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4月13日

ヨハネ 8
ヨハネ 8:1 イエスはオリーブ山《やま》に行《い》かれた。
ヨハネ 8:2 そして、朝《あさ》早《はや》く、イエスはもう一度《ど》宮《みや》に入《はい》られた。民《みん》衆《しゅう》はみな、みもとに寄《よ》って来《き》た。イエスはすわって、彼《かれ》らに教《おし》え始《はじ》められた。
ヨハネ 8:3 すると、律《りっ》法《ぽう》学《がく》者《しゃ》とパリサイ人《びと》が、姦《かん》淫《いん》の場《ば》で捕《と》らえられたひとりの女《おんな》を連《つ》れて来《き》て、真《ま》ん中《なか》に置《お》いてから、
ヨハネ 8:4 イエスに言《い》った。「先《せん》生《せい》。この女《おんな》は姦《かん》淫《いん》の現《げん》場《ば》でつかまえられたのです。
ヨハネ 8:5 モーセは律《りっ》法《ぽう》の中《なか》で、こういう女《おんな》を石《いし》打《う》ちにするように命《めい》じています。ところで、あなたは何《なん》と言《い》われますか。」
ヨハネ 8:6 彼《かれ》らはイエスをためしてこう言《い》ったのである。それは、イエスを告《こく》発《はつ》する理《り》由《ゆう》を得《え》るためであった。しかし、イエスは身《み》をかがめて、指《ゆび》で地《じ》面《めん》に書《か》いておられた。
ヨハネ 8:7 けれども、彼《かれ》らが問《と》い続《つづ》けてやめなかったので、イエスは身《み》を起《お》こして言《い》われた。「あなたがたのうちで罪《つみ》のない者《もの》が、最《さい》初《しょ》に彼《かの》女《じょ》に石《いし》を投《な》げなさい。」
ヨハネ 8:8 そしてイエスは、もう一度《ど》身《み》をかがめて、地《じ》面《めん》に書《か》かれた。
ヨハネ 8:9 彼《かれ》らはそれを聞《き》くと、年《ねん》長《ちょう》者《しゃ》たちから始《はじ》めて、ひとりひとり出《で》て行《い》き、イエスがひとり残《のこ》された。女《おんな》はそのままそこにいた。
ヨハネ 8:10 イエスは身《み》を起《お》こして、その女《おんな》に言《い》われた。「婦《ふ》人《じん》よ。あの人《ひと》たちは今《いま》どこにいますか。あなたを罪《つみ》に定《さだ》める者《もの》はなかったのですか。」
ヨハネ 8:11 彼《かの》女《じょ》は言《い》った。「だれもいません。」そこで、イエスは言《い》われた。「わたしもあなたを罪《つみ》に定《さだ》めない。行《い》きなさい。今《いま》からは決《けっ》して罪《つみ》を犯《おか》してはなりません。」〕
ヨハネ 8:12 イエスはまた彼《かれ》らに語《かた》って言《い》われた。「わたしは、世《よ》の光《ひかり》です。わたしに従《したが》う者《もの》は、決《けっ》してやみの中《なか》を歩《あゆ》むことがなく、いのちの光《ひかり》を持《も》つのです。」
ヨハネ 8:13 そこでパリサイ人《びと》はイエスに言《い》った。「あなたは自《じ》分《ぶん》のことを自《じ》分《ぶん》で証《しょう》言《げん》しています。だから、あなたの証《しょう》言《げん》は真《しん》実《じつ》ではありません。」
ヨハネ 8:14 イエスは答《こた》えて、彼《かれ》らに言《い》われた。「もしこのわたしが自《じ》分《ぶん》のことを証《しょう》言《げん》するなら、その証《しょう》言《げん》は真《しん》実《じつ》です。わたしは、わたしがどこから来《き》たか、また、どこへ行《い》くかを知《し》っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来《き》たのか、またどこへ行《い》くのか知《し》りません。
ヨハネ 8:15 あなたがたは肉《にく》によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。
ヨハネ 8:16 しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正《ただ》しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣《つか》わした方《かた》とがさばくのだからです。
ヨハネ 8:17 あなたがたの律《りっ》法《ぽう》にも、ふたりの証《しょう》言《げん》は真《しん》実《じつ》であると書《か》かれています。
ヨハネ 8:18 わたしが自《じ》分《ぶん》の証《しょう》人《にん》であり、また、わたしを遣《つか》わした父《ちち》が、わたしについてあかしされます。」
ヨハネ 8:19 すると、彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「あなたの父《ちち》はどこにいるのですか。」イエスは答《こた》えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父《ちち》をも知《し》りません。もし、あなたがたがわたしを知《し》っていたなら、わたしの父《ちち》をも知《し》っていたでしょう。」
ヨハネ 8:20 イエスは宮《みや》で教《おし》えられたとき、献《けん》金《きん》箱《ばこ》のある所《ところ》でこのことを話《はな》された。しかし、だれもイエスを捕《と》らえなかった。イエスの時《とき》がまだ来《き》ていなかったからである。
ヨハネ 8:21 イエスはまた彼《かれ》らに言《い》われた。「わたしは去《さ》って行《い》きます。あなたがたはわたしを捜《さが》すけれども、自《じ》分《ぶん》の罪《つみ》の中《なか》で死《し》にます。わたしが行《い》く所《ところ》に、あなたがたは来《く》ることができません。」
ヨハネ 8:22 そこで、ユダヤ人《じん》たちは言《い》った。「あの人《ひと》は『わたしが行《い》く所《ところ》に、あなたがたは来《く》ることができない』と言《い》うが、自《じ》殺《さつ》するつもりなのか。」
ヨハネ 8:23 それでイエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「あなたがたが来《き》たのは下《した》からであり、わたしが来《き》たのは上《うえ》からです。あなたがたはこの世《よ》の者《もの》であり、わたしはこの世《よ》の者《もの》ではありません。
ヨハネ 8:24 それでわたしは、あなたがたが自《じ》分《ぶん》の罪《つみ》の中《なか》で死《し》ぬと、あなたがたに言《い》ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信《しん》じなければ、あなたがたは自《じ》分《ぶん》の罪《つみ》の中《なか》で死《し》ぬのです。」
ヨハネ 8:25 そこで、彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「あなたはだれですか。」イエスは言《い》われた。「それは初《はじ》めからわたしがあなたがたに話《はな》そうとしていることです。
ヨハネ 8:26 わたしには、あなたがたについて言《い》うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣《つか》わした方《かた》は真《しん》実《じつ》であって、わたしはその方《かた》から聞《き》いたことをそのまま世《よ》に告《つ》げるのです。」
ヨハネ 8:27 彼《かれ》らは、イエスが父《ちち》のことを語《かた》っておられたことを悟《さと》らなかった。
ヨハネ 8:28 イエスは言《い》われた。「あなたがたが人《ひと》の子《こ》を上《あ》げてしまうと、その時《とき》、あなたがたは、わたしが何《なん》であるか、また、わたしがわたし自《じ》身《しん》からは何《なに》事《ごと》もせず、ただ父《ちち》がわたしに教《おし》えられたとおりに、これらのことを話《はな》していることを、知《し》るようになります。
