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4月06日
ヨハネ 3
| ヨハネ 3:1 さて、パリサイ人《びと》の中《なか》にニコデモという人《ひと》がいた。ユダヤ人《じん》の指《し》導《どう》者《しゃ》であった。 ヨハネ 3:2 この人《ひと》が、夜《よる》、イエスのもとに来《き》て言《い》った。「先《せん》生《せ》。私たちは、あなたが神《かみ》のもとから来《こ》られた教《きょう》師《し》であることを知《し》っています。神《かみ》がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行《おこな》うことができません。」 ヨハネ 3:3 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「まことに、まことに、あなたに告《つ》げます。人《ひと》は、新《あた》し《ら》く生《う》まれなければ、神《かみ》の国《くに》を見《み》ることはできません。」 ヨハネ 3:4 ニコデモは言《い》った。「人《ひと》は、老《ろう》年《ねん》になっていて、どのようにして生《う》まれることができるのですか。もう一度《ど》、母《はは》の胎《たい》に入《はい》って生《う》まれることができましょうか。」 ヨハネ 3:5 イエスは答《こた》えられた。「まことに、まことに、あなたに告《つ》げます。人《ひと》は、水《みず》と御《み》霊《たま》によって生《う》まれなければ、神《かみ》の国《くに》に入《はい》ることができません。 ヨハネ 3:6 肉《にく》によって生《う》まれた者《もの》は肉《にく》です。御《み》霊《たま》によって生《う》まれた者《もの》は霊《れい》です。 ヨハネ 3:7 あなたがたは新《あたら》しく生《う》まれなければならない、とわたしが言《い》ったことを不《ふ》思《し》議《ぎ》に思《おも》ってはなりません。 ヨハネ 3:8 風《かぜ》はその思《おも》いのままに吹《ふ》き、あなたはその音《おと》を聞《き》くが、それがどこから来《き》てどこへ行《い》くかを知《し》らない。御《み》霊《たま》によって生《う》まれる者《もの》もみな、そのとおりです。」 ヨハネ 3:9 ニコデモは答《こた》えて言《い》った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 ヨハネ 3:10 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「あなたはイスラエルの教《きょう》師《し》でありながら、こういうことがわからないのですか。 ヨハネ 3:11 まことに、まことに、あなたに告《つ》げます。わたしたちは、知《し》っていることを話《はな》し、見《み》たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受《う》け入《い》れません。 ヨハネ 3:12 あなたがたは、わたしが地《ち》上《じょう》のことを話《はな》したとき、信《しん》じないくらいなら、天《てん》上《じょう》のことを話《はな》したとて、どうして信《しん》じるでしょう。 ヨハネ 3:13 だれも天《てん》に上《のぼ》った者《もの》はいません。しかし天《てん》から下《くだ》った者《もの》はいます。すなわち人《ひと》の子《こ》です。 ヨハネ 3:14 モーセが荒《あら》野《の》で蛇《へび》を上《あ》げたように、人《ひと》の子《こ》もまた上《あ》げられなければなりません。 ヨハネ 3:15 それは、信《しん》じる者《もの》がみな、人《ひと》の子《こ》にあって永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》つためです。」 ヨハネ 3:16 神《かみ》は、実《じつ》に、そのひとり子《ご》をお与《あた》えになったほどに、世《よ》を愛《あい》された。それは御《み》子《こ》を信《しん》じる者《もの》が、ひとりとして滅《ほろ》びることなく、永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》つためである。 ヨハネ 3:17 神《かみ》が御《み》子《こ》を世《よ》に遣《つか》わされたのは、世《よ》をさばくためではなく、御《み》子《こ》によって世《よ》が救《すく》われるためである。 ヨハネ 3:18 御《み》子《こ》を信《しん》じる者《もの》はさばかれない。信《しん》じない者《もの》は神《かみ》のひとり子《ご》の御《み》名《な》を信《しん》じなかったので、すでにさばかれている。 ヨハネ 3:19 そのさばきというのは、こうである。光《ひかり》が世《よ》に来《き》ているのに、人《ひと》々《びと》は光《ひかり》よりもやみを愛《あい》した。その行《おこな》いが悪《わる》かったからである。 ヨハネ 3:20 悪《わる》いことをする者《もの》は光《ひかり》を憎《にく》み、その行《おこな》いが明《あか》るみに出《だ》されることを恐《おそ》れて、光《ひかり》のほうに来《こ》ない。 ヨハネ 3:21 しかし、真《しん》理《り》を行《おこな》う者《もの》は、光《ひかり》のほうに来《く》る。その行《おこな》いが神《かみ》にあってなされたことが明《あき》らかにされるためである。 ヨハネ 3:22 その後《のち》、イエスは弟《で》子《し》たちと、ユダヤの地《ち》に行《い》き、彼《かれ》らとともにそこに滞《たい》在《ざい》して、バプテスマを授《さず》けておられた。 ヨハネ 3:23 一《いっ》方《ぽう》ヨハネもサリムに近《ちか》いアイノンでバプテスマを授《さず》けていた。そこには水《みず》が多《おお》かったからである。人《ひと》々《びと》は次《つぎ》々《つぎ》にやって来《き》て、バプテスマを受《う》けていた。 ヨハネ 3:24 ‐‐ヨハネは、まだ投《とう》獄《ごく》されていなかったからである‐‐ ヨハネ 3:25 それで、ヨハネの弟《で》子《し》たちが、あるユダヤ人《じん》ときよめについて論《ろん》議《ぎ》した。 ヨハネ 3:26 彼《かれ》らはヨハネのところに来《き》て言《い》った。「先《せん》生《せ》。見《み》てください。ヨルダンの向《む》こう岸《ぎし》であなたといっしょにいて、あなたが証《しょう》言《げん》なさったあの方《かた》が、バプテスマを授《さず》けておられます。そして、みなあの方《かた》のほうへ行《い》きます。」 ヨハネ 3:27 ヨハネは答《こた》えて言《い》った。「人《ひ》は《と》、天《てん》から与《あた》えられるのでなければ、何《なに》も受《う》けることはできません。 ヨハネ 3:28 あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前《まえ》に遣《つか》わされた者《もの》である』と私が言《い》ったことの証《しょう》人《にん》です。 ヨハネ 3:29 花《はな》嫁《よめ》を迎《むか》える者《もの》は花《はな》婿《むこ》です。そこにいて、花《はな》婿《むこ》のことばに耳《みみ》を傾《かたむ》けているその友《ゆう》人《じん》は、花《はな》婿《むこ》の声《こえ》を聞《き》いて大《おお》いに喜《よろこ》びます。それで、私もその喜《よろこ》びで満《み》たされているのです。 ヨハネ 3:30 あの方《かた》は盛《さか》んになり私は衰《おとろ》えなければなりません。」 ヨハネ 3:31 上《うえ》から来《く》る方《かた》は、すべてのものの上《うえ》におられ、地《ち》から出《で》る者《もの》は地《ち》に属《ぞく》し、地《ち》のことばを話《はな》す。天《てん》から来《く》る方《かた》は、すべてのものの上《うえ》におられる。 ヨハネ 3:32 この方《かた》は見《み》たこと、また聞《き》いたことをあかしされるが、だれもそのあかしを受《う》け入《い》れない。 ヨハネ 3:33 そのあかしを受《う》け入《い》れた者《もの》は、神《かみ》は真《しん》実《じつ》であるということに確《かく》認《にん》の印《いん》を押《お》したのである。 ヨハネ 3:34 神《かみ》がお遣《つか》わしになった方《かた》は、神《かみ》のことばを話《はな》される。神《かみ》が御《み》霊《たま》を無《む》限《げん》に与《あた》えられるからである。 ヨハネ 3:35 父《ちち》は御《み》子《こ》を愛《あい》しておられ、万《ばん》物《ぶつ》を御《み》子《こ》の手《て》にお渡《わた》しになった。 ヨハネ 3:36 御《み》子《こ》を信《しん》じる者《もの》は永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》つが、御《み》子《こ》に聞《き》き従《したが》わない者《もの》は、いのちを見《み》ることがなく、神《かみ》の怒《いか》りがその上《うえ》にとどまる。 |
