をなくしたら、あかりをつけ、家《いえ》を掃《は》いて、見《み》つけるまで念《ねん》入《い》りに捜《さが》さないでしょうか。ルカ 15:9 見《み》つけたら、友《とも》だちや近《きん》所《じょ》の女《おんな》たちを呼《よ》び集《あつ》めて、『なくした銀《ぎん》貨《か》を見《み》つけましたから、いっしょに《よ》喜《ろこ》んでください』と言《い》うでしょう。ルカ 15:10 あなたがたに言《い》いますが、それと同《おな》じように、ひとりの罪《つみ》人《びと》が悔《く》い改《あらた》めるなら、神《かみ》の御《み》使《つか》いたちに喜《よろこ》びがわき起《お》こるのです。」ルカ 15:11 またこう話《はな》された。「ある人《ひと》に息《むす》子《こ》がふたりあった。ルカ 15:12 弟《おとうと》が父《ちち》に、『お父《とう》さん。私に財《ざい》産《さん》の分《わ》け前《まえ》を下《くだ》さい』と言《い》った。それで父《ちち》は、身《しん》代《だい》をふたりに分《わ》けてやった。ルカ 15:13 それから、幾《いく》日《にち》もたたぬうちに、弟《おとうと》は、何《なに》もかもまとめて遠《とお》い国《くに》に旅《たび》立《だ》った。そして、そこで放《ほう》蕩《とう》して湯《ゆ》水《みず》のように財《ざい》産《さん》を使《つか》ってしまった。ルカ 15:14 何《なに》もかも使《つか》い果《は》たしたあとで、その国《くに》に大《だい》ききんが起《お》こり、彼《かれ》は食《た》べるにも困《こま》り始《はじ》めた。ルカ 15:15 それで、その国《くに》のある人《ひと》のもとに身《み》を寄《よ》せたところ、その人《ひと》は彼《かれ》を畑《はたけ》にやって、豚《ぶた》の世《せ》話《わ》をさせた。ルカ 15:16 彼《かれ》は豚《ぶた》の食《た》べるいなご豆《まめ》で腹《はら》を満《み》たしたいほどであったが、だれひとり彼《かれ》に与《あた》えようとはしなかった。ルカ 15:17 しかし、我《われ》に返《かえ》ったとき彼《かれ》は、こう言《い》った。『父《ちち》のところには、パンのあり余《あま》っている雇《やと》い人《にん》が大《おお》ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢《う》え死《じ》にしそうだ。ルカ 15:18 立《た》って、父《ちち》のところに行《い》って、こう言《い》おう。「お父《とう》さん。私は天《てん》に対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》し、またあなたの前《まえ》に罪《つみ》を犯《おか》しました。ルカ 15:19 もう私は、あなたの子《こ》と呼《よ》ばれる資《し》格《かく》はありません。雇《やと》い人《にん》のひとりにしてください。」』ルカ 15:20 こうして彼《かれ》は立《た》ち上《あ》がって、自《じ》分《ぶん》の父《ちち》のもとに行《い》った。ところが、まだ家《いえ》までは遠《とお》かったのに、父《ちち》親《おや》は彼《かれ》を見《み》つけ、かわいそうに思《おも》い、走《はし》り寄《よ》って彼《かれ》を抱《だ》き、口《くち》づけした。ルカ 15:21 息《むす》子《こ》は言《い》った。『お父《とう》さん。私は天《てん》に対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》し、またあなたの前《まえ》に罪《つみ》を犯《おか》しました。もう私は、あなたの子《こ》と呼《よ》ばれる資《し》格《かく》はありません。』ルカ 15:22 ところが父《ちち》親《おや》は、しもべたちに言《い》った。『急《いそ》いで一《いち》番《ばん》良《よ》い着《き》物《もの》を持《も》って来《き》て、この子《こ》に着《き》せなさい。