ヨハネ 8:29 わたしを遣《つか》わした方《かた》はわたしとともにおられます。わたしをひとり残《のこ》されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行《おこな》うからです。」
ヨハネ 8:30 イエスがこれらのことを話《はな》しておられると、多《おお》くの者《もの》がイエスを信《しん》じた。
ヨハネ 8:31 そこでイエスは、その信《しん》じたユダヤ人《じん》たちに言《い》われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟《で》子《し》です。
ヨハネ 8:32 そして、あなたがたは真《しん》理《り》を知《し》り、真《しん》理《り》はあなたがたを自《じ》由《ゆう》にします。」
ヨハネ 8:33 彼《かれ》らはイエスに答《こた》えた。「私たちはアブラハムの子《し》孫《そん》であって、決《けっ》してだれの奴《ど》隷《れい》になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自《じ》由《ゆう》になる』と言《い》われるのですか。」
ヨハネ 8:34 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。罪《つみ》を行《おこな》っている者《もの》はみな、罪《つみ》の奴《ど》隷《れい》です。
ヨハネ 8:35 奴《ど》隷《れい》はいつまでも家《いえ》にいるのではありません。しかし、息《むす》子《こ》はいつまでもいます。
ヨハネ 8:36 ですから、もし子《こ》があなたがたを自《じ》由《ゆう》にするなら、あなたがたはほんとうに自《じ》由《ゆう》なのです。
ヨハネ 8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子《し》孫《そん》であることを知《し》っています。しかしあなたがたはわたしを殺《ころ》そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入《はい》っていないからです。
ヨハネ 8:38 わたしは父《ちち》のもとで見《み》たことを話《はな》しています。ところが、あなたがたは、あなたがたの父《ちち》から示《しめ》されたことを行《おこな》うのです。」
ヨハネ 8:39 彼《かれ》らは答《こた》えて言《い》った。「私たちの父《ちち》はアブラハムです。」イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「あなたがたがアブラハムの子《こ》どもなら、アブラハムのわざを行《おこな》いなさい。
ヨハネ 8:40 ところが今《いま》あなたがたは、神《かみ》から聞《き》いた真《しん》理《り》をあなたがたに話《はな》しているこのわたしを、殺《ころ》そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
ヨハネ 8:41 あなたがたは、あなたがたの父《ちち》のわざを行《おこな》っています。」彼《かれ》らは言《い》った。「私たちは不《ふ》品《ひん》行《こう》によって生《う》まれた者《もの》ではありません。私たちにはひとりの父《ちち》、神《かみ》があります。」
ヨハネ 8:42 イエスは言《い》われた。「神《かみ》がもしあなたがたの父《ちち》であるなら、あなたがたはわたしを愛《あい》するはずです。なぜなら、わたしは神《かみ》から出《で》て来《き》てここにいるからです。わたしは自《じ》分《ぶん》で来《き》たのではなく、神《かみ》がわたしを遣《つか》わしたのです。
ヨハネ 8:43 あなたがたは、なぜわたしの話《はな》していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳《みみ》を傾《かたむ》けることができないからです。
ヨハネ 8:44 あなたがたは、あなたがたの父《ちち》である悪《あく》魔《ま》から出《で》た者《もの》であって、あなたがたの父《ちち》の欲《よく》望《ぼう》を成《な》し遂《と》げたいと願《ねが》っているのです。悪《あく》魔《ま》は初《はじ》めから人《ひと》殺《ごろ》しであり、真《しん》理《り》に立《た》ってはいません。彼《かれ》のうちには真《しん》理《り》がないからです。彼《かれ》が偽《いつわ》りを言《い》うときは、自《じ》分《ぶん》にふさわしい話《はな》し方《かた》をしているのです。なぜなら彼《かれ》は偽《いつわ》り者《もの》であり、また偽《いつわ》りの父《ちち》であるからです。
ヨハネ 8:45 しかし、このわたしは真《しん》理《り》を話《はな》しているために、あなたがたはわたしを信《しん》じません。
ヨハネ 8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪《つみ》があると責《せ》める者《もの》がいますか。わたしが真《しん》理《り》を話《はな》しているなら、なぜわたしを信《しん》じないのですか。
ヨハネ 8:47 神《かみ》から出《で》た者《もの》は、神《かみ》のことばに聞《き》き従《したが》います。ですから、あなたがたが聞《き》き従《したが》わないのは、あなたがたが神《かみ》から出《で》た者《もの》でないからです。」
ヨハネ 8:48 ユダヤ人《じん》たちは答《こた》えて、イエスに言《い》った。「私たちが、あなたはサマリヤ人《じん》で、悪《あく》霊《れい》につかれていると言《い》うのは当《とう》然《ぜん》ではありませんか。」
ヨハネ 8:49 イエスは答《こた》えられた。「わたしは悪《あく》霊《れい》につかれてはいません。わたしは父《ちち》を敬《うやま》っています。しかしあなたがたは、わたしを卑《いや》しめています。
ヨハネ 8:50 しかし、わたしはわたしの栄《えい》誉《よ》を求《もと》めません。それをお求《もと》めになり、さばきをなさる方《かた》がおられます。
ヨハネ 8:51 まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。だれでもわたしのことばを守《まも》るならば、その人《ひと》は決《けっ》して死《し》を見《み》ることがありません。」
ヨハネ 8:52 ユダヤ人《じん》たちはイエスに言《い》った。「あなたが悪《あく》霊《れい》につかれていることが、今《いま》こそわかりました。アブラハムは死《し》に、預《よ》言《げん》者《しゃ》たちも死《し》にました。しかし、あなたは、『だれでもわたしのことばを守《まも》るならば、その人《ひと》は決《けっ》して死《し》を味《あじ》わうことがない』と言《い》うのです。
ヨハネ 8:53 あなたは、私たちの父《ちち》アブラハムよりも偉《い》大《だい》なのですか。そのアブラハムは死《し》んだのです。預《よ》言《げん》者《しゃ》たちもまた死《し》にました。あなたは、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》をだれだと言《い》うのですか。」
ヨハネ 8:54 イエスは答《こた》えられた。「わたしがもし自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》に栄《えい》光《こう》を帰《き》するなら、わたしの栄《えい》光《こう》はむなしいものです。わたしに栄《えい》光《こう》を与《あた》える方《かた》は、わたしの父《ちち》です。この方《かた》のことを、あなたがたは『私たちの神《かみ》である』と言《い》っています。
ヨハネ 8:55 けれどもあなたがたはこの方《かた》を知《し》ってはいません。しかし、わたしは知《し》っています。もしわたしがこの方《かた》を知《し》らないと言《い》うなら、わたしはあなたがたと同《どう》様《よう》に偽《い》り《つわ》者《もの》となるでしょう。しかし、わたしはこの方《かた》を知《し》っており、そのみことばを守《まも》っています。