4月07日
ヨハネ 4
| ヨハネ 4:1 イエスがヨハネよりも弟《で》子《し》を多《おお》くつくって、バプテスマを授《さず》けていることがパリサイ人《びと》の耳《みみ》に入《はい》った。それを主《しゅ》が知《し》られたとき、 ヨハネ 4:2 ‐‐イエスご自《じ》身《しん》はバプテスマを授《さず》けておられたのではなく、弟《で》子《し》たちであったが‐‐ ヨハネ 4:3 主《しゅ》はユダヤを去《さ》って、またガリラヤへ行《い》かれた。 ヨハネ 4:4 しかし、サマリヤを通《とお》って行《い》かなければならなかった。 ヨハネ 4:5 それで主《しゅ》は、ヤコブがその子《こ》ヨセフに与《あた》えた地《じ》所《しょ》に近《ちか》いスカルというサマリヤの町《まち》に来《こ》られた。 ヨハネ 4:6 そこにはヤコブの井《い》戸《ど》があった。イエスは旅《たび》の疲《つか》れで、井《い》戸《ど》のかたわらに腰《こし》をおろしておられた。時《とき》は第《だい》六時《じ》ごろであった。 ヨハネ 4:7 ひとりのサマリヤの女《おんな》が水《みず》をくみに来《き》た。イエスは「わたしに水《みず》を飲《の》ませてください」と言《い》われた。 ヨハネ 4:8 弟《で》子《し》たちは食《しょく》物《もつ》を買《か》いに、町《まち》へ出《で》かけていた。 ヨハネ 4:9 そこで、そのサマリヤの女《おんな》は言《い》った。「あなたはユダヤ人《じん》なのに、どうしてサマリヤの女《おんな》の私に、飲《の》み水《みず》をお求《もと》めになるのですか。」‐‐ユダヤ人《じん》はサマリヤ人《じん》とつきあいをしなかったからである‐‐ ヨハネ 4:10 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「もしあなたが神《かみ》の賜《たま》物《もの》を知《し》り、また、あなたに水《みず》を飲《の》ませてくれと言《い》う者《もの》がだれであるかを知《し》っていたなら、あなたのほうでその人《ひと》に求《もと》めたことでしょう。そしてその人《ひと》はあなたに生《い》ける水《みず》を与《あた》えたことでしょう。」 ヨハネ 4:11 彼《かの》女《じょ》は言《い》った。「先《せん》生《せい》。あなたはくむ物《もの》を持《も》っておいでにならず、この井《い》戸《ど》は深《ふか》いのです。その生《い》ける水《みず》をどこから手《て》にお入《い》れになるのですか。 ヨハネ 4:12 あなたは、私たちの父《ちち》ヤコブよりも偉《えら》いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井《い》戸《ど》を与《あた》え、彼《かれ》自《じ》身《しん》も、彼《かれ》の子《こ》たちも家《か》畜《ちく》も、この井《い》戸《ど》から飲《の》んだのです。」 ヨハネ 4:13 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「この水《みず》を飲《の》む者《もの》はだれでも、また渇《かわ》きます。 ヨハネ 4:14 しかし、わたしが与《あた》える水《みず》を飲《の》む者《もの》はだれでも、決《けっ》して渇《かわ》くことがありません。わたしが与《あた》える水《みず》は、その人《ひと》のうちで泉《いずみ》となり、永《えい》遠《えん》のいのちへの水《みず》がわき出《で》ます。」 ヨハネ 4:15 女《おんな》はイエスに言《い》った。「先《せん》生《せ》。私が渇《かわ》くことがなく、もうここまでくみに来《こ》なくてもよいように、その水《みず》を私に下《くだ》さい。」 ヨハネ 4:16 イエスは彼《かの》女《じょ》に言《い》われた。「行《い》って、あなたの夫《おっと》をここに呼《よ》んで来《き》なさい。」 ヨハネ 4:17 女《おんな》は答《こた》えて言《い》った。「私には夫《おっと》はありません。」イエスは言《い》われた。「私には夫《おっと》がないというのは、もっともです。 ヨハネ 4:18 あなたには夫《おっと》が五人《にん》あったが、今《いま》あなたといっしょにいるのは、あなたの夫《おっと》ではないからです。あなたが言《い》ったことはほんとうです。」 ヨハネ 4:19 女《おんな》は言《い》った。「先《せん》生《せ》。あなたは預《よ》言《げん》者《しゃ》だと思《おも》います。 ヨハネ 4:20 私たちの父《ふ》祖《そ》たちはこの山《やま》で礼《れい》拝《はい》しましたが、あなたがたは、礼《れい》拝《はい》すべき場《ば》所《しょ》はエルサレムだと言《い》われます。」 ヨハネ 4:21 イエスは彼《かの》女《じょ》に言《い》われた。「わたしの言《い》うことを信《しん》じなさい。あなたがたが父《ちち》を礼《れい》拝《はい》するのは、この山《やま》でもなく、エルサレムでもない、そういう時《とき》が来《き》ます。 ヨハネ 4:22 救《すく》いはユダヤ人《じん》から出《で》るのですから、わたしたちは知《し》って礼《れい》拝《はい》していますが、あなたがたは知《し》らないで礼《れい》拝《はい》しています。 ヨハネ 4:23 しかし、真《しん》の礼《れい》拝《はい》者《しゃ》たちが霊《れい》とまことによって父《ちち》を礼《れい》拝《はい》する時《とき》が来《き》ます。今《いま》がその時《とき》です。父《ちち》はこのような人《ひと》々《びと》を礼《れい》拝《はい》者《しゃ》として求《もと》めておられるからです。 ヨハネ 4:24 神《かみ》は霊《れい》ですから、神《かみ》を礼《れい》拝《はい》する者《もの》は、霊《れい》とまことによって礼《れい》拝《はい》しなければなりません。」 ヨハネ 4:25 女《おんな》はイエスに言《い》った。「私は、キリストと呼《よ》ばれるメシヤの来《こ》られることを知《し》っています。その方《かた》が来《こ》られるときには、いっさいのことを私たちに知《し》らせてくださるでしょう。」 ヨハネ 4:26 イエスは言《い》われた。「あなたと話《はな》しているこのわたしがそれです。」 ヨハネ 4:27 このとき、弟《で》子《し》たちが帰《かえ》って来《き》て、イエスが女《おんな》の人《ひと》と話《はな》しておられるのを不《ふ》思《し》議《ぎ》に思《おも》った。しかし、だれも、「何《なに》を求《もと》めておられるのですか」とも、「なぜ彼《かの》女《じょ》と話《はな》しておられるのですか」とも言《い》わなかった。 ヨハネ 4:28 女《おんな》は、自《じ》分《ぶん》の水《みず》がめを置《お》いて町《まち》へ行《い》き、人《ひと》々《びと》に言《い》った。 ヨハネ 4:29 「来《き》て、見《み》てください。私のしたこと全《ぜん》部《ぶ》を私に言《い》った人《ひと》がいるのです。