それから、手《て》に指《ゆび》輪《わ》をはめさせ、足《あし》にくつをはかせなさい。ルカ 15:23 そして肥《こ》えた子《こ》牛《うし》を引《ひ》いて来《き》てほふりなさい。食《た》べて祝《いわ》おうではないか。ルカ 15:24 この息《むす》子《こ》は、死《し》んでいたのが生《い》き返《かえ》り、いなくなっていたのが見《み》つかったのだから。』そして彼《かれ》らは祝《しゅく》宴《えん》を始《はじ》めた。ルカ 15:25 ところで、兄《あに》息《むす》子《こ》は畑《はたけ》にいたが、帰《かえ》って来《き》て家《いえ》に近《ちか》づくと、音《おん》楽《がく》や踊《おど》りの音《おと》が聞《き》こえて来《き》た。ルカ 15:26 それで、しもべのひとりを呼《よ》んで、これはいったい何《なに》事《ごと》かと尋《たず》ねると、ルカ 15:27 しもべは言《い》った。『弟《おとうと》さんがお帰《かえ》りになったのです。無《ぶ》事《じ》な姿《すがた》をお迎《むか》えしたというので、お父《とう》さんが、肥《こ》えた子《こ》牛《うし》をほふらせなさったのです。』ルカ 15:28 すると、兄《あに》はおこって、家《いえ》に入《はい》ろうともしなかった。それで、父《ちち》が出《で》て来《き》て、いろいろなだめてみた。ルカ 15:29 しかし兄《あに》は父《ちち》にこう言《い》った。『ご覧《らん》なさい。長《なが》年《ねん》の間《あいだ》、私はお父《とう》さんに仕《つか》え、戒《いまし》めを破《やぶ》ったことは一度《ど》もありません。その私には、友《とも》だちと楽《たの》しめと言《い》って、子《こ》山《や》羊《ぎ》一匹《ぴき》下《くだ》さったことがありません。ルカ 15:30 それなのに、遊《ゆう》女《じょ》におぼれてあなたの身《しん》代《だい》を食《く》いつぶして帰《かえ》って来《き》たこのあなたの息《むす》子《こ》のためには、肥《こ》えた子《こ》牛《うし》をほふらせなさったのですか。』ルカ 15:31 父《ちち》は彼《かれ》に言《い》った。『子《こ》よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全《ぜん》部《ぶ》おまえのものだ。ルカ 15:32 だがおまえの弟《おとうと》は、死《し》んでいたのが生《い》き返《かえ》って来《き》たのだ。いなくなっていたのが見《み》つかったのだから、楽《たの》しんで喜《よろこ》ぶのは当《とう》然《ぜん》ではないか。』」 3月24日ルカ 16 ルカ 16:1 イエスは、弟《で》子《し》たちにも、こういう話《はなし》をされた。「ある金《かね》持《も》ちにひとりの管《かん》理《り》人《にん》がいた。この管《かん》理《り》人《にん》が主《しゅ》人《じん》の財《ざい》産《さん》を乱《らん》費《ぴ》している、という訴《うった》えが出《だ》された。ルカ 16:2 主《しゅ》人《じん》は、彼《かれ》を呼《よ》んで言《い》った。『おまえについてこんなことを聞《き》いたが、何《なん》ということをしてくれたのだ。もう管《かん》理《り》を任《まか》せておくことはできないから、会《かい》計《けい》の報《ほう》告《こく》を出《だ》しなさい。』ルカ 16:3 管《かん》理《り》人《にん》は心《こころ》の中《なか》で言《い》った。『主《しゅ》人《じん》にこの管《かん》理《り》の仕《し》事《ごと》を取《と》り上《あ》げられるが、さてどうしよう。土《つち》を掘《ほ》るには力《ちから》がないし、物《もの》ごいをするのは恥《は》ずかしいし。ルカ 16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管《かん》理《り》の仕《し》事《ごと》をやめさせられても、人《ひと》がその家《いえ》に私を迎《むか》えてくれるだろう。』