ヨハネ 8:56 あなたがたの父《ちち》アブラハムは、わたしの日《ひ》を見《み》ることを思《おも》って大《おお》いに喜《よろこ》びました。彼《かれ》はそれを見《み》て、喜《よろこ》んだのです。」
ヨハネ 8:57 そこで、ユダヤ人《じん》たちはイエスに向《む》かって言《い》った。「あなたはまだ五十歳《さい》になっていないのにアブラハムを見《み》たのですか。」
ヨハネ 8:58 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。アブラハムが生《う》まれる前《まえ》から、わたしはいるのです。」
ヨハネ 8:59 すると彼《かれ》らは石《いし》を取《と》ってイエスに投《な》げつけようとした。しかし、イエスは身《み》を隠《かく》して、宮《みや》から出《で》て行《い》かれた。

4月14日

ヨハネ 9
ヨハネ 9:1 またイエスは道《みち》の途《と》中《ちゅう》で、生《う》まれつきの盲《もう》人《じん》を見《み》られた。
ヨハネ 9:2 弟《で》子《し》たちは彼《かれ》についてイエスに質《しつ》問《もん》して言《い》った。「先《せん》生《せ》。彼《かれ》が盲《もう》目《もく》に生《う》まれついたのは、だれが罪《つみ》を犯《おか》したからですか。この人《ひと》ですか。その両《りょう》親《しん》ですか。」
ヨハネ 9:3 イエスは答《こた》えられた。「この人《ひと》が罪《つみ》を犯《おか》したのでもなく、両《りょう》親《しん》でもありません。神《かみ》のわざがこの人《ひと》に現《あらわ》れるためです。
ヨハネ 9:4 わたしたちは、わたしを遣《つか》わした方《かた》のわざを、昼《ひる》の間《あいだ》に行《おこな》わなければなりません。だれも働《はたら》くことのできない夜《よる》が来《き》ます。
ヨハネ 9:5 わたしが世《よ》にいる間《あいだ》、わたしは世《よ》の光《ひかり》です。」
ヨハネ 9:6 イエスは、こう言《い》ってから、地《じ》面《めん》につばきをして、そのつばきで泥《どろ》を作《つく》られた。そしてその泥《どろ》を盲《もう》人《じん》の目《め》に塗《ぬ》って言《い》われた。
ヨハネ 9:7 「行《い》って、シロアム(訳《やく》して言《い》えば、遣《つか》わされた者《もの》)の池《いけ》で洗《あら》いなさい。」そこで、彼《かれ》は行《い》って、洗《あら》った。すると、見《み》えるようになって、帰《かえ》って行《い》った。
ヨハネ 9:8 近《きん》所《じょ》の人《ひと》たちや、前《まえ》に彼《かれ》が物《もの》ごいをしていたのを見《み》ていた人《ひと》たちが言《い》った。「これはすわって物《もの》ごいをしていた人《ひと》ではないか。」
ヨハネ 9:9 ほかの人《ひと》は、「これはその人《ひと》だ」と言《い》い、またほかの人《ひと》は、「そうではない。ただその人《ひと》に似《に》ているだけだ」と言《い》った。当《とう》人《にん》は、「私がその人《ひと》です」と言《い》った。
ヨハネ 9:10 そこで、彼《かれ》らは言《い》った。「それでは、あなたの目《め》はどのようにしてあいたのですか。」
ヨハネ 9:11 彼《かれ》は答《こた》えた。「イエスという方《かた》が、泥《どろ》を作《つく》って、私の目《め》に塗《ぬ》り、『シロアムの池《いけ》に行《い》って洗《あら》いなさい』と私に言《い》われました。それで、行《い》って洗《あら》うと、見《み》えるようになりました。」
ヨハネ 9:12 また彼《かれ》らは彼《かれ》に言《い》った。「その人《ひと》はどこにいるのですか。」彼《かれ》は「私は知《し》りません」と言《い》った。
ヨハネ 9:13 彼《かれ》らは、前《まえ》に盲《もう》目《もく》であったその人《ひと》を、パリサイ人《びと》たちのところに連《つ》れて行《い》った。
ヨハネ 9:14 ところで、イエスが泥《どろ》を作《つく》って彼《かれ》の目《め》をあけられたのは、安《あん》息《そく》日《にち》であった。
ヨハネ 9:15 こういうわけでもう一度《ど》、パリサイ人《びと》も彼《かれ》に、どのようにして見《み》えるようになったかを尋《たず》ねた。彼《かれ》は言《い》った。「あの方《かた》が私の目《め》に泥《どろ》を塗《ぬ》ってくださって、私が洗《あら》いました。私はいま見《み》えるのです。」
ヨハネ 9:16 すると、パリサイ人《びと》の中《なか》のある人《ひと》々《びと》が、「その人《ひと》は神《かみ》から出《で》たのではない。安《あん》息《そく》日《にち》を守《まも》らないからだ」と言《い》った。しかし、ほかの者《もの》は言《い》った。「罪《つみ》人《びと》である者《もの》に、どうしてこのようなしるしを行《おこな》うことができよう。」そして、彼《かれ》らの間《あいだ》に、分《ぶん》裂《れつ》が起《お》こった。
ヨハネ 9:17 そこで彼《かれ》らはもう一度《ど》、盲《もう》人《じん》に言《い》った。「あの人《ひと》が目《め》をあけてくれたことで、あの人《ひと》を何《なん》だと思《おも》っているのか。」彼《かれ》は言《い》った。「あの方《かた》は預《よ》言《げん》者《しゃ》です。」
ヨハネ 9:18 しかしユダヤ人《じん》たちは、目《め》が見《み》えるようになったこの人《ひと》について、彼《かれ》が盲《もう》目《もく》であったが見《み》えるようになったということを信《しん》ぜず、ついにその両《りょう》親《しん》を呼《よ》び出《だ》して、
ヨハネ 9:19 尋《たず》ねて言《い》った。「この人《ひと》はあなたがたの息《むす》子《こ》で、生《う》まれつき盲《もう》目《もく》だったとあなたがたが言《い》っている人《ひと》ですか。それでは、どうしていま見《み》えるのですか。」
ヨハネ 9:20 そこで両《りょう》親《しん》は答《こた》えた。「私たちは、これが私たちの息《むす》子《こ》で、生《う》まれつき盲《もう》目《もく》だったことを知《し》っています。
ヨハネ 9:21 しかし、どのようにしていま見《み》えるのかは知《し》りません。また、だれがあれの目《め》をあけたのか知《し》りません。あれに聞《き》いてください。あれはもうおとなです。自《じ》分《ぶん》のことは自《じ》分《ぶん》で話《はな》すでしょう。」
ヨハネ 9:22 彼《かれ》の両《りょう》親《しん》がこう言《い》ったのは、ユダヤ人《じん》たちを恐《おそ》れたからであった。すでにユダヤ人《じん》たちは、イエスをキリストであると告《こく》白《はく》する者《もの》があれば、その者《もの》を会《かい》堂《どう》から追《つい》放《ほう》すると決《き》めていたからである。
ヨハネ 9:23 そのために彼《かれ》の両《りょう》親《しん》は、「あれはもうおとなです。あれに聞《き》いてください」と言《い》ったのである。
ヨハネ 9:24 そこで彼《かれ》らは、盲《もう》目《もく》であった人《ひと》をもう一度《ど》呼《よ》び出《だ》して言《い》った。「神《か》に《み》栄《えい》光《こう》を帰《き》しなさい。私たちはあの人《ひと》が罪《つみ》人《びと》であることを知《し》っているのだ。」
ヨハネ 9:25 彼《かれ》は答《こた》えた。「あの方《かた》が罪《つみ》人《びと》かどうか、私は知《し》りません。ただ一つのことだけ知《し》っています。私は盲《もう》目《もく》であったのに、今《いま》は見《み》えるということです。」
ヨハネ 9:26 そこで彼《かれ》らは言《い》った。「あの人《ひと》はおまえに何《なに》をしたのか。どのようにしてその目《め》をあけたのか。」
ヨハネ 9:27 彼《かれ》は答《こた》えた。「もうお話《はな》ししたのですが、あなたがたは聞《き》いてくれませんでした。なぜもう一度《ど》聞《き》こうとするのです。あなたがたも、あの方《かた》の弟《で》子《し》になりたいのですか。」