この方《かた》がキリストなのでしょうか。」 ヨハネ 4:30 そこで、彼《かれ》らは町《まち》を出《で》て、イエスのほうへやって来《き》た。 ヨハネ 4:31 そのころ、弟《で》子《し》たちはイエスに、「先《せん》生《せ》。召《め》し上《あ》がってください」とお願《ねが》いした。 ヨハネ 4:32 しかし、イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「わたしには、あなたがたの知《し》らない食《しょく》物《もつ》があります。」 ヨハネ 4:33 そこで、弟《で》子《し》たちは互《たが》いに言《い》った。「だれか食《た》べる物《もの》を持《も》って来《き》たのだろうか。」 ヨハネ 4:34 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「わたしを遣《つか》わした方《かた》のみこころを行《おこな》い、そのみわざを成《な》し遂《と》げることが、わたしの食《しょく》物《もつ》です。 ヨハネ 4:35 あなたがたは、『刈《か》り入《い》れ時《どき》が来《く》るまでに、まだ四か月《げつ》ある』と言《い》ってはいませんか。さあ、わたしの言《い》うことを聞《き》きなさい。目《め》を上《あ》げて畑《はたけ》を見《み》なさい。色《いろ》づいて、刈《か》り入《い》れるばかりになっています。 ヨハネ 4:36 すでに、刈《か》る者《もの》は報《ほう》酬《しゅう》を受《う》け、永《えい》遠《えん》のいのちに入《い》れられる実《み》を集《あつ》めています。それは蒔《ま》く者《もの》と刈《か》る者《もの》がともに喜《よろこ》ぶためです。 ヨハネ 4:37 こういうわけで、『ひとりが種《たね》を蒔《ま》き、ほかの者《もの》が刈《か》り取《と》る』ということわざは、ほんとうなのです。 ヨハネ 4:38 わたしは、あなたがたに自《じ》分《ぶん》で労《ろう》苦《く》しなかったものを刈《か》り取《と》らせるために、あなたがたを遣《つか》わしました。ほかの人《ひと》々《びと》が労《ろう》苦《く》して、あなたがたはその労《ろう》苦《く》の実《み》を得《え》ているのです。」 ヨハネ 4:39 さて、その町《まち》のサマリヤ人《じん》のうち多《おお》くの者《もの》が、「あの方《かた》は、私がしたこと全《ぜん》部《ぶ》を私に言《い》った」と証《しょう》言《げん》したその女《おんな》のことばによってイエスを信《しん》じた。 ヨハネ 4:40 そこで、サマリヤ人《じん》たちはイエスのところに来《き》たとき、自《じ》分《ぶん》たちのところに滞《たい》在《ざい》してくださるように願《ねが》った。そこでイエスは二《ふつ》日《か》間《かん》そこに滞《たい》在《ざい》された。 ヨハネ 4:41 そして、さらに多《おお》くの人《ひと》々《びと》が、イエスのことばによって信《しん》じた。 ヨハネ 4:42 そして彼《かれ》らはその女《おんな》に言《い》った。「もう私たちは、あなたが話《はな》したことによって信《しん》じているのではありません。自《じ》分《ぶん》で聞《き》いて、この方《かた》がほんとうに世《よ》の救《すく》い主《ぬし》だと知《し》っているのです。」 ヨハネ 4:43 さて、二《ふつ》日《か》の後《のち》、イエスはここを去《さ》って、ガリラヤへ行《い》かれた。 ヨハネ 4:44 イエスご自《じ》身《しん》が、「預《よ》言《げん》者《しゃ》は自《じ》分《ぶん》の故《こ》郷《きょう》では尊《たっと》ばれない」と証《しょう》言《げん》しておられたからである。 ヨハネ 4:45 そういうわけで、イエスがガリラヤに行《い》かれたとき、ガリラヤ人《じん》はイエスを歓《かん》迎《げい》した。彼《かれ》らも祭《まつ》りに行《い》っていたので、イエスが祭《まつ》りの間《あいだ》にエルサレムでなさったすべてのことを見《み》ていたからである。 ヨハネ 4:46 イエスは再《ふたた》びガリラヤのカナに行《い》かれた。そこは、かつて水《みず》をぶどう酒《しゅ》にされた所《ところ》である。さて、カペナウムに病《びょう》気《き》の息《むす》子《こ》がいる王《おう》室《しつ》の役《やく》人《にん》がいた。 ヨハネ 4:47 この人《ひと》は、イエスがユダヤからガリラヤに来《こ》られたと聞《き》いて、イエスのところへ行《い》き、下《くだ》って来《き》て息《むす》子《こ》をいやしてくださるように願《ねが》った。息《むす》子《こ》が死《し》にかかっていたからである。 ヨハネ 4:48 そこで、イエスは彼《かれ》に言《い》われた。「あなたがたは、しるしと不《ふ》思《し》議《ぎ》を見《み》ないかぎり、決《けっ》して信《しん》じない。」 ヨハネ 4:49 その王《おう》室《しつ》の役《やく》人《にん》はイエスに言《い》った。「主《しゅ》よ。どうか私の子《こ》どもが死《し》なないうちに下《くだ》って来《き》てください。」 ヨハネ 4:50 イエスは彼《かれ》に言《い》われた。「帰《かえ》って行《い》きなさい。あなたの息《むす》子《こ》は直《なお》っています。」その人《ひと》はイエスが言《い》われたことばを信《しん》じて、帰《き》途《と》についた。 ヨハネ 4:51 彼《かれ》が下《くだ》って行《い》く途《と》中《ちゅう》、そのしもべたちが彼《かれ》に出《で》会《あ》って、彼《かれ》の息《むす》子《こ》が直《なお》ったことを告《つ》げた。 ヨハネ 4:52 そこで子《こ》どもがよくなった時《じ》刻《こく》を彼《かれ》らに尋《たず》ねると、「きのう、第《だい》七時《じ》に熱《ねつ》がひきました」と言《い》った。 ヨハネ 4:53 それで父《ちち》親《おや》は、イエスが「あなたの息《むす》子《こ》は直《なお》っている」と言《い》われた時《じ》刻《こく》と同《おな》じであることを知《し》った。そして彼《かれ》自《じ》身《しん》と彼《かれ》の家《いえ》の者《もの》がみな信《しん》じた。 ヨハネ 4:54 イエスはユダヤを去《さ》ってガリラヤに入《はい》られてから、またこのことを第《だい》二のしるしとして行《おこな》われたのである。 |
4月08日
ヨハネ 5
| ヨハネ 5:1 その後《のち》、ユダヤ人《じん》の祭《まつ》りがあって、イエスはエルサレムに上《のぼ》られた。 ヨハネ 5:2 さて、エルサレムには、羊《ひつじ》の門《もん》の近《ちか》くに、ヘブル語《ご》でベテスダと呼《よ》ばれる池《いけ》があって、五つの回《かい》廊《ろう》がついていた。 ヨハネ 5:3 その中《なか》に大《おお》ぜいの病《びょう》人《にん》、盲《もう》人《じん》、足《あし》のなえた者《もの》、やせ衰《おとろ》えた者《もの》たちが伏《ふ》せっていた。 - ヨハネ 5:5 そこに、三十八年《ねん》もの間《あいだ》、病《びょう》気《き》にかかっている人《ひと》がいた。 ヨハネ 5:6 イエスは彼《かれ》が伏《ふ》せっているのを見《み》、それがもう長《なが》い間《あいだ》のことなのを知《し》って、彼《かれ》に言《い》われた。「よくなりたいか。」 ヨハネ 5:7 病《びょう》人《にん》は答《こた》えた。「主《しゅ》よ。私には、水《みず》がかき回《まわ》されたとき、池《いけ》の中《なか》に私を入《い》れてくれる人《ひと》がいません。行《い》きかけると、もうほかの人《ひと》が先《さき》に降《お》りて行《い》くのです。」 ヨハネ 5:8 イエスは彼《かれ》に言《い》われた。「起《お》きて、床《とこ》を取《と》り上《あ》げて歩《ある》きなさい。」 ヨハネ 5:9 すると、その人《ひと》はすぐに直《なお》って、床《とこ》を取《と》り上《あ》げて歩《ある》き出《だ》した。ところが、その日《ひ》は安《あん》息《そく》日《にち》であった。 ヨハネ 5:10 そこでユダヤ人《じん》たちは、そのいやされた人《ひと》に言《い》った。