ルカ 16:5 そこで彼《かれ》は、主《しゅ》人《じん》の債《さい》務《む》者《しゃ》たちをひとりひとり呼《よ》んで、まず最《さい》初《しょ》の者《もの》に、『私の主《しゅ》人《じん》に、いくら借《か》りがありますか』と言《い》うと、ルカ 16:6 その人《ひと》は、『油《あぶら》百バテ』と言《い》った。すると彼《かれ》は、『さあ、あなたの証《しょう》文《もん》だ。すぐにすわって五十と書《か》きなさい』と言《い》った。ルカ 16:7 それから、別《べつ》の人《ひと》に、『さて、あなたは、いくら借《か》りがありますか』と言《い》うと、『小《こ》麦《むぎ》百コル』と言《い》った。彼《かれ》は、『さあ、あなたの証《しょう》文《もん》だ。八十と書《か》きなさい』と言《い》った。ルカ 16:8 この世《よ》の子《こ》らは、自《じ》分《ぶん》たちの世《よ》のことについては、光《ひかり》の子《こ》らよりも抜《ぬ》けめがないものなので、主《しゅ》人《じん》は、不《ふ》正《せい》な管《かん》理《り》人《にん》がこうも抜《ぬ》けめなくやったのをほめた。ルカ 16:9 そこで、わたしはあなたがたに言《い》いますが、不《ふ》正《せい》の富《とみ》で、自《じ》分《ぶん》のために友《とも》をつくりなさい。そうしておけば、富《とみ》がなくなったとき、彼《かれ》らはあなたがたを、永《えい》遠《えん》の住《す》まいに迎《むか》えるのです。ルカ 16:10 小《ちい》さい事《こと》に忠《ちゅう》実《じつ》な人《ひと》は、大《おお》きい事《こと》にも忠《ちゅう》実《じつ》であり、小《ちい》さい事《こと》に不《ふ》忠《ちゅう》実《じつ》な人《ひと》は、大《おお》きい事《こと》にも不《ふ》忠《ちゅう》実《じつ》です。ルカ 16:11 ですから、あなたがたが不《ふ》正《せい》の富《とみ》に忠《ちゅう》実《じつ》でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富《とみ》を任《まか》せるでしょう。ルカ 16:12 また、あなたがたが他《た》人《にん》のものに忠《ちゅう》実《じつ》でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持《も》たせるでしょう。ルカ 16:13 しもべは、ふたりの主《しゅ》人《じん》に仕《つか》えることはできません。一《いっ》方《ぽう》を憎《にく》んで他《た》方《ほう》を愛《あい》したり、または一《いっ》方《ぽう》を重《おも》んじて他《た》方《ほう》を軽《かろ》んじたりするからです。あなたがたは、神《かみ》にも仕《つか》え、また富《とみ》にも仕《つか》えるということはできません。」ルカ 16:14 さて、金《かね》の好《す》きなパリサイ人《びと》たちが、一《いち》部《ぶ》始《し》終《じゅう》を聞《き》いて、イエスをあざ笑《わら》っていた。ルカ 16:15 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「あなたがたは、人《ひと》の前《まえ》で自《じ》分《ぶん》を正《ただ》しいとする者《もの》です。しかし神《かみ》は、あなたがたの心《こころ》をご存《ぞん》じです。人《にん》間《げん》の間《あいだ》であがめられるものは、神《かみ》の前《まえ》で憎《にく》まれ、きらわれます。ルカ 16:16 律《りっ》法《ぽう》と預《よ》言《げん》者《しゃ》はヨハネまでです。それ以《い》来《らい》、神《かみ》の国《くに》の福《ふく》音《いん》は宣《の》べ伝《つた》えられ、だれもかれも、無《む》理《り》にでも、これに入《はい》ろうとしています。ルカ 16:17 しかし律《りっ》法《ぽう》の一《いっ》画《かく》が落《お》ちるよりも、天《てん》地《ち》の滅《ほろ》びるほうがやさしいのです。