ヨハネ 9:28 彼《かれ》らは彼《かれ》をののしって言《い》った。「おまえもあの者《もの》の弟《で》子《し》だ。しかし私たちはモーセの弟《で》子《し》だ。
ヨハネ 9:29 私たちは、神《かみ》がモーセにお話《はな》しになったことは知《し》っている。しかし、あの者《もの》については、どこから来《き》たのか知《し》らないのだ。」
ヨハネ 9:30 彼《かれ》は答《こた》えて言《い》った。「これは、驚《おどろ》きました。あなたがたは、あの方《かた》がどこから来《こ》られたのか、ご存《ぞん》じないと言《い》う。しかし、あの方《かた》は私の目《め》をおあけになったのです。
ヨハネ 9:31 神《かみ》は、罪《つみ》人《びと》の言《い》うことはお聞《き》きになりません。しかし、だれでも神《かみ》を敬《うやま》い、そのみこころを行《おこな》うなら、神《かみ》はその人《ひと》の言《い》うことを聞《き》いてくださると、私たちは知《し》っています。
ヨハネ 9:32 盲《もう》目《もく》に生《う》まれついた者《もの》の目《め》をあけた者《もの》があるなどとは、昔《むかし》から聞《き》いたこともありません。
ヨハネ 9:33 もしあの方《かた》が神《かみ》から出《で》ておられるのでなかったら、何《なに》もできないはずです。」
ヨハネ 9:34 彼《かれ》らは答《こた》えて言《い》った。「おまえは全《まった》く罪《つみ》の中《なか》に生《う》まれていながら、私たちを教《おし》えるのか。」そして、彼《かれ》を外《そと》に追《お》い出《だ》した。
ヨハネ 9:35 イエスは、彼《かれ》らが彼《かれ》を追《つい》放《ほう》したことを聞《き》き、彼《かれ》を見《み》つけ出《だ》して言《い》われた。「あなたは人《ひと》の子《こ》を信《しん》じますか。」
ヨハネ 9:36 その人《ひと》は答《こた》えた。「主《しゅ》よ。その方《かた》はどなたでしょうか。私がその方《かた》を信《しん》じることができますように。」
ヨハネ 9:37 イエスは彼《かれ》に言《い》われた。「あなたはその方《かた》を見《み》たのです。あなたと話《はな》しているのがそれです。」
ヨハネ 9:38 彼《かれ》は言《い》った。「主《しゅ》よ。私は信《しん》じます。」そして彼《かれ》はイエスを拝《はい》した。
ヨハネ 9:39 そこで、イエスは言《い》われた。「わたしはさばきのためにこの世《よ》に来《き》ました。それは、目《め》の見《み》えない者《もの》が見《み》えるようになり、見《み》える者《もの》が盲《もう》目《もく》となるためです。」
ヨハネ 9:40 パリサイ人《びと》の中《なか》でイエスとともにいた人《ひと》々《びと》が、このことを聞《き》いて、イエスに言《い》った。「私たちも盲《もう》目《もく》なのですか。」
ヨハネ 9:41 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「もしあなたがたが盲《もう》目《もく》であったなら、あなたがたに罪《つみ》はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今《いま》、『私たちは目《め》が見《み》える』と言《い》っています。あなたがたの罪《つみ》は残《のこ》るのです。」

4月15日

ヨハネ 10
ヨハネ 10:1 「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。羊《ひつじ》の囲《かこ》いに門《もん》から入《はい》らないで、ほかの所《ところ》を乗《の》り越《こ》えて来《く》る者《もの》は、盗《ぬす》人《びと》で強《ごう》盗《とう》です。
ヨハネ 10:2 しかし、門《もん》から入《はい》る者《もの》は、その羊《ひつじ》の牧《ぼく》者《しゃ》です。
ヨハネ 10:3 門《もん》番《ばん》は彼《かれ》のために開《ひら》き、羊《ひつじ》はその声《こえ》を聞《き》き分《わ》けます。彼《かれ》は自《じ》分《ぶん》の羊《ひつじ》をその名《な》で呼《よ》んで連《つ》れ出《だ》します。
ヨハネ 10:4 彼《かれ》は、自《じ》分《ぶん》の羊《ひつじ》をみな引《ひ》き出《だ》すと、その先《せん》頭《とう》に立《た》って行《い》きます。すると羊《ひつじ》は、彼《かれ》の声《こえ》を知《し》っているので、彼《かれ》について行《い》きます。
ヨハネ 10:5 しかし、ほかの人《ひと》には決《けっ》してついて行《い》きません。かえって、その人《ひと》から逃《に》げ出《だ》します。その人《ひと》たちの声《こえ》を知《し》らないからです。」
ヨハネ 10:6 イエスはこのたとえを彼《かれ》らにお話《はな》しになったが、彼《かれ》らは、イエスの話《はな》されたことが何《なん》のことかよくわからなかった。
ヨハネ 10:7 そこで、イエスはまた言《い》われた。「まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。わたしは羊《ひつじ》の門《もん》です。
ヨハネ 10:8 わたしの前《まえ》に来《き》た者《もの》はみな、盗《ぬす》人《びと》で強《ごう》盗《とう》です。羊《ひつじ》は彼《かれ》らの言《い》うことを聞《き》かなかったのです。
ヨハネ 10:9 わたしは門《もん》です。だれでも、わたしを通《とお》って入《はい》るなら、救《すく》われます。また安《やす》らかに出《で》入《い》りし、牧《ぼく》草《そう》を見《み》つけます。
ヨハネ 10:10 盗《ぬす》人《びと》が来《く》るのは、ただ盗《ぬす》んだり、殺《ころ》したり、滅《ほろ》ぼしたりするだけのためです。わたしが来《き》たのは、羊《ひつじ》がいのちを得《え》、またそれを豊《ゆた》かに持《も》つためです。
ヨハネ 10:11 わたしは、良《よ》い牧《ぼく》者《しゃ》です。良《よ》い牧《ぼく》者《しゃ》は羊《ひつじ》のためにいのちを捨《す》てます。
ヨハネ 10:12 牧《ぼく》者《しゃ》でなく、また、羊《ひつじ》の所《しょ》有《ゆう》者《しゃ》でない雇《やと》い人《にん》は、狼《おおかみ》が来《く》るのを見《み》ると、羊《ひつじ》を置《お》き去《ざ》りにして、逃《に》げて行《い》きます。それで、狼《おおかみ》は羊《ひつじ》を奪《うば》い、また散《ち》らすのです。
ヨハネ 10:13 それは、彼《かれ》が雇《やと》い人《にん》であって、羊《ひつじ》のことを心《こころ》にかけていないからです。
ヨハネ 10:14 わたしは良《よ》い牧《ぼく》者《しゃ》です。わたしはわたしのものを知《し》っています。また、わたしのものは、わたしを知《し》っています。
ヨハネ 10:15 それは、父《ちち》がわたしを知《し》っておられ、わたしが父《ちち》を知《し》っているのと同《どう》様《よう》です。また、わたしは羊《ひつじ》のためにわたしのいのちを捨《す》てます。
ヨハネ 10:16 わたしにはまた、この囲《かこ》いに属《ぞく》さないほかの羊《ひつじ》があります。わたしはそれをも導《みちび》かなければなりません。彼《かれ》らはわたしの声《こえ》に聞《き》き従《したが》い、一つの群《む》れ、ひとりの牧《ぼく》者《しゃ》となるのです。
ヨハネ 10:17 わたしが自《じ》分《ぶん》のいのちを再《ふたた》び得《え》るために自《じ》分《ぶん》のいのちを捨《す》てるからこそ、父《ちち》はわたしを愛《あい》してくださいます。
ヨハネ 10:18 だれも、わたしからいのちを取《と》った者《もの》はいません。わたしが自《じ》分《ぶん》からいのちを捨《す》てるのです。わたしには、それを捨《す》てる権《けん》威《い》があり、それをもう一度《ど》得《え》る権《けん》威《い》があります。わたしはこの命《めい》令《れい》をわたしの父《ちち》から受《う》けたのです。」
ヨハネ 10:19 このみことばを聞《き》いて、ユダヤ人《じん》たちの間《あいだ》にまた分《ぶん》裂《れつ》が起《お》こった。