「きょうは安《あん》息《そく》日《にち》だ。床《とこ》を取《と》り上《あ》げてはいけない。」 ヨハネ 5:11 しかし、その人《ひと》は彼《かれ》らに答《こた》えた。「私を直《なお》してくださった方《かた》が、『床《とこ》を取《と》り上《あ》げて歩《ある》け』と言《い》われたのです。」 ヨハネ 5:12 彼《かれ》らは尋《たず》ねた。「『取《と》り上《あ》げて歩《ある》け』と言《い》った人《ひと》はだれだ。」 ヨハネ 5:13 しかし、いやされた人《ひと》は、それがだれであるか知《し》らなかった。人《ひと》が大《おお》ぜいそこにいる間《あいだ》に、イエスは立《た》ち去《さ》られたからである。 ヨハネ 5:14 その後《のち》、イエスは宮《みや》の中《なか》で彼《かれ》を見《み》つけて言《い》われた。「見《み》なさい。あなたはよくなった。もう罪《つみ》を犯《おか》してはなりません。そうでないともっと悪《わる》い事《こと》があなたの身《み》に起《お》こるから。」 ヨハネ 5:15 その人《ひと》は行《い》って、ユダヤ人《じん》たちに、自《じ》分《ぶん》を直《なお》してくれた方《かた》はイエスだと告《つ》げた。 ヨハネ 5:16 このためユダヤ人《じん》たちは、イエスを迫《はく》害《がい》した。イエスが安《あん》息《そく》日《にち》にこのようなことをしておられたからである。 ヨハネ 5:17 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「わたしの父《ちち》は今《いま》に至《いた》るまで働《はたら》いておられます。ですからわたしも働《はたら》いているのです。」 ヨハネ 5:18 このためユダヤ人《じん》たちは、ますますイエスを殺《ころ》そうとするようになった。イエスが安《あん》息《そく》日《にち》を破《やぶ》っておられただけでなく、ご自《じ》身《しん》を神《かみ》と等《ひと》しくして、神《かみ》を自《じ》分《ぶん》の父《ちち》と呼《よ》んでおられたからである。 ヨハネ 5:19 そこで、イエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。子《こ》は、父《ちち》がしておられることを見《み》て行《おこな》う以《い》外《がい》には、自《じ》分《ぶん》からは何《なに》事《ごと》も行《おこな》うことができません。父《ちち》がなさることは何《なん》でも、子《こ》も同《どう》様《よう》に行《おこな》うのです。 ヨハネ 5:20 それは、父《ちち》が子《こ》を愛《あい》して、ご自《じ》分《ぶん》のなさることをみな、子《こ》にお示《しめ》しになるからです。また、これよりもさらに大《おお》きなわざを子《こ》に示《しめ》されます。それは、あなたがたが驚《おどろ》き怪《あや》しむためです。 ヨハネ 5:21 父《ちち》が死《し》人《にん》を生《い》かし、いのちをお与《あた》えになるように、子《こ》もまた、与《あた》えたいと思《おも》う者《もの》にいのちを与《あた》えます。 ヨハネ 5:22 また、父《ちち》はだれをもさばかず、すべてのさばきを子《こ》にゆだねられました。 ヨハネ 5:23 それは、すべての者《もの》が、父《ちち》を敬《うやま》うように子《こ》を敬《うやま》うためです。子《こ》を敬《うやま》わない者《もの》は、子《こ》を遣《つか》わした父《ちち》をも敬《うやま》いません。 ヨハネ 5:24 まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。わたしのことばを聞《き》いて、わたしを遣《つか》わした方《かた》を信《しん》じる者《もの》は、永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》ち、さばきに会《あ》うことがなく、死《し》からいのちに移《うつ》っているのです。 ヨハネ 5:25 まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。死《し》人《にん》が神《かみ》の子《こ》の声《こえ》を聞《き》く時《とき》が来《き》ます。今《いま》がその時《とき》です。そして、聞《き》く者《もの》は生《い》きるのです。 ヨハネ 5:26 それは、父《ちち》がご自《じ》分《ぶん》のうちにいのちを持《も》っておられるように、子《こ》にも、自《じ》分《ぶん》のうちにいのちを持《も》つようにしてくださったからです。 ヨハネ 5:27 また、父《ちち》はさばきを行《おこな》う権《けん》を子《こ》に与《あた》えられました。子《こ》は人《ひと》の子《こ》だからです。 ヨハネ 5:28 このことに驚《おどろ》いてはなりません。墓《はか》の中《なか》にいる者《もの》がみな、子《こ》の声《こえ》を聞《き》いて出《で》て来《く》る時《とき》が来《き》ます。 ヨハネ 5:29 善《ぜん》を行《おこな》った者《もの》は、よみがえっていのちを受《う》け、悪《あく》を行《おこな》った者《もの》は、よみがえってさばきを受《う》けるのです。 ヨハネ 5:30 わたしは、自《じ》分《ぶん》からは何《なに》事《ごと》も行《おこな》うことができません。ただ聞《き》くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正《ただ》しいのです。わたし自《じ》身《しん》の望《のぞ》むことを求《もと》めず、わたしを遣《つか》わした方《かた》のみこころを求《もと》めるからです。 ヨハネ 5:31 もしわたしだけが自《じ》分《ぶん》のことを証《しょう》言《げん》するのなら、わたしの《し》証《ょう》言《げん》は真《しん》実《じつ》ではありません。 ヨハネ 5:32 わたしについて証《しょう》言《げん》する方《かた》がほかにあるのです。その方《かた》のわたしについて証《しょう》言《げん》される証《しょう》言《げん》が真《しん》実《じつ》であることは、わたしが知《し》っています。 ヨハネ 5:33 あなたがたは、ヨハネのところに人《ひと》をやりましたが、彼《かれ》は真《しん》理《り》について証《しょう》言《げん》しました。 ヨハネ 5:34 といっても、わたしは人《ひと》の証《しょう》言《げん》を受《う》けるのではありません。わたしは、あなたがたが救《すく》われるために、そのことを言《い》うのです。 ヨハネ 5:35 彼《かれ》は燃《も》えて輝《かがや》くともしびであり、あなたがたはしばらくの間《あいだ》、その光《ひかり》の中《なか》で楽《たの》しむことを願《ねが》ったのです。 ヨハネ 5:36 しかし、わたしにはヨハネの証《しょう》言《げん》よりもすぐれた証《しょう》言《げん》があります。父《ちち》がわたしに成《な》し遂《と》げさせようとしてお与《あた》えになったわざ、すなわちわたしが行《おこな》っているわざそのものが、わたしについて、父《ちち》がわたしを遣《つか》わしたことを証《しょう》言《げん》しているのです。 ヨハネ 5:37 また、わたしを遣《つか》わした父《ちち》ご自《じ》身《しん》がわたしについて証《しょう》言《げん》しておられます。あなたがたは、まだ一度《ど》もその御《み》声《こえ》を聞《き》いたこともなく、御《み》姿《すがた》を見《み》たこともありません。 ヨハネ 5:38 また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父《ちち》が遣《つか》わした者《もの》をあなたがたが信《しん》じないからです。 ヨハネ 5:39 あなたがたは、聖《せい》書《しょ》の中《なか》に永《えい》遠《えん》のいのちがあると思《おも》うので、聖《せい》書《しょ》を調《しら》べています。その聖《せい》書《しょ》が、わたしについて証《しょう》言《げん》しているのです。 