ルカ 16:18 だれでも妻《つま》を離《り》別《べつ》してほかの女《おんな》と結《けっ》婚《こん》する者《もの》は、姦《かん》淫《いん》を犯《おか》す者《もの》であり、また、夫《おっと》から離《り》別《べつ》された女《おんな》と結《けっ》婚《こん》する者《もの》も、姦《かん》淫《いん》を犯《おか》す者《もの》です。ルカ 16:19 ある金《かね》持《も》ちがいた。いつも紫《むらさき》の衣《ころも》や細《ほそ》布《ぬの》を着《き》て、毎《まい》日《にち》ぜいたくに遊《あそ》び暮《く》らしていた。ルカ 16:20 ところが、その門《もん》前《ぜん》にラザロという全《ぜん》身《しん》おできの貧《まず》しい人《ひと》が寝《ね》ていて、ルカ 16:21 金《かね》持《も》ちの食《しょく》卓《たく》から落《お》ちる物《もの》で腹《はら》を満《み》たしたいと思《おも》っていた。犬《いぬ》もやって来《き》ては、彼《かれ》のおできをなめていた。ルカ 16:22 さて、この貧《まず》しい人《ひと》は死《し》んで、御《み》使《つか》いたちによってアブラハムのふところに連《つ》れて行《い》かれた。金《かね》持《も》ちも死《し》んで葬《ほうむ》られた。ルカ 16:23 その金《かね》持《も》ちは、ハデスで苦《くる》しみながら目《め》を上《あ》げると、アブラハムが、はるかかなたに見《み》えた。しかも、そのふところにラザロが見《み》えた。ルカ 16:24 彼《かれ》は叫《さけ》んで言《い》った。『父《ち》ア《ち》ブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指《ゆび》先《さき》を水《みず》に浸《ひた》して私の舌《した》を冷《ひ》やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎《ほのお》の中《なか》で、苦《くる》しくてたまりません。』ルカ 16:25 アブラハムは言《い》った。『子《こ》よ。思《おも》い出《だ》してみなさい。おまえは生《い》きている間《あいだ》、良《よ》い物《もの》を受《う》け、ラザロは生《い》きている間《あいだ》、悪《わる》い物《もの》を受《う》けていました。しかし、今《いま》ここで彼《かれ》は慰《なぐさ》められ、おまえは苦《くる》しみもだえているのです。ルカ 16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間《あいだ》には、大《おお》きな淵《ふち》があります。ここからそちらへ渡《わた》ろうとしても、渡《わた》れないし、そこからこちらへ越《こ》えて来《く》ることもできないのです。』ルカ 16:27 彼《かれ》は言《い》った。『父《ちち》よ。ではお願《ねが》いです。ラザロを私の父《ちち》の家《いえ》に送《おく》ってください。ルカ 16:28 私には兄《きょう》弟《だい》が五人《にん》ありますが、彼《かれ》らまでこんな苦《くる》しみの場《ば》所《しょ》に来《く》ることのないように、よく言《い》い聞《き》かせてください。』ルカ 16:29 しかしアブラハムは言《い》った。『彼《かれ》らには、モーセと預《よ》言《げん》者《しゃ》があります。その言《い》うことを聞《き》くべきです。』ルカ 16:30 彼《かれ》は言《い》った。『いいえ、父《ちち》アブラハム。もし、だれかが死《し》んだ者《もの》の中《なか》から彼《かれ》らのところに行《い》ってやったら、彼《かれ》らは悔《く》い改《あらた》めるに違《ちが》いありません。』ルカ 16:31 アブラハムは彼《かれ》に言《い》った。『もしモーセと預《よ》言《げん》者《しゃ》との教《おし》えに耳《みみ》を傾《かたむ》けないのなら、たといだれかが死《し》人《にん》の中《なか》から生《い》き返《かえ》っても、彼《かれ》らは聞《き》き入《い》れはしない。』」 prev Today next