ヨハネ 10:20 彼《かれ》らのうちの多《おお》くの者《もの》が言《い》った。「あれは悪《あく》霊《れい》につかれて気《き》が狂《くる》っている。どうしてあなたがたは、あの人《ひと》の言《い》うことに耳《みみ》を貸《か》すのか。」
ヨハネ 10:21 ほかの者《もの》は言《い》った。「これは悪《あく》霊《れい》につかれた人《ひと》のことばではない。悪《あく》霊《れい》がどうして盲《もう》人《じん》の目《め》をあけることができようか。」
ヨハネ 10:22 そのころ、エルサレムで、宮《みや》きよめの祭《まつ》りがあった。
ヨハネ 10:23 時《とき》は冬《ふゆ》であった。イエスは、宮《みや》の中《なか》で、ソロモンの廊《ろう》を歩《ある》いておられた。
ヨハネ 10:24 それでユダヤ人《じん》たちは、イエスを取《と》り囲《かこ》んで言《い》った。「あなたは、いつまで私たちに気《き》をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言《い》ってください。」
ヨハネ 10:25 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「わたしは話《はな》しました。しかし、あなたがたは信《しん》じないのです。わたしが父《ちち》の御《み》名《な》によって行《おこな》うわざが、わたしについて証《しょう》言《げん》しています。
ヨハネ 10:26 しかし、あなたがたは信《しん》じません。それは、あなたがたがわたしの羊《ひつじ》に属《ぞく》していないからです。
ヨハネ 10:27 わたしの羊《ひつじ》はわたしの声《こえ》を聞《き》き分《わ》けます。またわたしは彼《かれ》らを知《し》っています。そして彼《かれ》らはわたしについて来《き》ます。
ヨハネ 10:28 わたしは彼《かれ》らに永《えい》遠《えん》のいのちを与《あた》えます。彼《かれ》らは決《けっ》して滅《ほろ》びることがなく、また、だれもわたしの手《て》から彼《かれ》らを奪《うば》い去《さ》るようなことはありません。
ヨハネ 10:29 わたしに彼《かれ》らをお与《あた》えになった父《ちち》は、すべてにまさって偉《い》大《だい》です。だれもわたしの父《ちち》の御《み》手《て》から彼《かれ》らを奪《うば》い去《さ》ることはできません。
ヨハネ 10:30 わたしと父《ちち》とは一つです。」
ヨハネ 10:31 ユダヤ人《じん》たちは、イエスを石《いし》打《う》ちにしようとして、また石《いし》を取《と》り上《あ》げた。
ヨハネ 10:32 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「わたしは、父《ちち》から出《で》た多《おお》くの良《よ》いわざを、あなたがたに示《しめ》しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石《いし》打《う》ちにしようとするのですか。」
ヨハネ 10:33 ユダヤ人《じん》たちはイエスに答《こた》えた。「良《よ》いわざのためにあなたを石《いし》打《う》ちにするのではありません。冒《ぼう》涜《とく》のためです。あなたは人《にん》間《げん》でありながら、自《じ》分《ぶん》を神《かみ》とするからです。」
ヨハネ 10:34 イエスは彼《かれ》らに答《こた》えられた。「あなたがたの律《りっ》法《ぽう》に、『わたしは言《い》った、おまえたちは神《かみ》々《がみ》である』と書《か》いてはいないか。
ヨハネ 10:35 もし、神《かみ》のことばを受《う》けた人《ひと》々《びと》を、神《かみ》々《がみ》と呼《よ》んだとすれば、聖《せい》書《しょ》は廃《はい》棄《き》されるものではないから、
ヨハネ 10:36 『わたしは神《かみ》の子《こ》である』とわたしが言《い》ったからといって、どうしてあなたがたは、父《ちち》が、聖《せい》であることを示《しめ》して世《よ》に遣《つか》わした者《もの》について、『神《かみ》を冒《ぼう》涜《とく》している』と言《い》うのですか。
ヨハネ 10:37 もしわたしが、わたしの父《ちち》のみわざを行《おこな》っていないのなら、わたしを信《しん》じないでいなさい。
ヨハネ 10:38 しかし、もし行《おこな》っているなら、たといわたしの言《い》うことが信《しん》じられなくても、わざを信《しん》用《よう》しなさい。それは、父《ちち》がわたしにおられ、わたしが父《ちち》にいることを、あなたがたが悟《さと》り、また知《し》るためです。」
ヨハネ 10:39 そこで、彼《かれ》らはまたイエスを捕《と》らえようとした。しかし、イエスは彼《かれ》らの手《て》からのがれられた。
ヨハネ 10:40 そして、イエスはまたヨルダンを渡《わた》って、ヨハネが初《はじ》めにバプテスマを授《さず》けていた所《ところ》に行《い》かれ、そこに滞《たい》在《ざい》された。
ヨハネ 10:41 多《おお》くの人《ひと》々《びと》がイエスのところに来《き》た。彼《かれ》らは、「ヨハネは何《なに》一つしるしを行《おこな》わなかったけれども、彼《かれ》がこの方《かた》について話《はな》したことはみな真《しん》実《じつ》であった」と言《い》った。
ヨハネ 10:42 そして、その地《ち》方《ほう》で多《おお》くの人《ひと》々《びと》がイエスを信《しん》じた。

4月16日

ヨハネ 11
ヨハネ 11:1 さて、ある人《ひと》が病《びょう》気《き》にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉《し》妹《まい》マルタとの村《むら》の出《で》で、ベタニヤの人《ひと》であった。
ヨハネ 11:2 このマリヤは、主《しゅ》に香《こう》油《ゆ》を塗《ぬ》り、髪《かみ》の毛《け》でその足《あし》をぬぐったマリヤであって、彼《かの》女《じょ》の兄《きょう》弟《だい》ラザロが病《や》んでいたのである。
ヨハネ 11:3 そこで姉《し》妹《まい》たちは、イエスのところに使《つか》いを送《おく》って、言《い》った。「主《しゅ》よ。ご覧《らん》ください。あなたが愛《あい》しておられる者《もの》が病《びょう》気《き》です。」
ヨハネ 11:4 イエスはこれを聞《き》いて、言《い》われた。「この病《びょう》気《き》は死《し》で終《お》わるだけのものではなく、神《かみ》の栄《えい》光《こう》のためのものです。神《かみ》の子《こ》がそれによって栄《えい》光《こう》を受《う》けるためです。」
ヨハネ 11:5 イエスはマルタとその姉《し》妹《まい》とラザロとを愛《あい》しておられた。
ヨハネ 11:6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病《や》んでいることを聞《き》かれたときも、そのおられた所《ところ》になお二《ふつ》日《か》とどまられた。
ヨハネ 11:7 その後《のち》、イエスは、「もう一度《ど》ユダヤに行《い》こう」と弟《で》子《し》たちに言《い》われた。
ヨハネ 11:8 弟《で》子《し》たちはイエスに言《い》った。「先《せん》生《せ》。たった今《いま》ユダヤ人《じん》たちが、あなたを石《いし》打《う》ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」
ヨハネ 11:9 イエスは答《こた》えられた。「昼《ひる》間《ま》は十二時《じ》間《かん》あるでしょう。だれでも、昼《ひる》間《ま》歩《ある》けば、つまずくことはありません。この世《よ》の光《ひかり》を見《み》ているからです。
ヨハネ 11:10 しかし、夜《よる》歩《ある》けばつまずきます。光《ひかり》がその人《ひと》のうちにないからです。」
ヨハネ 11:11 イエスは、このように話《はな》され、それから、弟《で》子《し》たちに言《い》われた。「わたしたちの友《とも》ラザロは眠《ねむ》っています。しかし、わたしは彼《かれ》を眠《ねむ》りからさましに行《い》くのです。」