ヨハネ 5:40 それなのに、あなたがたは、いのちを得《え》るためにわたしのもとに来《こ》ようとはしません。 ヨハネ 5:41 わたしは人《ひと》からの栄《えい》誉《よ》は受《う》けません。 ヨハネ 5:42 ただ、わたしはあなたがたを知《し》っています。あなたがたのうちには、神《かみ》の愛《あい》がありません。 ヨハネ 5:43 わたしはわたしの父《ちち》の名《な》によって来《き》ましたが、あなたがたはわたしを受《う》け入《い》れません。ほかの人《ひと》がその人《ひと》自《じ》身《しん》の名《な》において来《く》れば、あなたがたはその人《ひと》を受《う》け入《い》れるのです。 ヨハネ 5:44 互《たが》いの栄《えい》誉《よ》は受《う》けても、唯《ゆい》一《いつ》の神《かみ》からの栄《えい》誉《よ》を求《もと》めないあなたがたは、どうして信《しん》じることができますか。 ヨハネ 5:45 わたしが、父《ちち》の前《まえ》にあなたがたを訴《うった》えようとしていると思《おも》ってはなりません。あなたがたを訴《うった》える者《もの》は、あなたがたが望《のぞ》みをおいているモーセです。 ヨハネ 5:46 もしあなたがたがモーセを信《しん》じているのなら、わたしを信《しん》じたはずです。モーセが書《か》いたのはわたしのことだからです。 ヨハネ 5:47 しかし、あなたがたがモーセの書《しょ》を信《しん》じないのであれば、どうしてわたしのことばを信《しん》じるでしょう。」 |
4月09日
ヨハネ 6
| ヨハネ 6:1 その後《のち》、イエスはガリラヤの湖《みずうみ》、すなわち、テベリヤの湖《みずうみ》の向《む》こう岸《ぎし》へ行《い》かれた。 ヨハネ 6:2 大《おお》ぜいの人《ひと》の群《む》れがイエスにつき従《したが》っていた。それはイエスが病《びょう》人《にん》たちになさっていたしるしを見《み》たからである。 ヨハネ 6:3 イエスは山《やま》に登《のぼ》り、弟《で》子《し》たちとともにそこにすわられた。 ヨハネ 6:4 さて、ユダヤ人《じん》の祭《まつ》りである過《すぎ》越《こし》が間《ま》近《ぢか》になっていた。 ヨハネ 6:5 イエスは目《め》を上《あ》げて、大《おお》ぜいの人《ひと》の群《む》れがご自《じ》分《ぶん》のほうに来《く》るのを見《み》て、ピリポに言《い》われた。「どこからパンを買《か》って来《き》て、この人《ひと》々《びと》に食《た》べさせようか。」 ヨハネ 6:6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言《い》われたのであった。イエスは、ご自《じ》分《ぶん》では、しようとしていることを知《し》っておられたからである。 ヨハネ 6:7 ピリポはイエスに答《こた》えた。「めいめいが少《すこ》しずつ取《と》るにしても、二百デナリのパンでは足《た》りません。」 ヨハネ 6:8 弟《で》子《し》のひとりシモン・ペテロの兄《きょう》弟《だい》アンデレがイエスに言《い》った。 ヨハネ 6:9 「ここに少《しょう》年《ねん》が大《おお》麦《むぎ》のパンを五つと小《ちい》さい魚《うお》を二匹《ひき》持《も》っています。しかし、こんなに大《おお》ぜいの人《ひと》々《びと》では、それが何《なん》になりましょう。」 ヨハネ 6:10 イエスは言《い》われた。「人《ひと》々《びと》をすわらせなさい。」その場《ば》所《しょ》には草《くさ》が多《おお》かった。そこで男《おとこ》たちはすわった。その数《かず》はおよそ五千人《にん》であった。 ヨハネ 6:11 そこで、イエスはパンを取《と》り、感《かん》謝《しゃ》をささげてから、すわっている人《ひと》々《びと》に分《わ》けてやられた。また、小《ちい》さい魚《うお》も同《おな》じようにして、彼《かれ》らにほしいだけ分《わ》けられた。 ヨハネ 6:12 そして、彼《かれ》らが十《じゅう》分《ぶん》食《た》べたとき、弟《で》子《し》たちに言《い》われた。「余《あま》ったパン切《き》れを、一つもむだに捨《す》てないように集《あつ》めなさい。」 ヨハネ 6:13 彼《かれ》らは集《あつ》めてみた。すると、大《おお》麦《むぎ》のパン五つから出《で》て来《き》たパン切《き》れを、人《ひと》々《びと》が食《た》べたうえ、なお余《あま》ったもので十二のかごがいっぱいになった。 ヨハネ 6:14 人《ひと》々《びと》は、イエスのなさったしるしを見《み》て、「まことに、この方《かた》こそ、世《よ》に来《こ》られるはずの預《よ》言《げん》者《しゃ》だ」と言《い》った。 ヨハネ 6:15 そこで、イエスは、人《ひと》々《びと》が自《じ》分《ぶん》を王《おう》とするために、むりやりに連《つ》れて行《い》こうとしているのを知《し》って、ただひとり、また山《やま》に退《しりぞ》かれた。 ヨハネ 6:16 夕《ゆう》方《がた》になって、弟《で》子《し》たちは湖《こ》畔《はん》に降《お》りて行《い》った。 ヨハネ 6:17 そして、舟《ふね》に乗《の》り込《こ》み、カペナウムのほうへ湖《みずうみ》を渡《わた》っていた。すでに暗《くら》くなっていたが、イエスはまだ彼《かれ》らのところに来《き》ておられなかった。 ヨハネ 6:18 湖《みずうみ》は吹《ふ》きまくる強《きょう》風《ふう》に荒《あ》れ始《はじ》めた。 ヨハネ 6:19 こうして、四、五キロメートルほどこぎ出《だ》したころ、彼《かれ》らは、イエスが湖《みずうみ》の上《うえ》を歩《ある》いて舟《ふね》に近《ちか》づいて来《こ》られるのを見《み》て、恐《おそ》れた。 ヨハネ 6:20 しかし、イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「わたしだ。恐《おそ》れることはない。」 ヨハネ 6:21 それで彼《かれ》らは、イエスを喜《よろこ》んで舟《ふね》に迎《むか》えた。舟《ふね》はほどなく目《もく》的《てき》の地《ち》に着《つ》いた。 ヨハネ 6:22 その翌《よく》日《じつ》、湖《みずうみ》の向《む》こう岸《ぎし》にいた群《ぐん》衆《しゅう》は、そこには小《こ》舟《ぶね》が一隻《せき》あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟《ふね》にイエスは弟《で》子《し》たちといっしょに乗《の》られないで、弟《で》子《し》たちだけが行《い》ったということに気《き》づいた。 ヨハネ 6:23 しかし、主《しゅ》が感《かん》謝《しゃ》をささげられてから、人《ひと》々《びと》がパンを食《た》べた場《ば》所《しょ》の近《ちか》くに、テベリヤから数《すう》隻《せき》の小《こ》舟《ぶね》が来《き》た。 ヨハネ 6:24 群《ぐん》衆《しゅう》は、イエスがそこにおられず、弟《で》子《し》たちもいないことを知《し》ると、自《じ》分《ぶん》たちもその小《こ》舟《ぶね》に乗《の》り込《こ》んで、イエスを捜《さが》してカペナウムに来《き》た。 ヨハネ 6:25 そして湖《みずうみ》の向《む》こう側《がわ》でイエスを見《み》つけたとき、彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「先《せん》生《せ》。いつここにおいでになりましたか。」 ヨハネ 6:26 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。あなたがたがわたしを捜《さが》しているのは、しるしを見《み》たからではなく、パンを食《た》べて満《まん》腹《ぷく》したからです。 ヨハネ 6:27 なくなる食《しょく》物《もつ》のためではなく、いつまでも保《たも》ち、永《えい》遠《えん》の いのちに至《いた》る食《しょく》物《もつ》のために働《はたら》きなさい。