ヨハネ 11:12 そこで弟《で》子《し》たちはイエスに言《い》った。「主《しゅ》よ。眠《ねむ》っているのなら、彼《かれ》は助《たす》かるでしょう。」
ヨハネ 11:13 しかし、イエスは、ラザロの死《し》のことを言《い》われたのである。だが、彼《かれ》らは眠《ねむ》った状《じょう》態《たい》のことを言《い》われたものと思《おも》った。
ヨハネ 11:14 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼《かれ》らに言《い》われた。「ラザロは死《し》んだのです。
ヨハネ 11:15 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信《しん》じるためには、わたしがその場《ば》に居《い》合《あ》わせなかったことを喜《よろこ》んでいます。さあ、彼《かれ》のところへ行《い》きましょう。」
ヨハネ 11:16 そこで、デドモと呼《よ》ばれるトマスが、弟《で》子《し》の仲《なか》間《ま》に言《い》った。「私たちも行《い》って、主《しゅ》といっしょに死《し》のうではないか。」
ヨハネ 11:17 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓《はか》の中《なか》に入《い》れられて四《よっ》日《か》もたっていた。
ヨハネ 11:18 ベタニヤはエルサレムに近《ちか》く、三キロメートルほど離《はな》れた所《ところ》にあった。
ヨハネ 11:19 大《おお》ぜいのユダヤ人《じん》がマルタとマリヤのところに来《き》ていた。その兄《きょう》弟《だい》のことについて慰《なぐさ》めるためであった。
ヨハネ 11:20 マルタは、イエスが来《こ》られたと聞《き》いて迎《むか》えに行《い》った。マリヤは家《いえ》ですわっていた。
ヨハネ 11:21 マルタはイエスに向《む》かって言《い》った。「主《しゅ》よ。もしここにいてくださったなら、私の兄《きょう》弟《だい》は死《し》ななかったでしょうに。
ヨハネ 11:22 今《いま》でも私は知《し》っております。あなたが神《かみ》にお求《もと》めになることは何《なん》でも、神《かみ》はあなたにお与《あた》えになります。」
ヨハネ 11:23 イエスは彼《かの》女《じょ》に言《い》われた。「あなたの兄《きょう》弟《だい》はよみがえります。」
ヨハネ 11:24 マルタはイエスに言《い》った。「私は、終《お》わりの日《ひ》のよみがえりの時《とき》に、彼《かれ》がよみがえることを知《し》っております。」
ヨハネ 11:25 イエスは言《い》われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信《しん》じる者《もの》は、死《し》んでも生《い》きるのです。
ヨハネ 11:26 また、生《い》きていてわたしを信《しん》じる者《もの》は、決《けっ》して死《し》ぬことがありません。このことを信《しん》じますか。」
ヨハネ 11:27 彼《かの》女《じょ》はイエスに言《い》った。「はい。主《しゅ》よ。私は、あなたが世《よ》に来《こ》られる神《かみ》の子《こ》キリストである、と信《しん》じております。」
ヨハネ 11:28 こう言《い》ってから、帰《かえ》って行《い》って、姉《し》妹《まい》マリヤを呼《よ》び、「先《せん》生《せい》が見《み》えています。あなたを呼《よ》んでおられます」とそっと言《い》った。
ヨハネ 11:29 マリヤはそれを聞《き》くと、すぐ立《た》ち上《あ》がって、イエスのところに行《い》った。
ヨハネ 11:30 さてイエスは、まだ村《むら》に入《はい》らないで、マルタが出《で》迎《むか》えた場《ば》所《しょ》におられた。
ヨハネ 11:31 マリヤとともに家《いえ》にいて、彼《かの》女《じょ》を慰《なぐさ》めていたユダヤ人《じん》たちは、マリヤが急《いそ》いで立《た》ち上《あ》がって出《で》て行《い》くのを見《み》て、マリヤが墓《はか》に泣《な》きに行《い》くのだろうと思《おも》い、彼《かの》女《じょ》について行《い》った。
ヨハネ 11:32 マリヤは、イエスのおられた所《ところ》に来《き》て、お目《め》にかかると、その足《あし》もとにひれ伏《ふ》して言《い》った。「主《しゅ》よ。もしここにいてくださったなら、私の兄《きょう》弟《だい》は死《し》ななかったでしょうに。」
ヨハネ 11:33 そこでイエスは、彼《かの》女《じょ》が泣《な》き、彼《かの》女《じょ》といっしょに来《き》たユダヤ人《じん》たちも泣《な》いているのをご覧《らん》になると、霊《れい》の憤《い》《き》り《どお》を覚《おぼ》え、心《こころ》の動《どう》揺《よう》を感《かん》じて、
ヨハネ 11:34 言《い》われた。「彼《かれ》をどこに置《お》きましたか。」彼《かれ》らはイエスに言《い》った。「主《しゅ》よ。来《き》てご覧《らん》ください。」
ヨハネ 11:35 イエスは涙《なみだ》を流《なが》された。
ヨハネ 11:36 そこで、ユダヤ人《じん》たちは言《い》った。「ご覧《らん》なさい。主《しゅ》はどんなに彼《かれ》を愛《あい》しておられたことか。」
ヨハネ 11:37 しかし、「盲《もう》人《じん》の目《め》をあけたこの方《かた》が、あの人《ひと》を死《し》なせないでおくことはできなかったのか」と言《い》う者《もの》もいた。
ヨハネ 11:38 そこでイエスは、またも心《こころ》のうちに憤《いきどお》りを覚《おぼ》えながら、墓《はか》に来《こ》られた。墓《はか》はほら穴《あな》であって、石《いし》がそこに立《た》てかけてあった。
ヨハネ 11:39 イエスは言《い》われた。「その石《いし》を取《と》りのけなさい。」死《し》んだ人《ひと》の姉《し》妹《まい》マルタは言《い》った。「主《しゅ》よ。もう臭《くさ》くなっておりましょう。四《よっ》日《か》になりますから。」
ヨハネ 11:40 イエスは彼《かの》女《じょ》に言《い》われた。「もしあなたが信《しん》じるなら、あなたは神《かみ》の栄《えい》光《こう》を見《み》る、とわたしは言《い》ったではありませんか。」
ヨハネ 11:41 そこで、彼《かれ》らは石《いし》を取《と》りのけた。イエスは目《め》を上《あ》げて、言《い》われた。「父《ちち》よ。わたしの願《ねが》いを聞《き》いてくださったことを感《かん》謝《しゃ》いたします。
ヨハネ 11:42 わたしは、あなたがいつもわたしの願《ねが》いを聞《き》いてくださることを知《し》っておりました。しかしわたしは、回《まわ》りにいる群《ぐん》衆《しゅう》のために、この人《ひと》々《びと》が、あなたがわたしをお遣《つか》わしになったことを信《しん》じるようになるために、こう申《もう》したのです。」
ヨハネ 11:43 そして、イエスはそう言《い》われると、大《おお》声《ごえ》で叫《さけ》ばれた。「ラザロよ。出《で》て来《き》なさい。」
ヨハネ 11:44 すると、死《し》んでいた人《ひと》が、手《て》と足《あし》を長《なが》い布《ぬの》で巻《ま》かれたままで出《で》て来《き》た。彼《かれ》の顔《かお》は布《ぬの》切《ぎ》れで包《つつ》まれていた。イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「ほどいてやって、帰《かえ》らせなさい。」
ヨハネ 11:45 そこで、マリヤのところに来《き》ていて、イエスがなさったことを見《み》た多《おお》くのユダヤ人《じん》が、イエスを信《しん》じた。
ヨハネ 11:46 しかし、そのうちの幾《いく》人《にん》かは、パリサイ人《びと》たちのところへ行《い》って、イエスのなさったことを告《つ》げた。