それこそ、人《ひと》の子《こ》があなたがたに与《あた》えるものです。この人《ひと》の子《こ》を父《ちち》すなわち神《かみ》が認《にん》証《しょう》されたからです。」 ヨハネ 6:28 すると彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「私たちは、神《かみ》のわざを行《おこな》うために、何《なに》をすべきでしょうか。」 ヨハネ 6:29 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「あなたがたが、神《かみ》が遣《つか》わした者《もの》を信《しん》じること、それが神《かみ》のわざです。」 ヨハネ 6:30 そこで彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「それでは、私たちが見《み》てあなたを信《しん》じるために、しるしとして何《なに》をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。 ヨハネ 6:31 私たちの父《ふ》祖《そ》たちは荒《あら》野《の》でマナを食《た》べました。『彼《かれ》は彼《かれ》らに天《てん》からパンを与《あた》えて食《た》べさせた』と書《か》いてあるとおりです。」 ヨハネ 6:32 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。モーセはあなたがたに天《てん》からのパンを与《あた》えたのではありません。しかし、わたしの父《ちち》は、あなたがたに天《てん》からまことのパンをお与《あた》えになります。 ヨハネ 6:33 というのは、神《かみ》のパンは、天《てん》から下《くだ》って来《き》て、世《よ》にいのちを与《あた》えるものだからです。」 ヨハネ 6:34 そこで彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「主《しゅ》よ。いつもそのパンを私たちにお与《あた》えください。」 ヨハネ 6:35 イエスは言《い》われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来《く》る者《もの》は決《けっ》して飢《う》えることがなく、わたしを信《しん》じる者《もの》はどんなときにも、決《けっ》して渇《かわ》くことがありません。 ヨハネ 6:36 しかし、あなたがたはわたしを見《み》ながら信《しん》じようとしないと、わたしはあなたがたに言《い》いました。 ヨハネ 6:37 父《ちち》がわたしにお与《あた》えになる者《もの》はみな、わたしのところに来《き》ます。そしてわたしのところに来《く》る者《もの》を、わたしは決《けっ》して捨《す》てません。 ヨハネ 6:38 わたしが天《てん》から下《くだ》って来《き》たのは、自《じ》分《ぶん》のこころを行《おこな》うためではなく、わたしを遣《つか》わした方《かた》のみこころを行《おこな》うためです。 ヨハネ 6:39 わたしを遣《つか》わした方《かた》のみこころは、わたしに与《あた》えてくださったすべての者《もの》を、わたしがひとりも失《うしな》うことなく、ひとりひとりを終《お》わりの日《ひ》によみがえらせることです。 ヨハネ 6:40 事《じ》実《じつ》、わたしの父《ちち》のみこころは、子《こ》を見《み》て信《しん》じる者《もの》がみな永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》つことです。わたしはその人《ひと》たちをひとりひとり終《お》わりの日《ひ》によみがえらせます。」 ヨハネ 6:41 ユダヤ人《じん》たちは、イエスが「わたしは天《てん》から下《くだ》って来《き》たパンである」と言《い》われたので、イエスについてつぶやいた。 ヨハネ 6:42 彼《かれ》らは言《い》った。「あれはヨセフの子《こ》で、われわれはその父《ちち》も母《はは》も知《し》っている、そのイエスではないか。どうしていま彼《かれ》は『わたしは天《てん》から下《くだ》って来《き》た』と言《い》うのか。」 ヨハネ 6:43 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「互《たが》いにつぶやくのはやめなさい。 ヨハネ 6:44 わたしを遣《つか》わした父《ちち》が引《ひ》き寄《よ》せられないかぎり、だれもわたしのところに来《く》ることはできません。わたしは終《お》わりの日《ひ》にその人《ひと》をよみがえらせます。 ヨハネ 6:45 預《よ》言《げん》者《しゃ》の書《しょ》に、『そして、彼《かれ》らはみな神《かみ》によって教《おし》えられる』と書《か》かれていますが、父《ちち》から聞《き》いて学《まな》んだ者《もの》はみな、わたしのところに来《き》ます。 ヨハネ 6:46 だれも父《ちち》を見《み》た者《もの》はありません。ただ神《かみ》から出《で》た者《もの》、すなわち、この者《もの》だけが、父《ちち》を見《み》たのです。 ヨハネ 6:47 まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。信《しん》じる者《もの》は永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》ちます。 ヨハネ 6:48 わたしはいのちのパンです。 ヨハネ 6:49 あなたがたの父《ふ》祖《そ》たちは荒《あら》野《の》でマナを食《た》べたが、死《し》にました。 ヨハネ 6:50 しかし、これは天《てん》から下《くだ》って来《き》たパンで、それを食《た》べると死《し》ぬことがないのです。 ヨハネ 6:51 わたしは、天《てん》から下《くだ》って来《き》た生《い》けるパンです。だれでもこのパンを食《た》べるなら、永《えい》遠《えん》に生《い》きます。またわたしが与《あた》えようとするパンは、世《よ》のいのちのための、わたしの肉《にく》です。」 ヨハネ 6:52 すると、ユダヤ人《じん》たちは、「この人《ひと》は、どのようにしてその肉《にく》を私たちに与《あた》えて食《た》べさせることができるのか」と言《い》って互《たが》いに議《ぎ》論《ろん》し合《あ》った。 ヨハネ 6:53 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。人《ひと》の子《こ》の肉《にく》を食《た》べ、またその血《ち》を飲《の》まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 ヨハネ 6:54 わたしの肉《にく》を食《た》べ、わたしの血《ち》を飲《の》む者《もの》は、永《えい》遠《えん》のいのちを持《も》っています。わたしは終《お》わりの日《ひ》にその人《ひと》をよみがえらせます。 ヨハネ 6:55 わたしの肉《にく》はまことの食《しょく》物《もつ》、わたしの血《ち》はまことの飲《の》み物《もの》だからです。 ヨハネ 6:56 わたしの肉《にく》を食《た》べ、わたしの血《ち》を飲《の》む者《もの》は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼《かれ》のうちにとどまります。 ヨハネ 6:57 生《い》ける父《ちち》がわたしを遣《つか》わし、わたしが父《ちち》によって生《い》きているように、わたしを食《た》べる者《もの》も、わたしによって生《い》きるのです。 ヨハネ 6:58 これは天《てん》から下《くだ》って来《き》たパンです。あなたがたの父《ふ》祖《そ》たちが食《た》べて死《し》んだようなものではありません。