ヨハネ 11:47 そこで、祭《さい》司《し》長《ちょう》とパリサイ人《びと》たちは議《ぎ》会《かい》を召《しょう》集《しゅう》して言《い》った。「われわれは何《なに》をしているのか。あの人《ひと》が多《おお》くのしるしを行《おこな》っているというのに。
ヨハネ 11:48 もしあの人《ひと》をこのまま放《ほう》っておくなら、すべての人《ひと》があの人《ひと》を信《しん》じるようになる。そうなると、ローマ人《じん》がやって来《き》て、われわれの土《と》地《ち》も国《こく》民《みん》も奪《うば》い取《と》ることになる。」
ヨハネ 11:49 しかし、彼《かれ》らのうちのひとりで、その年《とし》の大《だい》祭《さい》司《し》であったカヤパが、彼《かれ》らに言《い》った。「あなたがたは全《ぜん》然《ぜん》何《なに》もわかっていない。
ヨハネ 11:50 ひとりの人《ひと》が民《たみ》の代《か》わりに死《し》んで、国《こく》民《みん》全《ぜん》体《たい》が滅《ほろ》びないほうが、あなたがたにとって得《とく》策《さく》だということも、考《かんが》えに入《い》れていない。」
ヨハネ 11:51 ところで、このことは彼《かれ》が自《じ》分《ぶん》から言《い》ったのではなくて、その年《とし》の大《だい》祭《さい》司《し》であったので、イエスが国《こく》民《みん》のために死《し》のうとしておられること、
ヨハネ 11:52 また、ただ国《こく》民《みん》のためだけでなく、散《ち》らされている神《かみ》の子《こ》たちを一つに集《あつ》めるためにも死《し》のうとしておられることを、預《よ》言《げん》したのである。
ヨハネ 11:53 そこで彼《かれ》らは、その日《ひ》から、イエスを殺《ころ》すための計《けい》画《かく》を立《た》てた。
ヨハネ 11:54 そのために、イエスはもはやユダヤ人《じん》たちの間《あいだ》を公《こう》然《ぜん》と歩《ある》くことをしないで、そこから荒《あら》野《の》に近《ちか》い地《ち》方《ほう》に去《さ》り、エフライムという町《まち》に入《はい》り、弟《で》子《し》たちとともにそこに滞《たい》在《ざい》された。
ヨハネ 11:55 さて、ユダヤ人《じん》の過《すぎ》越《こし》の祭《まつ》りが間《ま》近《ぢか》であった。多《おお》くの人《ひと》々《びと》が、身《み》を清《きよ》めるために、過《すぎ》越《こし》の祭《まつ》りの前《まえ》にいなかからエルサレムに上《のぼ》って来《き》た。
ヨハネ 11:56 彼《かれ》らはイエスを捜《さが》し、宮《みや》の中《なか》に立《た》って、互《たが》いに言《い》った。「あなたがたはどう思《おも》いますか。あの方《かた》は祭《まつ》りに来《こ》られることはないでしょうか。」
ヨハネ 11:57 さて、祭《さい》司《し》長《ちょう》、パリサイ人《びと》たちはイエスを捕《と》らえるために、イエスがどこにいるかを知《し》っている者《もの》は届《とど》け出《で》なければならないという命《めい》令《れい》を出《だ》していた。

4月17日

ヨハネ 12
ヨハネ 12:1 イエスは過《すぎ》越《こし》の祭《まつ》りの六《むい》日《か》前《まえ》にベタニヤに来《こ》られた。そこには、イエスが死《し》人《にん》の中《なか》からよみがえらせたラザロがいた。
ヨハネ 12:2 人《ひと》々《びと》はイエスのために、そこに晩《ばん》餐《さん》を用《よう》意《い》した。そしてマルタは給《きゅう》仕《じ》していた。ラザロは、イエスとともに食《しょく》卓《たく》に着《つ》いている人《ひと》々《びと》の中《なか》に混《ま》じっていた。
ヨハネ 12:3 マリヤは、非《ひ》常《じょう》に高《こう》価《か》な、純《じゅん》粋《すい》なナルドの香《こう》油《ゆ》三百グラムを取《と》って、イエスの足《あし》に塗《ぬ》り、彼《かの》女《じょ》の髪《かみ》の毛《け》でイエスの足《あし》をぬぐった。家《いえ》は香《こう》油《ゆ》のかおりでいっぱいになった。
ヨハネ 12:4 ところが、弟《で》子《し》のひとりで、イエスを裏《うら》切《ぎ》ろうとしているイスカリオテ・ユダが言《い》った。
ヨハネ 12:5 「なぜ、この香《こう》油《ゆ》を三百デナリに売《う》って、貧《まず》しい人《ひと》々《びと》に施《ほどこ》さなかったのか。」
ヨハネ 12:6 しかしこう言《い》ったのは、彼《かれ》が貧《まず》しい人《ひと》々《びと》のことを心《こころ》にかけていたからではなく、彼《かれ》は盗《ぬす》人《びと》であって、金《かね》入《い》れを預《あず》かっていたが、その中《なか》に収《おさ》められたものを、いつも盗《ぬす》んでいたからである。
ヨハネ 12:7 イエスは言《い》われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬《ほうむ》りの日《ひ》のために、それを取《と》っておこうとしていたのです。
ヨハネ 12:8 あなたがたは、貧《まず》しい人《ひと》々《びと》とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
ヨハネ 12:9 大《おお》ぜいのユダヤ人《じん》の群《む》れが、イエスがそこにおられることを聞《き》いて、やって来《き》た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死《し》人《にん》の中《なか》からよみがえったラザロを見《み》るためでもあった。
ヨハネ 12:10 祭《さい》司《し》長《ちょう》たちはラザロも殺《ころ》そうと相《そう》談《だん》した。
ヨハネ 12:11 それは、彼《かれ》のために多《おお》くのユダヤ人《じん》が去《さ》って行《い》き、イエスを信《しん》じるようになったからである。
ヨハネ 12:12 その翌《よく》日《じつ》、祭《まつ》りに来《き》ていた大《おお》ぜいの人《ひと》の群《む》れは、イエスがエルサレムに来《こ》ようとしておられると聞《き》いて、
ヨハネ 12:13 しゅろの木《き》の枝《えだ》を取《と》って、出《で》迎《むか》えのために出《で》て行《い》った。そして大《おお》声《ごえ》で叫《さけ》んだ。「ホサナ。祝《しゅく》福《ふく》あれ。主《しゅ》の御《み》名《な》によって来《こ》られる方《かた》に。イスラエルの王《おう》に。」
ヨハネ 12:14 イエスは、ろばの子《こ》を見《み》つけて、それに乗《の》られた。それは次《つぎ》のように書《か》かれているとおりであった。
ヨハネ 12:15 「恐《おそ》れるな。シオンの娘《むすめ》。見《み》よ。あなたの王《おう》が来《こ》られる。ろばの子《こ》に乗《の》って。」
ヨハネ 12:16 初《はじ》め、弟《で》子《し》たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄《えい》光《こう》を受《う》けられてから、これらのことがイエスについて書《か》かれたことであって、人《ひと》々《びと》がそのとおりにイエスに対《たい》して行《おこな》ったことを、彼《かれ》らは思《おも》い出《だ》した。
ヨハネ 12:17 イエスがラザロを墓《はか》から呼《よ》び出《だ》し、死《し》人《にん》の中《なか》からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大《おお》ぜいの人《ひと》々《びと》は、そのことのあかしをした。
ヨハネ 12:18 そのために群《ぐん》衆《しゅう》もイエスを出《で》迎《むか》えた。イエスがこのしるしを行《おこな》われたことを聞《き》いたからである。
ヨハネ 12:19 そこで、パリサイ人《びと》たちは互《たが》いに言《い》った。「どうしたのだ。何《なに》一つうまくいっていない。見《み》なさい。世《よ》はあげてあの人《ひと》のあとについて行《い》ってしまった。」
ヨハネ 12:20 さて、祭《まつ》りのとき礼《れい》拝《はい》のために上《のぼ》って来《き》た人《ひと》々《びと》の中《なか》に、ギリシヤ人《じん》が幾《いく》人《にん》かいた。