このパンを食《た》べる者《もの》は永《えい》遠《えん》に生《い》きます。」 ヨハネ 6:59 これは、イエスがカペナウムで教《おし》えられたとき、会《かい》堂《どう》で話《はな》されたことである。 ヨハネ 6:60 そこで、弟《で》子《し》たちのうちの多《おお》くの者《もの》が、これを聞《き》いて言《い》った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞《き》いておられようか。」 ヨハネ 6:61 しかし、イエスは、弟《で》子《し》たちがこうつぶやいているのを、知《し》っておられ、彼《かれ》らに言《い》われた。「このことであなたがたはつまずくのか。 ヨハネ 6:62 それでは、もし人《ひと》の子《こ》がもといた所《ところ》に上《のぼ》るのを見《み》たら、どうなるのか。 ヨハネ 6:63 いのちを与《あた》えるのは御《み》霊《たま》です。肉《にく》は何《なん》の益《えき》ももたらしません。わたしがあなたがたに話《はな》したことばは、霊《れい》であり、またいのちです。 ヨハネ 6:64 しかし、あなたがたのうちには信《しん》じない者《もの》がいます。」‐‐イエスは初《はじ》めから、信《しん》じない者《もの》がだれであるか、裏《うら》切《ぎ》る者《もの》がだれであるかを、知《し》っておられたのである‐‐ ヨハネ 6:65 そしてイエスは言《い》われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父《ちち》のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来《く》ることはできない』と言《い》ったのです。」 ヨハネ 6:66 こういうわけで、弟《で》子《し》たちのうちの多《おお》くの者《もの》が離《はな》れ去《さ》って行《い》き、もはやイエスとともに歩《ある》かなかった。 ヨハネ 6:67 そこで、イエスは十二弟《で》子《し》に言《い》われた。「まさか、あなたがたも離《はな》れたいと思《おも》うのではないでしょう。」 ヨハネ 6:68 すると、シモン・ペテロが答《こた》えた。「主《しゅ》よ。私たちがだれのところに行《い》きましょう。あなたは、永《えい》遠《えん》のいのちのことばを持《も》っておられます。 ヨハネ 6:69 私たちは、あなたが神《かみ》の聖《せい》者《じゃ》であることを信《しん》じ、また知《し》っています。」 ヨハネ 6:70 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「わたしがあなたがた十二人《にん》を選《えら》んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪《あく》魔《ま》です。」 ヨハネ 6:71 イエスはイスカリオテ・シモンの子《こ》ユダのことを言《い》われたのであった。このユダは十二弟《で》子《し》のひとりであったが、イエスを売《う》ろうとしていた。 |
4月10日
ヨハネ 7
| ヨハネ 7:1 その後《のち》、イエスはガリラヤを巡《めぐ》っておられた。それは、ユダヤ人《じん》たちがイエスを殺《ころ》そうとしていたので、ユダヤを巡《めぐ》りたいとは思《おも》われなかったからである。 ヨハネ 7:2 さて、仮《かり》庵《いお》の祭《まつ》りというユダヤ人《じん》の祝《いわ》いが近《ちか》づいていた。 ヨハネ 7:3 そこで、イエスの兄《きょう》弟《だい》たちはイエスに向《む》かって言《い》った。「あなたの弟《で》子《し》たちもあなたがしているわざを見《み》ることができるように、ここを去《さ》ってユダヤに行《い》きなさい。 ヨハネ 7:4 自《じ》分《ぶん》から公《おおやけ》の場《ば》に出《で》たいと思《おも》いながら、隠《かく》れた所《ところ》で事《こと》を行《おこな》う者《もの》はありません。あなたがこれらの事《こと》を行《おこな》うのなら、自《じ》分《ぶん》を世《よ》に現《あらわ》しなさい。」 ヨハネ 7:5 兄《きょう》弟《だい》たちもイエスを信《しん》じていなかったのである。 ヨハネ 7:6 そこでイエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「わたしの時《とき》はまだ来《き》ていません。しかし、あなたがたの時《とき》はいつでも来《き》ているのです。 ヨハネ 7:7 世《よ》はあなたがたを憎《にく》むことはできません。しかしわたしを憎《にく》んでいます。わたしが、世《よ》について、その《お》行《こな》いが悪《わる》いことをあかしするからです。 ヨハネ 7:8 あなたがたは祭《まつ》りに上《のぼ》って行《い》きなさい。わたしはこの祭《まつ》りには行《い》きません。わたしの時《とき》がまだ満《み》ちていないからです。」 ヨハネ 7:9 こう言《い》って、イエスはガリラヤにとどまられた。 ヨハネ 7:10 しかし、兄《きょう》弟《だい》たちが祭《まつ》りに上《のぼ》ったとき、イエスご自《じ》身《しん》も、公《おおやけ》にではなく、いわば内《ない》密《みつ》に上《のぼ》って行《い》かれた。 ヨハネ 7:11 ユダヤ人《じん》たちは、祭《まつ》りのとき、「あの方《かた》はどこにおられるのか」と言《い》って、イエスを捜《さが》していた。 ヨハネ 7:12 そして群《ぐん》衆《しゅう》の間《あいだ》には、イエスについて、いろいろとひそひそ話《ばなし》がされていた。「良《よ》い人《ひと》だ」と言《い》う者《もの》もあり、「違《ちが》う。群《ぐん》衆《しゅう》を惑《まど》わしているのだ」と言《い》う者《もの》もいた。 ヨハネ 7:13 しかし、ユダヤ人《じん》たちを恐《おそ》れたため、イエスについて公《こう》然《ぜん》と語《かた》る者《もの》はひとりもいなかった。 ヨハネ 7:14 しかし、祭《まつ》りもすでに中《なか》ごろになったとき、イエスは宮《みや》に上《のぼ》って教《おし》え始《はじ》められた。 ヨハネ 7:15 ユダヤ人《じん》たちは驚《おどろ》いて言《い》った。「この人《ひと》は正《せい》規《き》に学《まな》んだことがないのに、どうして学《がく》問《もん》があるのか。」 ヨハネ 7:16 そこでイエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「わたしの教《おし》えは、わたしのものではなく、わたしを遣《つか》わした方《かた》のものです。 ヨハネ 7:17 だれでも神《かみ》のみこころを行《おこな》おうと願《ねが》うなら、その人《ひと》には、この教《おし》えが神《かみ》から出《で》たものか、わたしが自《じ》分《ぶん》から語《かた》っているのかがわかります。 ヨハネ 7:18 自《じ》分《ぶん》から語《かた》る者《もの》は、自《じ》分《ぶん》の栄《えい》光《こう》を求《もと》めます。しかし自《じ》分《ぶん》を遣《つか》わした方《かた》の栄《えい》光《こう》を求《もと》める者《もの》は真《しん》実《じつ》であり、その人《ひと》には不《ふ》正《せい》がありません。 ヨハネ 7:19 モーセがあなたがたに律《りっ》法《ぽう》を与《あた》えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも、律《りっ》法《ぽう》を守《まも》っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺《ころ》そうとするのですか。」 ヨハネ 7:20 群《ぐん》衆《しゅう》は答《こた》えた。「あなたは悪《あく》霊《れい》につかれています。だれがあなたを殺《ころ》そうとしているのですか。」 ヨハネ 7:21 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「わたしは一つのわざをしました。それであなたがたはみな驚《おどろ》いています。 ヨハネ 7:22 モーセはこのためにあなたがたに割《かつ》礼《れい》を与《あた》えました。‐‐ただし、それはモーセから始《はじ》まったのではなく、父《ふ》祖《そ》たちからです‐‐それで、あなたがたは安《あん》息《そく》日《にち》にも人《ひと》に割《かつ》礼《れい》を施《ほどこ》しています。 ヨハネ 7:23 もし、人《ひと》がモーセの律《りっ》法《ぽう》が破《やぶ》られないようにと、安《あん》息《そく》日《にち》にも割《かつ》礼《れい》を受《う》けるのなら、わたしが安《あん》息《そく》日《にち》に人《ひと》の全《ぜん》身《しん》をすこやかにしたからといって、何《なん》でわたしに腹《はら》を立《た》てるのですか。 ヨハネ 7:24 うわべによって人《ひと》をさばかないで、正《ただ》しいさばきをしなさい。」 ヨハネ 7:25 そこで、エルサレムのある人《ひと》たちが言《い》った。「この人《ひと》は、彼《かれ》らが殺《ころ》そうとしている人《ひと》ではないか。 ヨハネ 7:26 見《み》なさい。この人《ひと》は公《こう》然《ぜん》と語《かた》っているのに、彼《かれ》らはこの人《ひと》に何《なに》も言《い》わない。議《ぎ》員《いん》たちは、この人《ひと》がキリストであることを、ほんとうに知《し》ったのだろうか。 ヨハネ 7:27 けれども、私たちはこの人《ひと》がどこから来《き》たのか知《し》っている。しかし、キリストが来《こ》られるとき、それが、どこからか知《し》っている者《もの》はだれもいないのだ。」 ヨハネ 7:28 イエスは、宮《みや》で教《おし》えておられるとき、大《おお》声《ごえ》をあげて言《い》われた。「あなたがたはわたしを知《し》っており、また、わたしがどこから来《き》たかも知《し》っています。しかし、わたしは自《じ》分《ぶん》で来《き》たのではありません。わたしを遣《つか》わした方《かた》は真《しん》実《じつ》です。あなたがたは、その方《かた》を知《し》らないのです。 ヨハネ 7:29 わたしはその方《かた》を知《し》っています。なぜなら、わたしはその方《かた》から出《で》たのであり、その方《かた》がわたしを遣《つか》わしたからです。」 ヨハネ 7:30 そこで人《ひと》々《びと》はイエスを捕《と》らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手《て》をかけた者《もの》はなかった。イエスの時《とき》が、まだ来《き》ていなかったからである。 ヨハネ 7:31 群《ぐん》衆《しゅう》のうちの多《おお》くの者《もの》がイエスを信《しん》じて言《い》った。「キリストが来《こ》られても、この方《かた》がしているよりも多《おお》くのしるしを行《おこな》われるだろうか。」 ヨハネ 7:32 パリサイ人《びと》は、群《ぐん》衆《しゅう》がイエスについてこのようなことをひそひそと話《はな》しているのを耳《みみ》にした。それで祭《さい》司《し》長《ちょう》、パリサイ人《びと》たちは、イエスを捕《と》らえようとして、役《やく》人《にん》たちを遣《つか》わした。 ヨハネ 7:33 そこでイエスは言《い》われた。「まだしばらくの間《あいだ》、わたしはあなたがたといっしょにいて、それから、わたしを遣《つか》わした方《かた》のもとに行《い》きます。 ヨハネ 7:34 あなたがたはわたしを捜《さが》すが、見《み》つからないでしょう。また、わたしがいる所《ところ》に、あなたがたは来《く》ることができません。」 ヨハネ 7:35 そこで、ユダヤ人《じん》たちは互《たが》いに言《い》った。「私たちには、見《み》つからないという。それならあの人《ひと》はどこへ行《い》こうとしているのか。まさかギリシヤ人《じん》の中《なか》に離《り》散《さん》している人《ひと》々《びと》のところへ行《い》って、ギリシヤ人《じん》を教《おし》えるつもりではあるまい。 ヨハネ 7:36 『あなたがたはわたしを捜《さが》すが、見《み》つからない』、また『わたしのいる所《ところ》にあなたがたは来《く》ることができない』とあの人《ひと》が言《い》ったこのことばは、どういう意《い》味《み》だろうか。」 ヨハネ 7:37 さて、祭《まつ》りの終《お》わりの大《おお》いなる日《ひ》に、イエスは立《た》って、大《おお》声《ごえ》で言《い》われた。「だれでも渇《かわ》いているなら、わたしのもとに来《き》て飲《の》みなさい。 ヨハネ 7:38 わたしを信《しん》じる者《もの》は、聖《せい》書《しょ》が言《い》っているとおりに、その人《ひと》の心《こころ》の奥《おく》底《そこ》から、生《い》ける水《みず》の川《かわ》が流《なが》れ出《で》るようになる。」 ヨハネ 7:39 これは、イエスを信《しん》じる者《もの》が後《のち》になってから受《う》ける御《み》霊《たま》のことを言《い》われたのである。イエスはまだ栄《えい》光《こう》を受《う》けておられなかったので、御《み》霊《たま》はまだ注《そそ》がれていなかったからである。 ヨハネ 7:40 このことばを聞《き》いて、群《ぐん》衆《しゅう》のうちのある者《もの》は、「あの方《かた》は、確《たし》かにあの預《よ》言《げん》者《しゃ》なのだ」と言《い》い、 ヨハネ 7:41 またある者《もの》は、「この方《かた》はキリストだ」と言《い》った。またある者《もの》は言《い》った。「まさか、キリストはガリラヤからは出《で》ないだろう。 ヨハネ 7:42 キリストはダビデの子《し》孫《そん》から、またダビデがいたベツレヘムの村《むら》から出《で》る、と聖《せい》書《しょ》が言《い》っているではないか。」 ヨハネ 7:43 そこで、群《ぐん》衆《しゅう》の間《あいだ》にイエスのことで分《ぶん》裂《れつ》が起《お》こった。 ヨハネ 7:44 その中《なか》にはイエスを捕《と》らえたいと思《おも》った者《もの》もいたが、イエスに手《て》をかけた者《もの》はなかった。 ヨハネ 7:45 それから役《やく》人《にん》たちは祭《さい》司《し》長《ちょう》、パリサイ人《びと》たちのもとに帰《かえ》って来《き》た。彼《かれ》らは役《やく》人《にん》たちに言《い》った。「なぜあの人《ひと》を連《つ》れて来《こ》なかったのか。」 ヨハネ 7:46 役《やく》人《にん》たちは答《こた》えた。「あの人《ひと》が話《はな》すように話《はな》した人《ひと》は、いまだかつてありません。」 ヨハネ 7:47 すると、パリサイ人《びと》が答《こた》えた。「おまえたちも惑《まど》わされているのか。 ヨハネ 7:48 議《ぎ》員《いん》とかパリサイ人《びと》のうちで、だれかイエスを信《しん》じた者《もの》があったか。 ヨハネ 7:49 だが、律《りっ》法《ぽう》を知《し》らないこの群《ぐん》衆《しゅう》は、のろわれている。」 ヨハネ 7:50 彼《かれ》らのうちのひとりで、イエスのもとに来《き》たことのあるニコデモが彼《かれ》らに言《い》った。 ヨハネ 7:51 「私たちの律《りっ》法《ぽう》では、まずその人《ひと》から直《ちょく》接《せつ》聞《き》き、その人《ひと》が何《なに》をしているのか知《し》ったうえでなければ、判《はん》決《けつ》を下《くだ》さないのではないか。」 ヨハネ 7:52 彼《かれ》らは答《こた》えて言《い》った。「あなたもガリラヤの出《しゅっ》身《しん》なのか。調《しら》べてみなさい。ガリラヤから預《よ》言《げん》者《しゃ》は起《お》こらない。」 ヨハネ 7:53 〔そして人《ひと》々《びと》はそれぞれ家《いえ》に帰《かえ》った。 |
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