ヨハネ 12:21 この人《ひと》たちがガリラヤのベツサイダの人《ひと》であるピリポのところに来《き》て、「先《せん》生《せい》。イエスにお目《め》にかかりたいのですが」と言《い》って頼《たの》んだ。
ヨハネ 12:22 ピリポは行《い》ってアンデレに話《はな》し、アンデレとピリポとは行《い》って、イエスに話《はな》した。
ヨハネ 12:23 すると、イエスは彼《かれ》らに答《こた》えて言《い》われた。「人《ひと》の子《こ》が栄《えい》光《こう》を受《う》けるその時《とき》が来《き》ました。
ヨハネ 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告《つ》げます。一粒《つぶ》の麦《むぎ》がもし地《ち》に落《お》ちて死《し》ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死《し》ねば、豊《ゆた》かな実《み》を結《むす》びます。
ヨハネ 12:25 自《じ》分《ぶん》のいのちを愛《あい》する者《もの》はそれを失《うしな》い、この世《よ》でそのいのちを憎《にく》む者《もの》はそれを保《たも》って永《えい》遠《えん》のいのちに至《いた》るのです。
ヨハネ 12:26 わたしに仕《つか》えるというのなら、その人《ひと》はわたしについて来《き》なさい。わたしがいる所《ところ》に、わたしに仕《つか》える者《もの》もいるべきです。もしわたしに仕《つか》えるなら、父《ちち》はその人《ひと》に報《むく》いてくださいます。
ヨハネ 12:27 今《いま》わたしの心《こころ》は騒《さわ》いでいる。何《なん》と言《い》おうか。『父《ちち》よ。この時《とき》からわたしをお救《すく》いください』と言《い》おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時《とき》に至《いた》ったのです。
ヨハネ 12:28 父《ちち》よ。御《み》名《な》の栄《えい》光《こう》を現《あらわ》してください。」そのとき、天《てん》から声《こえ》が聞《き》こえた。「わたしは栄《えい》光《こう》をすでに現《あらわ》したし、またもう一度《ど》栄《えい》光《こう》を現《あらわ》そう。」
ヨハネ 12:29 そばに立《た》っていてそれを聞《き》いた群《ぐん》衆《しゅう》は、雷《かみなり》が鳴《な》ったのだと言《い》った。ほかの人《ひと》々《びと》は、「御《み》使《つか》いがあの方《かた》に話《はな》したのだ」と言《い》った。
ヨハネ 12:30 イエスは答《こた》えて言《い》われた。「この声《こえ》が聞《き》こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。
ヨハネ 12:31 今《いま》がこの世《よ》のさばきです。今《いま》、この世《よ》を支《し》配《はい》する者《もの》は追《お》い出《だ》されるのです。
ヨハネ 12:32 わたしが地《ち》上《じょう》から上《あ》げられるなら、わたしはすべての人《ひと》を自《じ》分《ぶん》のところに引《ひ》き寄《よ》せます。」
ヨハネ 12:33 イエスは自《じ》分《ぶん》がどのような死《し》に方《かた》で死《し》ぬかを示《しめ》して、このことを言《い》われたのである。
ヨハネ 12:34 そこで、群《ぐん》衆《しゅう》はイエスに答《こた》えた。「私たちは、律《りっ》法《ぽう》で、キリストはいつまでも生《い》きておられると聞《き》きましたが、どうしてあなたは、人《ひと》の子《こ》は上《あ》げられなければならない、と言《い》われるのですか。その人《ひと》の子《こ》とはだれですか。」
ヨハネ 12:35 イエスは彼《かれ》らに言《い》われた。「まだしばらくの《あ》間《いだ》、《ひ》光《かり》はあなたがたの間《あいだ》にあります。やみがあなたがたを襲《おそ》うことのないように、あなたがたは、光《ひかり》がある間《あいだ》に歩《ある》きなさい。やみの中《なか》を歩《ある》く者《もの》は、自《じ》分《ぶん》がどこに行《い》くのかわかりません。
ヨハネ 12:36 あなたがたに光《ひかり》がある間《あいだ》に、光《ひかり》の子《こ》どもとなるために、光《ひかり》を信《しん》じなさい。」イエスは、これらのことをお話《はな》しになると、立《た》ち去《さ》って、彼《かれ》らから身《み》を隠《かく》された。
ヨハネ 12:37 イエスが彼《かれ》らの目《め》の前《まえ》でこのように多《おお》くのしるしを行《おこな》われたのに、彼《かれ》らはイエスを信《しん》じなかった。
ヨハネ 12:38 それは、「主《しゅ》よ。だれが私たちの知《し》らせを信《しん》じましたか。また主《しゅ》の御《み》腕《うで》はだれに現《あらわ》されましたか」と言《い》った預《よ》言《げん》者《しゃ》イザヤのことばが成《じょう》就《じゅ》するためであった。
ヨハネ 12:39 彼《かれ》らが信《しん》じることができなかったのは、イザヤがまた次《つぎ》のように言《い》ったからである。
ヨハネ 12:40 「主《しゅ》は彼《かれ》らの目《め》を盲《もう》目《もく》にされた。また、彼《かれ》らの心《こころ》をかたくなにされた。それは、彼《かれ》らが目《め》で見《み》ず、心《こころ》で理《り》解《かい》せず、回《かい》心《しん》せず、そしてわたしが彼《かれ》らをいやすことのないためである。」
ヨハネ 12:41 イザヤがこう言《い》ったのは、イザヤがイエスの栄《えい》光《こう》を見《み》たからで、イエスをさして言《い》ったのである。
ヨハネ 12:42 しかし、それにもかかわらず、指《し》導《どう》者《しゃ》たちの中《なか》にもイエスを信《しん》じる者《もの》がたくさんいた。ただ、パリサイ人《びと》たちをはばかって、告《こく》白《はく》はしなかった。会《かい》堂《どう》から追《つい》放《ほう》されないためであった。
ヨハネ 12:43 彼《かれ》らは、神《かみ》からの栄《えい》誉《よ》よりも、人《ひと》の栄《えい》誉《よ》を愛《あい》したからである。
ヨハネ 12:44 また、イエスは大《おお》声《ごえ》で言《い》われた。「わたしを信《しん》じる者《もの》は、わたしではなく、わたしを遣《つか》わした方《かた》を信《しん》じるのです。
ヨハネ 12:45 また、わたしを見《み》る者《もの》は、わたしを遣《つか》わした方《かた》を見《み》るのです。
ヨハネ 12:46 わたしは光《ひかり》として世《よ》に来《き》ました。わたしを信《しん》じる者《もの》が、だれもやみの中《なか》にとどまることのないためです。
ヨハネ 12:47 だれかが、わたしの言《い》うことを聞《き》いてそれを守《まも》らなくても、わたしはその人《ひと》をさばきません。わたしは世《よ》をさばくために来《き》たのではなく、世《よ》を救《すく》うために来《き》たからです。
ヨハネ 12:48 わたしを拒《こば》み、わたしの言《い》うことを受《う》け入《い》れない者《もの》には、その人《ひと》をさばくものがあります。わたしが話《はな》したことばが、終《お》わりの日《ひ》にその人《ひと》をさばくのです。
ヨハネ 12:49 わたしは、自《じ》分《ぶん》から話《はな》したのではありません。わたしを遣《つか》わした父《ちち》ご自《じ》身《しん》が、わたしが何《なに》を言《い》い、何《なに》を話《はな》すべきかをお命《めい》じになりました。
ヨハネ 12:50 わたしは、父《ちち》の命《めい》令《れい》が永《えい》遠《えん》のいのちであることを知《し》っています。それゆえ、わたしが話《はな》していることは、父《ち》が《ち》わたしに言《い》われたとおりを、そのままに話《はな》しているのです。」
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